E・W・サイード「オリエンタリズム」

 

  コロンビア大学で中東問題を研究しているエドワード・W・サイード(43歳)が、西洋が東洋に対する学術的および政治的な言説を批判した「オリエンタリズム」を刊行した。サイード自身、パレスチナ生まれで、本著で新しい概念「オリエンタリズム」を提唱している。

  西洋にとって東洋(アラブ、インド、中国、トルコ等)は、交通・貿易が盛んになっても、根本的に未知の世界であった。今日の西洋人が持つ東洋への眼差しは、十八世紀の学者、文学、芸術が生み出したテキスト群に溯ることができる。
  十八世紀の西洋の知識人にとってオリエント(東洋)は、テキスト上の存在であった。オリエントは異教徒であり、野蛮で、劣った人種として、しかしながら「アラビアン・ナイト」のように魅惑的な存在であった。実際のオリエントがどうであろうと、オリエントはテキスト上に構築され、、固定したイメージと言説は、専門化され、また権威さえ持った。もとより人間は、未知のものに対しては、テクスチュアルな姿勢を取るものであり、やがては現実がテキスト通りでないと失望し、更には現実をテキストに従わせようとさえする。オリエンタリストの偏った、オリエントへの眼差しは、例えばゲーテあるいはモーツァルトにも見い出されるし、十九世紀のマルクスでさえ免れてはいない。
  十九世紀に入ると、オリエンタリストにとっては、オリエントはもはや単なる異教徒や「アラビアン・ナイト」ではなく、支配する領域として存在した。オリエンタリストは世界の再構成のため、学識を蓄積し、もはやオリエントは実在する場所ではなく、学術的支配、帝国支配の領域となる。そこではオリエントのイメージはますます固定化され、支配されるべきものとして扱われる。
  更に二十世紀になると、単に西洋の優位を示すだけでなく、東洋を西洋に融合する西洋の一歩的な見地から、一般化を推し進め、その中で、特にイスラムは疎外化されていった。
  第二次大戦からのオリエンタリズムの潮流はアメリカに移り、イスラムのジハードに脅威を抱くアメリカは、テレビやマスメディアを通して、アラブを野蛮な群集のイメージとして固定化する。そして、今日のオリエンタリズムは、勝利を手中に収めていると言える。一つは、オリエント(東洋)自身が、オリエンタリズムを、あるいはアメリカをモデルとして近代化を計り、一方、アメリカ合衆国はアラブの石油を吸収することで成功している。

  本書は、異文化が如何に表象されうるかを問うものであり、表象は真理以外のものに絡まっていることを明らかにした。よって真理とは一つの表象であり、それは目的、つまりオリエントの支配を表象するものである。よって、知識人はこの問題に如何に対処すべきか、最低、ギルド的な固定した学識・静観を如何に回避するかを問いかけなければならない。



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01.E・W・サイード「オリエンタリズム」
1978年
20世紀の精神
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