第10話 驚愕!アキラくんの関西弁



   この世に生を受けている間に、よもやアキラくんの関西弁を拝聴することはありえないと思っていたが、なんと奇跡的に長野県のシンポジウムで、アキラくんの関西弁を、ネット上で間接話法ながら耳にすることができた!

 「あるおじいさんなんかは、『わしは死んだら、もう墓なんかいらんから、ここへ来てくれ。あの四つのがわしのやあ』とか言ってるわけですね。」

  http://www.omoraji.com/kurumaza.shtml

ネットの音声配信でアキラくんのこの言葉を聴いたとき、驚愕の念にとらわれた私は、思わず吹き出してしまったが、このまさかの事態に我が耳を疑うと同時に、今まで生きていて良かったと思った。
 これまで、さんざんアキラくんを生で見、あるいはテレビで拝見させて頂いたが、絶対にアキラくんの口元から、関西弁がほとばしる事はなかった。神戸出身、京都在住にも係わらず、常に標準語でパッパッと語るアキラくんに、我々関西人は超絶的ないきがりとある種の胡散臭さを感じていたが、今回の奇跡でアキラくんは一気に(関西)サバルタン問題を解決したと言えよう。
 面白いことに、このインタビューを詳細に調べてみると、アキラくんの関西弁発言の前に、微妙にイントネーションが怪しくなっているのが判る。先の関西弁発言の約三十秒前、紙上で表せないが、「125回」という言葉を、標準語のトーンではなく、関西弁のトーンで口走っている。つまり、アキラくんの頭の中では、三十秒後に話すことが、すでに脳裏に表象されていて、そのためイントネーションがみだれ出しており、とてつもない頭の回転の速さを伺わせる。最低、アキラくんの頭のなかは三十秒後の世界を先取りしているのだ。
 しかしながら、アキラくんの擬態語は相変わらずで、と言うよりも年齢を重ねるごとに更にラジカルになっているように思える。アキラくんは何かを表現するとき、「ドバッーと!」、「ワァッーと!」、「サッサッサッっと」、「ザァ−っと」などと、擬態語を多発する。実際このインタビューでも、「パッパッパッと」、「バン!」とマイクがレベルオーバーするぐらい瞬間的な奇声をあげる。事実、私自身もアキラくんの講演に行った時には、いきなり響きわたるアキラくんの奇声と、その鼻息と音量でひび割れてしまったマイクのノイズに出くわすのも再々である。
 ともかくアキラくんはハードコアな批評家ではあるが、肝心なところを擬態語で済ましてしまうのは、いただけないし、きっと家に帰っても、関西弁で多用しているに違いない。
 「ママ、今日のプリンのカルメラ、ドバッーとようさん掛けてな。」


2003年2月3日


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第9話 バイセクシャル アキラくん



   アキラくんが紙上でバイセクシャルであるとカミングアウトしていた。確かにアキラくんは天才である。あらゆる分野を、現在思想はもとより、政治・経済、芸術全般、「ラジオライフ」も読めば、「SPK」も語り、松本人志の芸のルーツ、更には吉本興行まで精通している。その才覚は確かに驚愕である。しかし、自分はバイセクシャルだ、などとほざくのは、天才アキラくんと言えども、いきり過ぎである。いくらアキラくんでも、そこまでの芸当を会得できているとは思えない。この放言は、例えば、同じ天才ポール・マッカートーニーが故レノンがいないのをいい事に、
  「実は僕は、右でもギターを弾けるんだよ。今だから言えるけど、"All My Loving"の三連符のサイドギターは、ジョンじゃなくて僕が弾いていたんだ。」と、面白くもない皮肉を放言しているようなものだ。どうか自慢は、アキラ邸の地下室に貯蔵されたワインぐらいにしてくれ。
  それにしても最近、アキラくんが携帯電話を持ちはじめたのは、どういうこったろう。それも、たびたび着信しているではないか。いったい相手は誰なのだろう。ただ決して、ゲイ仲間なんぞではなく、きっと道場六三郎からの間違い電話に違いない。


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2002年7月7日


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第8話 アキラくんのAUTOGRAPH



   今日、京都の日伊会館で、アキラくんのトークショーがあった。「浅田彰コレクション」と名打たれた上映会の前座という訳だ。アキラくんは、いつにも増して軽い足取りで壇上に上がると、おきまりの「浅田彰です。」と一声を発し、飲みかけの缶紅茶「TEAO」を机のおいた。おかしい、アキラくんの好みは「三木プルーン」のはずなのに。
   関西人なのに相変わらず標準語で、一時間弱おしゃべりした後、パンフレット売り場で急きょアキラくんのサイン会が始まった。あのアキラくんがサインをするなんて!いや、アキラくんにサインがあるなんて!驚愕の想いと困惑のなか、私もサインをしてもらった。

「お名前は?」

何んと名前入りの大サービス。

  アキラくんはマジックが用意されているにも係らず、自分のカバンからボールペンを取り出し、Akira Asada と綴った。Asada Akiraではなく、Akira Asadaなのだ。何んとエロチィックなことだろう。
   しかし、さすがのアキラくんも、この急きょの事態に緊張したのか、サインをする手は微妙に震えていた。それも、そうだろう。あのアキラくんが、サインをするなんて、本人自身もびびったに違いない。
   しかし、何んてこのサインは、貴重なものだろう。アキラくんからサインをもらうには、キムタクからもらう方がよっぽど楽である。
ありがとう!アキラくん。




2001年6月30日


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第7話 アキラくんの手帳



   今日、NAMの京都シンポジウムに出かけるため、会場まで叡山電鉄に乗った。ふと、目を前にやると、アキラくんが座っているではないか。アキラくんは今日は、ちょっと地味で全く気付かなかった。アキラくんはちいさな手帳をひらいて、ひたすら何やら書き込んでは、ページをめくって眺めては、また書きだす。その手帳はどうやら、日付手帳みたいで、小学生が使うような大きなシャーペンで、黙々と手帳に書き込んでいた。

   いったい何を書いているのだろうか。今日、講演する内容についてではなさそうだし、自分の思索でもない事は確実だ。おそらく、おやつをスケジューリングしているのだろう。メニューは、もちろんプリンである。あるいはせいぜい、次の笛の練習日。ただ、もしかして、自作のないアキラくんの最初の小説の草稿かもしれないが。題名は「侍2001」。来年までかかれば、「侍2002」になってしまうが、ともかく刊行が楽しみだ。

   電車は結構、長く乗らなければならず、およそ30分は、乗っていただろうか。アキラくんはとにかく、その30分の間づっと、ただひたすら、ミニ手帳と向いあったままだった。しかし、事件が起こった。アキラくんと隣の人との間にほんの20センチぐらいの隙間があり、とても狭いのだが、そこに、かなりヤバそうな浮浪者が、紙袋7・8個ぶらさげて、無理矢理に割り込んできた。どう見ても座れそうにない隙間に、浮浪者がお尻をねじ込んできた。その瞬間だけ、アキラくんは一度、一瞥した。普通なら、ヤバそうなので、何度か目をくばるであろうが、アキラくんは一瞥したっきり、微動だにしなかった。さすがアキラくん、スゴイと思ったが、実のところは、身の安全よりも、プリンのスケジューリングの方が大事だったようだ。

2001年6月16日



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第6話
ニヒリスト アキラくん



   アキラくんは、本当に柄谷師匠とかいを分かったみたいだ。2000年12月、柄谷師匠率いるNAM全国集会にて、師曰く、NAMにおいては個々、積極的に活動を立ち上げて欲しいとの意を述べた。そして理論系代表のアキラくんに対しても、壇上で問いただした処、あっけらかんと、「いや僕はニヒリストだから。ハッハッハッ。」と切り返した。

  アキラくんは柄谷師匠から巣立ったのか。それとも師匠に見切りをつけたのか。青は藍よりいでし。確かに、小学生の時からJ・G・バラードを読んでは、アポカリプスを夢想していたアキラくんにとって、ニヒリストにならざるを得ないのは至極当然なのであろう。しかし、それ以上にアキラくんはマナミストではなかったか。本上まなみの理想のタイプ、その第一条件はメガネをかけた人。アキラくんは見事にこの難関を突破したのに、同じ12月、本上に別の恋人がいる事が発覚してしまった。さすがにアキラくんも、そうあってはニヒリストにならざるを得ないであろう。そのとばっちりを浴びたのは加藤周一。

  京都大学の講演「サルトルの世紀」に招待された加藤周一は、ニヒリスト・アキラくんに、無残にもその老体を斬り倒されてしまった。おまけに同席したいた新鋭評論家・三宅くんの「サルトルはアナーキストだった」という新発見および加藤周一の称賛に対し、「そんな事は、いまさら考えるまでもなく、解りきったことで・・・・・・」。三宅くんは泣く泣く「そんなあ〜、それではまるで僕の論文は無意味じゃないですか〜」とつぶやいたが、無駄であった。
マナミスト∽ニヒリスト・アキラくんはいまキレまくっている。

2001年2月8日



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第5話 京都洛北 アキラ邸



   京都は北野天満宮にほど近い処に、アキラ邸は人目を偲ぶようにたたずんでいる。
閑静な住宅が並ぶ中、路地を一歩踏み入った処に、真っ白な2階建てのアキラ邸が構えている。
この豪じゃなアキラ邸の堂々さは、「構造と力」のベストセラーの力を彷彿とさせる。
「浅田」とかかげられた表札は、アキラくんは芸名でなかった事を裏付ける。

   一体、この屋敷に何がひそんでいるのだろうか。なんと2階には、クーラーが取り付けられているではないか。おそらくアキラくんは夏の暑い日、このクーラーをつけて、寝そべってアイスクリームでもほおばっているのだろう。おどろいた事に裏庭にまわると、わずかばかり裏庭だが、「たらい」が干しかけてあるではないか。いったい、どんな饗宴がこの屋敷で催されたのか、想像を絶してしまう。

   しかし不思議なのは、あれだけの博学のアキラくんの本が収納されるほどには、アキラ邸は大きく
ないという事だ。地下室があるのかもしれないが、もしあったとしても、それは京大人文研へと
つながるトンネル造りに使用されているはずだ。だとすれば、アキラくんの博識はどこから得られたのか。
それは2階のアキラくんの部屋を覗いてみない事には謎だ。

1999年5月9日



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第4話  キラくんと島田雅彦



   アキラくんは、島田雅彦のことをバカだと思っている。
二人の共著となる「天使が通る」が出版される直前、
この著作が世に出される言い訳を、京都大学の講演で、
語った。1988年頃であろう。
   アキラくんは「天使が通る」という意味を説明しながら、
島田くんの事をバカ呼ばわりして、さすがにアキラくん、
この著作が世間に出回るのを恥じ入ったみたいだ。
島田くんは、ある程度かしこいと思っていたが、
アキラくんがそう言うのだから、きっとそうだろう。
   実際、アキラくんは、あの時以来、島田くんに会って
いないようだし、もしかしたら、島田くんが女の子に
もてるので、すねているのかも知れない。


1999年1月18日


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第3話 アキラくんと筑紫哲也


   アキラくんは少しだけ筑紫哲也とお友達」である。
そもそもアキラくんがデビューした頃、筑紫は「若者たちの神々」で、
アキラくんをピックアップした。今は残念ながら絶版になってしまい、その内容はあまり覚えてないが、印象的なのは、挿入されていた一枚の写真である。アキラくんは絨毯が敷かれた、わりとシンプルな部屋の中で寝そべっていて、部屋にはオーディオ・セットが配置されていた。アキラくんは、もちろんクラシック音楽に精通していて、対談形式の本著の中で、自分のクラシック通をご披露していた。
   筑紫哲也は、アキラくんが当時ふれこんでいた「資本論は寝そべってパラパラ、拾い読みする書物である」という発言に着眼し会話を展開していたが、その当のアキラくんは写真の中で、寝そべって悠々自適な雰囲気をかもしだしていた。アキラくんの「資本論」扱いは、さまざまな酷評を浴びたが、その寝そべった姿は、エンターテイメントである。
   その後、筑紫哲也との交友はテンポラリーな「どうなる世紀末のゆくえ」で、健在である事が判明したが、まったく中身は紙屑同然であった。ともかく若き天才アキラくんの時代に出版された一枚の寝そべったアキラくんの肖像は、今となっては貴重である。何といっても、それは楠葉に居住していた部屋だから。


1998年11月12日


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第2話 
しゅん足 アキラくん


   5年ほど前まで私はよく京都に出かけ、アキラくんに出くわした。それは全て本屋であった。よほどアキラくんは本屋に足を運んでいる事がうかがえる。当時はまず、ジュンク堂の3Fで後姿を発見、ついで三条の駸々堂で再びでくわす。アキラくんはいったいどんな本を読んでいるのだろうか。青春出版社の「天才の不思議」だろうか、それとも「スターウォーズ秘話」だろうか。まさかサラリーマン官能長編小説「エレベータの三時間半」ではあるまいか。私は興味津々で
レジにさしだされた本をうかがい見た。あどろいた事にさすがアキラくん、「18世紀のドイツ農業経済」だったと思うが、他に数冊購入した。店員は、

「カバーはおつけしますか?」

と尋ねたところ、アキラくんはすかさず、

「ううん、いらない。」

といつものクールな標準語で受け答えをした。

  アキラくんはジュンク堂を後にすると、四条通りを東へ直進した。おそらく駸々堂に行くのだろうと後をついてゆこうとしたが、アキラくんの足には追いつかなかった。かなりの人混みの四条通りをアキラくんはアイススケートを滑るかのように人々の間を縫って、河原町方面へと抜けていった。長身の方ではある私であるが、その歩幅もままならぬまま、小柄なアキラくんは、およそ50M先で消えていった。 

1998年10月21日


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第1話 
アキラくん 吠える!

  1985年だったろうか、京都大学祭の催しで、ゴダールだったと思うが、アキラくんは檀台に立った。アキラくん登場の前にアナウンスが入った。

「では、京都大学人文科学研究所助手 浅田彰先生、よろしくお願いします!」

アキラくんが学生に導かれて、高座に着席すると、いちよマイクをチェックし、開口一番、

「僕は先生ではない。あくまでも浅田彰という個人です。」

アキラくんが吠えた。
京都大学は国立大学ではなかったのか?
アキラくんは先生でないとしたら、いったい何をしているのだろう。
きっと新しい、メガネ・クリンビューでも開発しているのだろう。


1998年10月16日


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   第1話 アキラくん 吠える! 

   第2話 しゅん足 アキラくん

  第3話 アキラくんと筑紫哲也

  第4話 アキラくんと島田雅彦

   第5話 京都洛北 アキラ邸

   第6話 ニヒリスト アキラくん

   第7話 アキラくんの手帳  

   第8話 アキラくんのAUTOGRAPH 

   第9話 バイセクシャル アキラくん 

  第10話 驚愕!アキラくんの関西弁 
 連載 天才 アキラくん! 
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