コーネル大学のインドネシア研究者ベネディクト・アンダーソン(47歳)が、国民国家(ネーション=ステート)について論究した「想像の共同体」を発表した。アンダーソンは中国で生まれ、ケンブリッジ大学卒業後、コーネル大学でインドネシア研究を専門としたユニークな経歴をもつ。
今日のナショナリズムあるいは国民といった曖昧な概念はいかに形成されたか。アンダーソンは、まず「国民」とはイメージとして描かれた「想像の共同体」であると定義する。何故なら、例えばテレビで見た見ず知らずのある人物を、同じ国の人物であると認めるのは、同じ言葉を話す国民だというイメージにより成立している。しかし、この国民というものは、あるいはナショナリズムは、歴史的に形成されたものであり、その根元は中世の宗教の共同体に溯ることができる。
中世の封建制度時代にあっては、宗教は絶対的権力であり、封建領主は存在しても今日のような国家あるいは国民は存在しなかった。その権力の中枢ではラテン語が共通の言語でありグローバルであった。ラテン語を使える少数の者こそ権力者であり、権力者はラテン語でヨーロッパを支配した。そこに宗教改革が起こったが、それは出版革命による出版資本主義なしでは成し得なかった。ルターによる母国語の著作は出版革命により広くゆきわたり、各国も母国語での出版を爆発的に成し遂げ、国民意識の萌芽がみられた。また印刷された文字そのものは、方言によって会話が成り立たなかった当時において、より共通の言語であり、ナショナリズムの成立を準備した。
やがて貴族は没落し、絶対主義王政になりつつあった時、国民は自国語を話し、行政も自国語で行われた。実際、イギリスにおいては征服王ウィリアムはフランス語しか話せなかったし、ロシアのロマノフ王朝にあっては、二十世紀になってもフランス語が日常語であった。
十八世紀末からフランス革命を皮切りに、絶対主義王制が各国で倒れてゆくなかで、国民国家(ネーション=ステート)は形成され、同一言語を話し、同じ文化風習をもつと想像される共同体によって、「国家」が存在する幻想が生まれた。また出版資本主義がそれに拍車をかけ、今日的な国民国家がヨーロッパに成立した。
二十世紀になると、植民地化されていない国において、王朝と国民を結び付ける公定ナショナリズムが現れた。ヨーロッパの自然発生的な国民国家がモジュールとして複製された。そこでは言語が、出版語が決定的な役割を果たしており、例えば日本では朝鮮や中国を支配する時、日本語を強要させたのは国民国家が幻想であることを物語る。
いづれにしろナショナリズムは出版語と資本主義抜きには成立しなかっただろうし、今日においては、コミュニケーションの発達が、想像をより現実味を帯びさせている。そして、いまアフリカやアジアの一部地域に、国民国家の最後の波が押し寄せている。本論は言語(母国語・出版語)が、国民あるいは国家を直截的に成立させたと述べている訳ではないが、国民国家が成立する過程において、言語は重要なファクターであり、また逆に言語システムにより、国民を想像し得ることを指摘した画期的な論である。