マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」

 

 カナダのトロント大学教授マーシャル・マクルーハン(51歳)が、「グーテンベルクの銀河系」を刊行した。マクルーハンは活字印刷の発明が人間あるいは社会にどのように影響をもたらしたかを本著で説く。
 活版印刷は1450年、ドイツでグーテンベルクによって発明された。以後、書物は爆発的に出版され、ヨーロッパを中心に拡大してゆくのだが、出版革命が出現するには、アルファベットという表音文字の出現が必要であった。
 文字は遡れば古代文明に、あるいはギリシア文明にも見い出せるのだが、アルファベットによる表音文字の出現は、人間の思考において決定的な出来事であった。文字は話し言葉を視覚的に置き換える機能を持つが、表音文字は特に眼と耳を切り離し、五感を分離させ、視覚に優位性を与えた。
 ヨーロッパにおいて書物が普及しだしたのは12世紀の中世からで、特権階級の少数の人々にしか所有できず、書物は手書きの写本であった。写本は会話的に書かれてあり、聴覚的な要素を含んでいて、実際、読書は声を発して行われるものであり、黙読というものは存在しなかった。しかし、写本が普及しだすと、当時の読者つまりスコラ哲学者などは、書物に記された文字のように、視覚的・連続的・画一的な視点を持つようになり、やがて時間・空間にまで延長するようになる。
 16世紀にはいり、グーテンベルクにより活版印刷が発明されると、書物は爆発的に普及した。最初の2世紀は中世の写本がその内容であったが、活字の均質性は人間の思考も均質化し、また書物に記録するため、均質な思考が求められた。ルネサンスとは、数世紀におよぶ知識を、視覚の言葉へと翻訳する時代であったのだ。16〜17世紀、書物を通じて文字・数字に慣れ親しんでくると、すべての事象に同一な線形システムでアプローチするようになり、視覚つまり文字に置き換えた。もはやデカルトは自著を目で読むことを指示していた。活版文字が正確に印字するように、知識にも正確さがもとめられた。非視覚的な経験・関係を視覚的に翻訳すること、数字化することがもとめられた。また出版革命はナショナリズムも生み出した。発明当初はラテン語の出版ばかりであったが、やがて母国語による書物が出版され爆発的に普及すると、同一文字を使用する国民にナショナリズムを芽生えさせ、エリザベス期はその最初であった。
 17世紀には、印刷物による視覚優位の学問・科学は発展を遂げ、ニュートン以降、機械的な世界観を生み出した。時代が進み、19世紀に入ると、産業革命、市場形成、大量生産の世界に突入するが、文字による均質化を前提としないと起こりえなかったであろう。
 20世紀に入り、電気時代を迎えた今日、5世紀続いた均質化・固定化した視点は無効になろうとしている。むしろ神話的で同時的な世界に直面しており、電子の薄膜は全世界を一つにしようとしている。テレビの出現は更に同時性・聴覚性を呼び起こそうとしているが、その影響は今のところ語りえない。
 本著のなかでコロンブスの逸話が印象的なので記しておくと、コロンブスが新大陸に到着したとき、船にはパンのかけらしかなかった。何故、彼らは魚を釣ろうとしなかったのか。彼らは経験を、新しい経験に適用する経験を持ち得なかったのである。世界を同一的に眺めることが、まだ出来なかったのである。



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01.マクルーハン「グーテンベルクの銀河系」

1962年
20世紀の精神
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