Creative Loafing


ジム・キャリーとファレリー兄弟




「どこまでやるつもりなのか?」「二人にはボーダーラインってものがないのか?」ピーターとボビーのファレリー兄弟に
は昔から同じ質問が浴びせられる。しかし二人はいつもボーダーの外にいる。どうして二人はボーダーの外にいるの
だろうか?二人が共同執筆、共同監督した下品なコメディ『ジム・キャリーはMr.ダマー』『キングピン ストライクへの
道』そして『メリーに首ったけ』は好評を得た。二人の映画をウディ・アレンの撮る知的な映画と見まちがえる人はいな
いはずだ。

「僕らはただ椅子に座って『メリーに首ったけ』の中のヘアジェルのシーンを考え出したわけじゃない」43歳になるピー
ターは言う。「そういったギャグを作るのは僕らにはたやすいことさ。難しいのはギャグを生かすためのキャラクター作
りなんだ。プロット以外で僕らが最初に考えるのは観客にギャグで笑ってもらえるような感じのいいキャラクター、そう
この映画ではベン・スティラーからメリーにいたるまで、m物語に登場するすべての人物たちを作る出すことなんだ。ベ
ンが耳から精液をぶらさげるシーンがあるけど、それは彼をからかってるわけじゃない。僕らはベンを感じのいい人間
として描くことに時間をかけた。ベンがメリーの知恵遅れの弟をいじめてる奴らから守ってあげた最初のシーンを覚え
てるかい?」

42歳のボビーは兄に同意する。「もし僕らの映画からギャグをなくせば、本当にうんざりするような甘ったるいストーリ
ーになってしまう。『アメリカン・パイ』(1999)、『ロード・トリップ』(2000:日本未公開)のようなコメディには欠けているセ
ンチメンタルな側面が僕らの映画にはあるんだ。多くの場合、これらの映画の作り手はおさえどころを間違ってる。『ロ
ード・トリップ』にも3回か4回は大きな笑いがあるけど、いいところまでいってるのにおさえどころを間違ってるシーンが
少しばかりあるんだ。僕らのように作ればいいって言ってるわけじゃないよ。でもうまいことやらなきゃ、主人公達が盲
人のために学校からバスを盗むだけの映画になってしまう。そこが僕をイライラさせるんだ。登場人物達は単なるバカ
だし。もっと感情に訴えかけるものがあればいい映画にできたのにね」

二人の最新作『ふたりの男とひとりの女』はジム・キャリーをロードアイランド州の州警察官にキャスティングしてい
る。ジムの役は精神分裂症で、温和なチャーリーと短気なハンクという二つの人格を持っていて、ふたつの人格が同
時にレニ・ゼルウィガーが演じる憐れなヒロインを好きになる。肉体を駆使して躁鬱病を表現するのが得意なジム・キ
ャリーのために作られたように映画の思われるが、実は二人が10年ほど前に初めて書いた脚本が元になっている。



二人の映画の低俗で滑稽な表現が好きなファンは、『ふたりの男とひとりの女』に大きな張形をめぐるギャグや手足
を縛られた警官がお尻に生きた鶏を突っ込まれるギャグなど、これまで同様の露骨なユーモアがたくさんあることにさ
して驚きもしないだろう。しかしファレリー兄弟がこの映画ではセンチメンタルな側面に力を入れていると言われると動
揺するかもしれない。物語で中心になっているのはジム・キャリーとレニ・ゼルウィガーの関係である。(二人は映画と
同じようにロケ中に結ばれた)

「この映画のような多くのロマンティックコメディがかかえてる問題点は可愛い女の子は実際にはちょっと間抜けな男
と恋に落ちるだろうって観客が信じていることなんだ。そもそも最初の脚本からその問題点がつきまとってた。僕らは
変なヤツだけど同時に愛すべきヤツっていうジムのキャラクターをどうやって作り上げればいいのかわからなかった。
でも3人の元気な黒人の子供のことが思い浮かんで、ジムとレニがベッドで横になってるシーンで子供の写真を見せ
るのはどうだろうって考えて、それが口火を切ってくれた。これならレニはジムと本気で恋に落ちるだろうってね」ボビ
ーはニヤリと笑って言う。



「みんなは僕に『メリーに首ったけ』で一番好きなシーンはどこかって聞くんだけど、ヘアジェルのシーンでも憐れな子
犬が虐待されるシーンでもないって言っても信じてもらえないんだ」ピーターは言う。「僕にがこの映画でうまくいったと
思うところは、みんながキャメロン・ディアスにメロメロになるんだけど、マット・ディロンがベン・スティラーに彼女はデブ
になって生活保護を受けてるって嘘をついても、ベンはとにかく彼女を探し出そうとしたところなんだ。ベンは彼女に対
していつも抱いていた思いを簡単にくじくことができなかった。彼こそ彼女にふさわしい男だと思わないかい?」

『ジム・キャリーはMr.ダマー』で一緒に仕事をして以来、お互いが大いに出世したファレリー兄弟とジム・キャリーが
『ふたりの男とひとりの女』で再びタッグを組んだ。『エースベンチュラ』で有名になる前の当時のジムは今のように
2000万ドルを稼ぐスーパースターではなかった。そんなジムだが、今回の映画のギャラは600万ドル。「ジムは富と
か名声に興奮ような人間じゃないんだ」ファレリー兄弟は言う。

「ジムは僕が知ってる限り現場に携帯電話を持ってこない唯一の映画俳優だ」ピーターは言う。「俳優達は多忙な毎
日を送っている。みんないつもマネージャーや宣伝マン達と話してるんだけどジムはそんなことをしない。取るのは娘
からの電話だけ。現場に来て、三ヶ月間猛烈に働いて去っていく。彼は本当のプロだったよ」



ピーターはちょっと考えてからこんなことを言った。「『トゥルーマンショー』は評判どおりのいい映画だった。でもあの役
をやれる俳優は50人はいるだろう。『ふたりの男とひとりの女』のような映画の肉体的要求をうまくやってのける俳優
は一人しかいない。他の誰かにできるとは思えないよ。もしジムが出てくれなかったら僕らも監督するつもりはなかっ
た」

『メリーに首ったけ』の大ヒットのおかげで、ファレリー兄弟にはどんな変化があったのだろうか?ボビーが説明してく
れた。「まったく変わってないよ。映画の製作会社である20世紀FOX社から信頼されて、ちょっとだけ仕事がやりやす
くなったことぐらいかな。『メリーに首ったけ』の時にはいくつかのシーンでやりすぎだって文句をつけられたけど、今度
の映画では少し規制を甘くしてくれたからね」

「もうそろそろ普通のシリアスな映画も作れることを証明してみせたらどうかなっていつもみんなに言われるけど、僕ら
にはそんなドラマを作ってみたいっていう欲求がないんだ」ピーターは言う。「『シックス・センス』のような映画を見て、
僕にもこんな映画を作れたらなあとかこんなアイデアを思いつけたらなあって思うよ。でも誰だってそう思うだろう?」

話は変わるが、ファレリー兄弟は自分達の新作『ふたりの男とひとりの女』(原題:Me, Myself and Irene)が少し前に
公開されたオーストラリア映画『Me, Myself, I』と混同される可能性があることについてはあまり気にしていない。ピー
ターは笑いながら言う。「ジムや僕達の映画のファンが間違ってラケル・グリフィンのアート映画を見に行くなんて考え
られないよ」







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