ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *22*


愛娘ニコラと遊ぶルビッチ


家に戻ってから3週間がたち、ルビッチはエフロン夫妻に電話して家に来るように言いました。そして若い二人はルビッチの家にある美術品のコレクションに感銘を受けます。ハリウッドの多くの人間と違って、ルビッチは美術品のアドバイザーに頼ることなく自分の意志で絵画を購入していました。彼は素晴らしい鑑識眼を持っていたのです。一度、NYから戻ったルビッチは友人の家に立ち寄ってロートレックのエッチングをプレゼントしたこともありました。「NYのギャラリーに置いてあったものを買ってきたんだ」彼はただそう言ったそうです。
「ルーブル美術館よりもこのベル・エアー通りでエル・グレコの宗教画のように大事に扱わなければならないものがあるんだが・・」ルビッチはエフロン夫妻にそう言って、本棚の上にある小さなマホガニーの箱を指さします。「私の葉巻だ。しかし残念ながらもうこいつを吸うことができない。さて君たちにいい知らせがある。ザナックが君たちの書いた脚本を気に入って”All out Arlene”の仕事を再開して欲しいと言っている」
これはエフロン夫妻にとってとてもうれしい知らせでした。ルビッチが心臓発作に襲われて以来2カ月の間、二人はB級映画のプロデューサーのブライアン・”ブライニー”・フォイに「To the Shores of Tripoli」のジョン・ペインの役柄を犬に置き換えたリメイク「Rip Goes to War」の脚本を書くように頼まれていました。
ルビッチはそれを聞いて二人に尋ねます。「君達、その仕事をやめたいかね?」ルビッチは言いました。「いいかね。それをひどい作品にしてみるんだ。君達はリップの家族について15ページのシーンを書けばいい。リップの家族は気の毒な犬を戦場に送るかどうか決めあぐねている。登場人物は叔父、叔母、従兄弟、犬の持ち主の少年とその両親、そして近所の人達だ。これらの登場人物すべてのダイアローグを書いてみるんだ。クローズ・アップもフェイド・インもフェイド・アウトもなし。ただダイアローグだけをね。ブライニーはダイアローグが大嫌いなんだよ」
そのシーンは一日半かけて書かれ、二人はすぐに「Rip Goes to War」の仕事から離れることができました。感謝の意味を込めて二人はルビッチの家に12本のバラを送っています。しかしザナックは”All out Arlene”の製作をオットー・プレミンジャーに任せたのです。エフロン夫妻はオットーと仕事を始めるとすぐに彼が耐えられない人物だとわかりました。ヘンリーは日記に書いています。「毎朝オットーは買ったばかりの自分の車を売って中古車を買うべきかどうかということを1時間もの間電話で話し続け、家では土曜日の夕食のメニューをめぐって自分の家のコックと喧嘩し、洋服の仕立屋と言い争いをしていました。仕事のやり方も気狂いじみていていました。私達二人のどちらかが面白いセリフを思いついたとしてもオットーはクスクス笑うこともなかったし微笑みすらしなかった。彼自身が誰かを笑わせることも決してありませんでした。ルビッチとの作業がどれほど素晴らしいものに思えたか。ルビッチは私達のセリフが気に入ればおかしく笑ってくれました。それは自分達を仕事に向かわせる糧になったし、一緒に時間を過ごすこと自体がすごく楽しかったのです」
その後、プレミンジャーは他の脚本家とやるようになり、エフロン夫妻も別の共同脚本家と一緒に他の脚本に取りかかることになります。結局「All out Arlene」は製作されませんでした。
ルビッチは肉体的にも回復の兆しを見せ、ガランとした大きな家で一人きりでいた彼は姪のラスに家に来るように手紙を書きました。しかしラスは飛行機嫌いを理由に断りました。それまでラスと彼女の夫に対してルビッチは何でも言うことを聞いてくれていたので、ラスは自分のこの時の決断を残りの人生ずっと後悔しました。
あまりに多くの出来事が早いスピードでやってきて事態はさらに深刻になっていきます。ルビッチの離婚は愛娘ニコラから引き離されることを意味していました。そしてルビッチがこれまで当然のように持っていた騒々しいほどの活発なバイタリティーは突然ハンマーで打ち砕かれたように無くなってしまいました。ある一定の運動ができるまでには回復しましたが、ルビッチ自身が自力で健康を取り戻すという気持ちをもはや持っておらず、自らを抑制し、傍目にも目立つほどに衰弱していきます。友人達はルビッチのそんな姿を見て残念に思っていましたが、彼の持っていたバイタリティーやエネルギーは精溢な優しさへと置き換わりつつあったのです。
ある日公園で看護婦と一緒に散歩していた時、ルビッチは大きな花の前を通り過ぎました。丁度その時風が吹いて花がお辞儀するように見えたのです。20分後、同じ場所に戻ってきた時、また風が吹いて花がお辞儀をしました。ルビッチもわずかに会釈しながら言います。「またお目にかかれて私も光栄だよ。どうもありがとう」



以上 「Laughter in Paradise」by SCOTT EYMAN  第7章より抜粋



メインページへ戻る/ 前頁へ/