「レディ・イブ」の頃
−バーバラ・スタンウィック伝記より− *3*


カーテンを引きちぎるヘンリー・フォンダ


バーバラ・スタンウィックは「レディ・イブ」の撮影で貴重なひとときを過ごしました。「(フランク)キャプラの現場は重苦しくて教会の大聖堂(cathedral)みたいだったけど、プレストンのはお祭り(carnival)みたいに楽しかった。ヘンリー・ファンダも素晴らしい役者で、彼はどんな時でもセリフを覚えてきてたので、周りから親しみを込めて”ワンテイク・フォンダ”と呼ばれたわ。」この映画での共演の後、ヘンリー・ファンダもまたバーバラをこれまで共演してきた女優の中で最も理想的な相手役とみなしていました。この映画のタイトルをもじってレディ・ジェーンと呼ばれていた彼の娘ジェーン・フォンダの4歳の誕生パーティーで、ジェーンはバーバラの膝の上をはね回っていたということです。撮影現場は活気に溢れていて、俳優達は撮影の合間に着替え用のトレーラーに戻る代わりに、才気煥発なスタージェス監督と一緒にキャンバス地の椅子に座って、彼の話す面白い話に耳を傾けたり、一緒にセリフの稽古をしながらくつろいでいました。バーバラのベッドルームのシーンでは雰囲気を出すために監督自身がバスローブを着て現場にあらわれました。
「レディ・イヴ」の中でフォンダは何度も何度も尻もちを繰り返します。「愛の尻もちというアイデアはたまたま思いついたんだ。みんなくどすぎて好きじゃないみたいだけど、自分では面白いから気に入ってる。仲のいい友人やシビアな批評家達はみんな尻もちのシーンを5回から3回に減らした方がいいって言ってたけどね。」スタージェスは書き記しています。「映画を撮るということは大きなリスクを背負うことでもある。周囲の反対をかわしつつ綱渡りのような心境で物事を進めなくてはいけないし、時には気前良くお金を使わなければならない。観客を笑い転げさせる映画を作るには、現場の雰囲気というのが大事で、もし現場の雰囲気が良くなかったら、出来上がったものも全然面白くなく見えてしまう。監督の演出と役者の演技は密接に関わってるんだ。だから私はヘンリー・フォンダがソファーにひっくりかえる時には十字を切るし、カーテンを引きちぎる時には手で左耳をおさえる。ローストビーフにぶつかる時には身をよじって笑うのに耐えてるんだよ。」
主演女優のバーバラについてのスタージェスのコメントです。「バーバラ・スタンウィックはほとんど演出を必要としない、天賦の才能を持った女優でした。彼女はそれはもう圧倒的に素晴らしくレディ・イヴそのものだったのです。」バーバラもまたこれ以上の至福の時はなかったとニューヨークタイムズの記者に当時を述懐しています。「スタージェスは私たちにそのセリフがどのくらい好きかってことを尋ねるの。もしそのセリフが気に入らなければ私たちはそれを率直に言ったわ。彼は脚本家が馬鹿な奴ばっかりだからってそのセリフを変えてしまうんだけど、知っての通り彼自身が脚本家だから自分で全部書き直してるってことなのよ。」

「イブは私にとってはこれまでにない斬新で新しい魅力的なキャラクターだったし、この映画から私はイディス・ヘッドのデザインによる衣装を着るようになりました。」
パラマウントがバーバラに与えた衣装は大変豪華なものでした。イディス・ヘッドの長所はシンプルでありながらも優雅で洗練された衣装を作り出すことで、特に「レディ・イヴ」で彼女はこれまでで最も力の入った衣装を作り上げました。ここで使われた25着の衣装はバーバラをたちまち流行を作る最先端の人間、1940年代のシンボルとして祭り上げたのです。バーバラ自身もこれまで着た衣装の中で最も美しいものだと言って、最新ファッションのアドバイザーとしてイディスを賞賛しました。
「この映画以後、私とバーバラの人生は一変しました。バーバラは初めて最新スタイルのファションを身につけることになり、それは彼女にとって大きな変革時期でもあったわけです。」1979年にイディスは当時を振り返ってこう言っています。「バーバラは当時活躍していたどんな女優と比べても均整の取れた素晴らしいプロポーションをしていました。にもかかわらず、他のデザイナー達は彼女のウエストからヒップのラインが長いことを問題にしていて、お尻の部分が重く見えるからという理由で彼女にストレートスカートを履かせことを躊躇していました。だから私はウエスト部分をひろげてお尻の部分を少しせばめることでお尻をぴったりの位置に持ってきて、ヒップラインをきれいに見せその美しさを強調したのです。」
スタンウィックは自分をイメージチェンジしてくれたイディスを信頼し、感謝の意を込めて彼女のために歯を矯正する医者を紹介してあげました。「イディスはいつも笑うとき手で口をおさえていたんだけど、それがどうしてかわからなかった。でも彼女が歯を見せてくれたとき、その理由がやっとわかって、歯の病気ってわけじゃないんだけど、いくつかの歯が欠けていてひどい状態だった。何軒か歯医者に行ったけどうまく治療できなかったと彼女が言うから、私は自分のかかりつけの医者ならなんとかしてくれるかもしれないって教えてあげたのよ。」
神経質なスターや監督達を物腰やわらかになだめながら自分の仕事に誇りを持って邁進するイディスの態度にバーバラは感服していました。1930年の初頭以来、スター達はプライベート用の服も映画会社の衣装部に作らせてお金を払っていました。イディスはバーバラのプライベート用の衣装のために背中と肩と前身頃に葉のモチーフをつけた床までとどく黒のロングドレスと、華麗な黒のミンクをつけた白いクレープスーツをデザインしました。バーバラのこういった私生活でのファッションはゴシップ欄もにぎわせ、記者がバーバラの養子ディオンにこっそり聞いた話では、衣装代に6ドルしか請求しなかったイディスに対して、バーバラは数百ドルを上乗せしたということです。

「レディ・イヴ」の撮影は当初のスケジュールから2日だけ遅れて41日間で終了しました。無事終了を祝うため、スタージェスはサンセット大通りにある自分のレストランを貸切にして、キャストや製作スタッフ、スポンサー、一般観衆も呼んでパーティを開きました。撮影されたフィルムはハリウッド黄金期の充実した設備でもって編集、音付けが行われ、撮影開始から3カ月半というハイスピードで仕上がります。そして1941年の2月26日水曜日に劇場公開されたこの映画は、最初の3週間で11万5,700ドルを稼ぎ出したのです。
長いアメリカ映画史の中において、「レディ・イヴ」はクラッシックな作品とみなされています。それはスタージェスの監督としてのキャリアの目の眩むような絶頂のひとときでもありました。1959年に死んだスタージェスはアメリカンドリームの体現者であり、ハリウッドきっての風刺家でした。この映画はスタンウィックが出演した中でもっとも波乱に富んだコメディでしたが、彼女は自分のことをコメディエンヌとは考えてなかったようです。「私が出るのは軽いコメディじゃなくてスラップステック(ドタバタ)なのよ。」スタージェスの冴えのある脚本と演出は彼女が自分でも気づかなかった才能を開花させました。1982年に映画評論家のポーリング・ケイルがこの作品によせたこんなコメントがあります。「”レディ・イブ”は”赤ちゃん教育”同様、スラップスティックのビジュアルイメージと機知に富んだ会話をミックスした映画でした。バーバラ・スタンウィックが美しい足を投げ出す度にヘンリー・フォンダが引っかかって尻もちをつくという反復は、二人のスターをこの上なく魅力的に見せたのです。」



*注釈*
船上でのトランプ詐欺師というのは今ではもういなくなりましたが、メアリー・オールは1946年にコスモポリタン誌に「The Wisdom of Eve」というスタンウィックの役柄を使った小説を発表しました。そこではイヴ・ハリントンという登場人物が描かれており、4年後ジョセフ・マンキーウィッツはこの小説を元に映画「イヴのすべて」を作ります。イブ・ハリントンはアン・バクスター、彼女に女優の座を奪われる年老いたスターをマルゴ・チャニングが演じました。

以上 「Stanwyck」by AXEL MADSEN の「レディ・イヴ」の項より抜粋



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