プロフィール



ピーター・ファレリー(右)
1956年 ペンシルバニア州フェニックスヴィル生まれ

ボビー・ファレリー(左)
1958年 ロードアイランド州キャンバーランド生まれ




二人はロードアイランド州のキャンバーランドという街で育ち、家族一緒の夕食の席で兄ピーターは弟のボビーと一緒
にコメディのセンスを磨いていきました。ピーターはプロヴィデンス大学でビジネスを学んだ後、コロンビア大学でクリ
エイティブライティングを専攻して卒業。ボビーはニューヨークのレンセラー工科大学卒業後に世界で最初に巻きビー
チタオルを売り出した会社で働き始めました。ピーターは後に共同脚本のパートナーとなるベネット・イエリンに出会っ
てから創作活動に力を入れ始め、ピーターが一番最初に書いた脚本『Dust To Dust』をエディ・マーフィーが気に入っ
たことからプロの脚本家としてはじめて注目され、1985年にロサンジェルスへ行きます。ボビーも途中で参加し、ピー
ター、ベネット、ボビーの三人のチームで書いた脚本はコンスタントに買われましたが、どれも最終的には映画にはな
りませんでした。ピーターは1987年、最初の小説『Outside Providence』が出版される前の年に、才能を買われてズ
ッカー兄弟達と一緒にNBCの特別番組『Our Planet Tonight』のコメディの脚本を書きました。最初の大きな仕事は
1992年にNBCの人気番組『Seinfeld』のエピソードを2本書いたことです。そして多くのプロジェクトが頓挫した後、ピー
ターはそれまでまったくカメラを持ったことがないにもかかわらず、最初の作品『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994)を
監督することになったのです。


ジム・キャリー、ジェフ・ダニエルズ
『ジム・キャリーはMr.ダマー』

メル・ブルックスの『ブレージングサドル』(1974)、ジョン・ランディスの『アニマル・ハウス』(1978)、そしてジム・エイブ
ラハム&ズッカー兄弟の代表作『フライングハイ』(1980)をインスピレーションを与えてくれた作品としてあげるピーター
は誰よりも頭がいいとうぬぼれてるようなコメディの主人公像にうんざりしていたこともあり、当時人気急上昇中だった
ジム・キャリーを主役にした二人組のバカが活躍する映画『ジム・キャリーはMr.ダマー』を作りました。公開後、この
映画は驚くべきヒットを記録し、1600万ドルの制作費に対して最終的には3億ドル以上の興行収入を稼ぎ出します。

しかしながら2作目の『キングピン ストライクへの道』(1996)の興行成績はふるわず、制作費の2500万ドルをなんと
か回収できた程度でした。この映画の不振はロジャー・エルバートのような批評家達がファレリー兄弟の映画は下品
で厚顔無恥だと馬鹿にしたから、製作会社のMGMが公開時の宣伝に力を入れなかったからだとピーターは不満を
もらしています。この映画からピーターがカメラの後ろで俳優たちを演出し、ボビーがモニターでそれをチェックするとい
う二人のスタイルが確立されます。


『キングピン ストライクへの道』

ボーダーギリギリの荒唐無稽なギャグを繰り出し、下品なジョークがまったくの新しいレベルにまで達した3作目『メリ
ーに首ったけ』(1998)は大ヒットとなり、興行成績は返り咲きました。ボーダーを越えないよう、ファレリー兄弟は公開
前に多くの観客に対してテスト試写を行ない、観客が笑わなかった部分を少しばかりカットしています。これまで16歳
の青年を対象に映画を作っていたファレリー兄弟でしたが、この作品ではベン・スティラーとキャメロン・ディアスを主役
に据え、(一風変わったシーンがありますが)ロマンティック・コメディのジャンルへと踏み出しました。この映画はゴー
ルデングラブ賞のベストピクチャー賞とベストコメディ賞の2部門にノミネートされ、MTVムービーアワードをはじめ数々
の賞を受賞。ピーターはこの年に2作目の小説『The Comedy Writer』を出版しています。

ファレリー兄弟は荒唐無稽な映画を作っていますが、その撮影現場は小道具係のアイデアが採用されるほど自由で
民主的な雰囲気であることはよく知られています。前例にまったくこだわらないという二人の考え方をベースに、二人
の映画と二人が見込んだ才能ある人間をデビューさせるための製作会社コナンドラム・プロダクションが作られ、その
第1作『Outside Providence』(1999年)は、ピーターが1988年に書いた小説の映画化で、二人はプロデューサーとし
て裏方にまわり、自分達と同じロードアイランド州出身のマイケル・コレントがこの映画を監督しました。しかしながら
70年代を舞台にした思春期の物語はファレリー兄弟のトレードマークである馬鹿げた可笑しい部分がなかったため、
製作会社であるミラマックスの宣伝キャンペーンはやりにくかったようで、社長のマーク・ギルは1999年8月30日のロ
サンジェルス・タイムズ紙で会社の立場をこのように弁解しています。「映画を宣伝するにあたって、観客に向けて何
度か試写会をするわけだが、その試写会ごとにこの映画はあのとんでもないコメディを作るファレリー兄弟の映画だっ
て言い続けてきた。観客は映画を見てがっかりすることもなく、むしろこの映画を本当に気に入ってくれた。見てすぐ
に満足してくれたんだ。僕らがファレリー兄弟に言ったことと少し違うって?でも、それが事実なんだよ」これに対して
ピーターは「この映画はシリアスな内容だから『グッド・ウィル・ハンティング』のような宣伝をすべきだった」と反論して
います。


『Outside Providence』

ジム・キャリー演じる二重人格者をめぐって賛否両論だった4作目『ふたりの男とひとりの女』の興行成績は前作ほど
思わしくありませんでしたが、その翌年の2001年、ファレリー兄弟は近親相姦コメディ『ギリーに首ったけ』にプロデュ
ーサーとして関わり、アニメと実写を合成した『バクテリア・ウォーズ』(日本では劇場未公開)の実写部分を監督しまし
た。『バクテリア・ウォーズ』は体内の勇敢な白血球が体を守るというストーリーで、体内部分がアニメ、体外部分が
実写というユニークなアイデアで作られており、実写部分にビル・マーレー、アニメ部分の声優としてクリス・ロックとロ
ーレンス・フィッシュバーンが出演しています。しかしながらこの映画もヒットしませんでした。続いて外見は太ってい
るけど内面は美しいという役柄にグィネス・パルトロウ、その相手役にジャック・ブラックを起用した『愛しのローズマリ
ー』を監督。批評家からは真剣なメッセージとギャグが噛み合っていないという批判がありましたが、観客はそれほど
嫌悪感なくこの映画を受け入れました。2003年に公開された『ふたりにクギづけ』はファレリー兄弟がベネット・イエリ
ンと三人のチームで書いてた頃の脚本の映画化で、シャム双生児を題材にしています。体のつながった兄弟をマッ
ト・デイモンとグレッグ・キニアが演じましたが、この映画は障害者を馬鹿にしているという批判を浴び、興行成績も思
わしくありませんでした。2004年9月からFOXテレビで二人にとっては初のTVシリーズとなる『Why Blitt』を監督する
ことになり、2005年には『Three Stooges』のリメイクとニック・ホーンズヴィーの小説をサッカーから野球に置き換えて
脚色した『Fiver Pitch』の公開が予定されています。


ドリュー・バリモア、ジミー・ファロン
『Fiver Pitch』




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