![]() ![]() ![]() 精までも笑いに結びつける感覚はコメディの新しいジャンルを生み出した。順風満帆な二人であるが兄のピーターは こう言っている。「なにもかもがうまくいってたわけじゃない。僕達は学校ではいい生徒ではなかったし、社会に出てセ ールスマンとして働いたこともあったけどひどいものだった」 大学を出たピーターはコロンビア大学のライティングプログラムを専攻することを思い立ち、そこで将来の脚本家のパ ートナーとなるベネット・イエリンと出会う。ピーターとベネットは1985年にロサンジェルスへ移り、最初の脚本を書き上 げて、脚本家としてのスタートを切った。二人で書いた脚本を更に磨き上げるためにピーターとは17ヶ月違いで生ま れた弟のボビーにアドバイスを頼んでいた。その時ボビーは世界で最初に巻きビーチタオルを作ったロードアイランド 州のサンスポット社で働いていたが、1989年に一緒に仕事をするためにハリウッドへやってきた。三人は1990年に 『ジム・キャリーはMr.ダマー』(Dumb&Dumber)を書き、この脚本は1994年にピーターの最初の監督作として製作さ れることになった。ファレリー兄弟はそれから2年に1本というペースで作品を作り続けている。1996年の『キングピン ストライクへの道』(Kingpin)はバーリー・ファナロとモルト・ネイザンの脚本にかなりの手を入れてリライトしたが二人 の名前はクレジットされていない。1998年『メリーに首ったけ』(There's something about Mary)、2000年『ふたりの 男とひとりの女』(Me, Myself and Irene)。そして最近は二人の友人でもあるマーク・ハイマンが脚本を書いたこの夏 に公開される『Osmosis Jones』の実写部分を監督した。 『愛しのローズマリー』(Shallow Hal)でファレリー兄弟はこれまでのギャグを中心としたユーモアから登場人物のキャ ラクターをベースにした笑いに移るという次のステップへ踏み出している。この映画のストーリーは二人の友人であり ルームメイトでもあったショーン・モニハンによって考えられたもので、美女を追い求めて失敗する平均的ルックスの男 の話である。 主人公のハルは自己催眠術の権威であるトニー・ロビンスと出会い、人の外面でなく内面が見える催眠術をかけら れ、その結果ローズマリーという肥満女性がとびっきりの美女に見えるようなる。「僕が興味深いと感じたのは、国か らも盲目と認定されたショーンが内面の美しさについての物語を書いたことなんだ」ピーターの指導と力添えもあり、 ショーンはファレリー兄弟の次回作となる脚本を書き上げた。 注:Creating Screenwriting誌は兄弟ひとりづつに分けてインタビューを行ない、この記事を作るにあたってそれをひ とつにまとめた。弟のボビーのインタビューが9月のはじめ、その翌週がピーターという具合に。この2つのインタビュ ーの間に9月11日のテロがワールドトレードセンターとペンタゴンで起こった。兄弟は9月10日の朝、ボストンからロス へ飛行機で移動した。もし一日遅かったら二人はワールドトレードセンターに突っ込んだ飛行機のひとつに乗ることに なっていた。ピーターとボビーはテロの知らせを聞いて、レンタカーで車を借り、妻と子供のもとへ4日間かけてロスか らロードアイランド州まで縦断した。この恐ろしい惨事の影を引きずっている中で、どうやって人を笑わせるのかという 話をするのはいくぶん不謹慎なことに思える。しかしこの悲惨な出来事はコメディの存在価値の理由をピーターに与 えることになった。悲劇の時代においてコメディは人々に癒しを与える力を持っているのだと。 ![]() ピーター: ショーン・マニハンが僕にアイデアを持ってきた。僕達は一緒にストーリーを作り上げて、ショーンが脚本を書きなが ら、それを僕とボビーに手渡すという形で進めていった。もとはショーンのアイデアだけど、脚本を書き始めるスタート の時点から僕達は一緒だったんだ。 ボビー: ショーンは立派な脚本を書いた。問題はその中には月並みなセリフがたくさんあったことだ。ピーターと僕は自分達の 言葉になるよう4〜5回脚本を手直しした。これまでと同じようなパターンで次に何が起こるかってことを観客に気付か れないようにするために、ありきたりな部分をどんどん書き換えていった。例えば元の脚本ではハルは自分の将来を 占ってもらうために占い師のところへ行く。占い師がハルに呪文を唱えると他人が違って見えるようになる。物語の重 要な部分だけど、僕達はそのままではまずいと思ったんだ。魔法なんて、観客にそれが実際に起こったことだって信 じられる範疇を超えてるよね。占い師っていう設定はリスキーで、観客に現実味を感じてもらえるかまったく確信でき なかった。だから僕達はハルをエレベーターの中でトニー・ロビンスに会わせてハルの精神作用を変えさせるように設 定を変更した。トニーが実際こんなことできるかどうかわからないけど観客はトニーならやるかもしれないって思うだろ うって考えたんだ。こういう風に僕達はありきたりのやり方とは違った新しいオリジナルなものを作り上げた。トニー・ロ ビンスは実在の人物だ。もし一日中彼と一緒に過ごしたら物の見方が変わることもあるかもしれないしね」 コメディの脚本作りは、しばしば難航することがあるようですが、『愛しのローズマリー』もその例外ではない と思います。この映画の脚本作りはスムーズにいきましたか? ボビー: このことが脚本家協会の意向に真っ向から反対してるかどうかはわからないけど、僕らは1本の映画の脚本を詳しく 検討する前に、頭が良くて面白い友人を10人ばかり集めて、一緒にその脚本を補強していくんだ。10人のうち誰かが 脚本を良くする方法を思いついたらいつでもそいつの意見を聞くようにしている。誰かがこのギャグはいけてないって 言えばそれにも耳を傾ける。どの映画でもそれをやってきた。脚本を何度も読んでると、脚本に愛着を持つようになっ て欠点がわからなくなることがある。だから誰か他の人間を連れてきてそいつに脚本を読んでもらう。そいつが「この 登場人物あるいはこのシーンが好きじゃない」って言えば、後戻りして再検討しなければならない。そいつをぶん殴っ て「お前が間違ってる。俺達が正しいんだ!」ってカッカするよりも冷静になったほうがいい。そいつが言ってることに も意味があるはずだ。「君がそういうのもわかるけど僕達はこういう風にしたいんだ」って何度も説明する。『愛しのロ ーズマリー』では自分達が招き入れたジェフ・ロスがそうだった。ジェフは僕達がコメディアンとしても尊敬する素晴ら しい人物だ。とっても面白くて、鋭くて、人柄もいい。ジェフが何か言ったら僕達は耳を傾ける。ジェフは占い師からトニ ー・ロビンスに変えることに異論を唱えた。僕達はこの設定の変更が脚本を強化する方法だと思っていたけど、ジェフ の意見も聞いてみて、1時間ほど話し合い、みんなで意見を出しあった。物語の枠組みを壊しかねないと感じてトニー を出すことに反対する人間もたくさんいた。でも最終的にはみんなこの意見に賛成してくれた。テーブルに座っていて も他にいいアイデアが浮かんでこなくて、次第にみんなが僕達の案がいいと思うようになって、この案に決まった。面 倒でもこの過程は必ず踏まなきゃならない。ジェフはすぐさま5つの代替案を持ってきたしね。 ![]() るという単に甘ったるい物語になるって言ってますよね。『ふたりの男とひとりの女』『愛しのローズマリー』 この最近の2本の作品ではよりエモーショナルな感情に訴えかける作品に移行しているように見受けられま すが、これは意図的にやっているのでしょうか? ピーター: 僕達の目標は観客にエモーショナルなものを感じさせるコメディを書くことなんだ。これまで作ったすべての映画にも 少しはエモーショナルなテイストがあったし、これからはそこを強調していくつもりさ。でも重苦しくするつもりはまったく ないよ。とっても下品な『ジム・キャリーはMr.ダマー』にだって、ジムがジェフ・ダニエルズにアスペン(コロラド州中部 の村)に行こうって言う最初のシーンにそのエモーショナルな部分があった。ジムが窓の外を見てこう言うんだ。「僕 には友達がいないし、何も持っちゃいない」ジムは真剣な表情で演技して涙を流す。僕達の作るコメディではキャラク ターに多面性を持たせなければならない。そうしないと退屈な映画になって、最後まで持続しないからね。実際、この 映画の製作会社であるニューラインシネマとの間でこのたった30秒ほどのシーンをめぐって激しい言い争いになっ た。ニューラインシネマが言うには「一体どういうことなんだ。これはコメディ映画だ。誰もこんなシーンを欲しがっちゃ いない。」僕達は熾烈に戦ったよ。この後にジムが車椅子に乗った盲目の少年に死んだ鳥を売りつけるシークエンス があるから、このシーンは絶対に必要だって考えたんだ。事前のこのエモーショナルなシーンがうまく作用してはじめ て、観客はジムに愛着を持つようになるからね。僕はいつも自分達の映画が観客を大笑いさせながら、何かを考えさ せて、少しでもそこにあるエモーショナルな部分を感じてもらえればいいと思っている。最新作『愛しのローズマリー』 もそういう映画であって欲しい。 ボビー: みんなは下品なギャグに目が行きがちだけど、僕達はいつだって映画の中にエモーショナルな部分を持つように作っ てきたつもりだ。もちろん下品なギャグを入れてるから、そこにばかり話がいくのは仕方ないんだけど、僕にとってそう いったギャグはいつも映画が本質的にはスウィートな物語だってことをカムフラージュする役目を果たしている。なん の笑いもないスウィートな物語を書くのは僕達には馴染まないし、それは僕達のスタイルじゃない。 ロマンティックなドラマを作る気はあったのですか? ピーター: 『愛しのローズマリー』これまでの作品よりドラマティックなものにしようとしているけど、そこに笑いのないドラマを作る 気はない。それは僕達の世界じゃないからね。僕達はアメリカの歴史の中でも最悪の時代に生きてるけど、僕達のこ れまでの映画にはたくさんの笑いがあった。そしてこれからは少し涙も入れてみようと思ってる。僕達にとっては幸い なことだけど、人生において最低の時期でさえも、人は笑うことができる。だから単なるまじめなドラマは作る気はな いんだ。 ボビー: 僕たちの長所は人々が笑うものを作り出せること。特に人がどう感じていいかわからない時に笑うような笑いをね。ち ょっと居心地の悪い気分から笑いに持っていくのが得意なんだ。 ![]() 色素が薄い登場人物たちをたまたまそうなってしまった普通の人々として描いているように見受けられま す。多くのシーンにおいて、そのユーモアは体の不自由な人でなく、他の人たちを対象に生み出されていま す。 ボビー: 映画にははたくさんの宣伝文句がある。脚本を読む前や映画を見る前にはたいていいつも宣伝文句があって、例え ば、『ふたりの男とひとりの女』で言えば"多重人格者"という具合にね。今度の『愛しのローズマリー』では多くの人 がファレリー兄弟は"デブ"を売りにしてるって思ってるだろう。でもそうじゃない。その逆なんだ。僕達は自分達の映 画の登場人物たちを愛してる。みんな心に傷を持ってるけど、素晴らしい人間性でもって、その傷を克服していく。た いていの人は映画の中で体の不自由な人を見るのを快く思わない。でもそんな事情は体の不自由な人にはまったく 関係がない。彼らも単なる普通の人間なんだからね。僕らと同じで、いつだって僕らのまわりにいる。どうして(他の 映画では)彼らが物語の中に入れないのかな? あなた方兄弟とベネット・イエリン氏の3人でグループを組んで、『ジム・キャリーはMr.ダマー』のヒットの前 に15本の脚本を書いてますが、その後のすべての映画は既存の脚本を使ってリライトしています。リライト 作業の魅力は何ですか?オリジナル脚本はもう書き尽くしてしまったのですか? ボビー: 僕はリライト作業が僕達のベストのやり方だって思ってる。僕らはオリジナル脚本の中にあるいいアイデアのポテンシ ャルを見極めることができる。僕達なら違ったものになるってことがはっきりとわかるんだ。だからリライトはまったくの オリジナルなアイデアを考えるよりも、スタートポイントにおいて有利なんだよ。もし自分達でオリジナル脚本が書けた なら、僕らもそれを映画化したいよ。でもいつだって誰かが僕達に脚本を送ってきて、結局はそれを読む羽目になる。 「うーん、ピーター、こいつはかなり見込みのある脚本だよ。僕らが本気で取り組めば面白いものになるんじゃないか な」って具合にね。 自分達で脚本を作れたらそれにこしたことはない、あなたがそう考えているようにも聞えますね。 ボビー: そうだよ(笑)。もし椅子に座って120ページもの脚本を書くのに十分なアイデアを思いついたなら、どんな脚本家だっ てそれを書くのがどれだけハードなことか、どれだけ多くの時間と労力をかけなきゃいけないかを知っている。友達や ガールフレンドとドライブする時間も削らなきゃならない。それだけ苦労して書いたものだから、脚本家はみんな自分 が書いたものを心の底からいいストーリーだって思ってる。そして多くの場合、彼らは正しい。僕たちならうまくやれる って思わせるちょっとしたインスピレーションを感じさせる脚本は結構多いからね。 ![]() されませんでした。他に参加している脚本家もその作品への貢献をクレジットされていません。スクリーン上 にクレジットされる脚本家の人数を制限している脚本家協会のやり方についてどう思われますか? ピーター: 脚本家協会については複雑な気持ちがある。僕はまさに協会の組合員でその存在をとてもありがたく思ってる。脚 本家はみんなそう思ってるはずだ。でも協会が映画に参加したすべての脚本家をクレジットさせないことに愕然として いる。本当にひどいことだよ。現実には多くの映画で5〜7人の脚本家達が参加してる。でも協会はクレジットされる のは最も作品に貢献した数人の脚本家だけだとしている。ひどい考え方だ。撮影現場にドーナツを運んできた奴だっ て映画のエンドクレジットに名前が出るのに。 クレジットされている脚本家の大切さをないがしろにするつもりでこんなことを言ってるわけじゃないよ。実際クレジット されている脚本家はその脚本の52%は書いてるわけだし。でも残りの48%を書いた脚本家も映画の最後にクレジット されるべきなんじゃないかな。これは僕や多くの同業者からの提案だけど、タイトルクレジットに何かグループ名をつ けて、最後にアディショナルライターとして複数の脚本家の名前をクレジットさせるっていうのはどうなのかな。たとえ1 語でも書いたなら、脚本家としてクレジットされるべきなんだ。いつも30%、40%も書いてるのにクレジットされないなん てひどいと思わないかい。いい脚本はいつだって正直なものなんだ。6人で書いてるのに映画では2人しかクレジット されないって不正直だよ。これは真実じゃない。脚本家にとって屈辱的なことだと思ってる。 そう、『キングピン ストライクへの道』では嫌な経験をした。僕達だってクレジットされるには十分なほど脚本に協力し たのにクレジットされていない。実際、映画を作るにあたって、いいものに仕上げるのに10人分の知的創造力が必要 ってことなら、僕達は10人の脚本家を使う。かなり貢献してくれたのにクレジットされない脚本家がいるなんて、エンド クレジットを見てると腹立たしくなるよ。ちゃんとクレジットされてたら、うれしいだろうし、後々には孫にも自慢できる。 脚本家協会が多くの脚本家をクレジットさせないのは一番貢献した脚本家の功績をないがしろにさせないためなんだ ろうけど、そうじゃない。クレジットされない脚本家の功績だって加えられるべきなんだ。それは脚本家協会に参加し てる脚本家すべてを救うはずだ。エンドクレジットで参加した脚本家の人数を偽るような嘘はうんざりだよ。それは真 実じゃない。真実はいつだって正しいものなのだから。 ベネット・イエリン氏は1992年にあなたがたの脚本作りのチームから離れましたが、それは製作されない映 画の脚本を書くのに飽きたからだそうですね。 ピーター: そうだ。ベネットは疲れ果てたんだよ。僕達は7年間も脚本を書き続けて、なんとか生計を立ててたけど、彼にとって はもう限界だった。僕と弟のボビーはいつも書いた脚本がそろそろ映画になるんじゃないかって思ってた。他の映画 を見ては、「どうしてこんなくだらない映画が作られて僕らの脚本は映画にならないんだろう」って思ってた時代さ。家 に電話したら父親が言うんだ。「一体何をしてるんだ?お前達の映画はどうしたんだ」ってね。僕はいつもこう言って た。「パパ、もうちょっとの辛抱だよ。もうすぐ僕達の時代が来る」僕はきっと最後にはうまくいくって信じてた。でも別 の見方をすれば、僕の自信は脚本が作品化されるかどうかってこととは関係なかった。脚本家としてお金を稼ぐ目標 は達してたし、一方で小説家を目指してたしね。あくせくもがいてたけど、とても楽しかった。「ロサンジェルスで9年も 映画化されない脚本を書いてたなんて辛かったでしょうね」ってよく言われるんだけど、まったく辛くなかった。今と同 じくらい幸せだったよ。 あなたは以前に「あらゆる人間が幸せを追い求めているわけではない」って言ってましたね。 ピーター: そう。僕が脚本と小説を書いてた時は夢の中に生きていた。そりゃ作品化されないことにいくらかフラストレーションを 感じることはあったけど、誰だって生活の中にフラストレーションをかかえてる。たくさんのフラストレーションがあった からこそ、脚本や小説や書いてても、幸せだったんだ。いつもつまはじきされてるような感じだったよ。挫けそうになる こともあるけど、それがまた気分を引き立たせてくれるんだ。 ![]() が脚本を書く作業においてハリウッドで学んだことは何ですか? ピーター: 最初の5年間はプロデューサーや映画会社が欲しがるような脚本を書いてた。そう当時よく作られてた映画みたいな 脚本。彼らは流行りものを書くように命じたからね。だから僕らは流行の題材で面白い脚本に仕上げた。脚本を持っ て行く度に、映画会社の重役達に褒められたよ。「素晴らしい脚本だ。気に入ったよ。パーフェクトだ」でも彼らは僕ら の脚本を映画にはしないんだ。そしてやっと僕は気付いた。「どうして自分達が面白いって思えるものを書かないんだ ろう?」って。それで最初に思い切ってやったのが『ジム・キャリーはMr.ダマー』なんだ。書き上げた脚本をみんなに 見せたらこう言われたよ。「こいつは面白い。でも映画にはできないんじゃないかな。こんなバカな男が主人公のあま りにも馬鹿げた話ではね」そして4年間、この脚本は映画化されなかった。でもここで大事なことは、僕らがこの脚本 を書いたとき、その当時の映画とは全然違うものだったってことなんだ。 そしてもうひとつ大事なこと、それは書いた脚本を徹底的に見直すこと。まず1本のとてつもなく素晴らしい脚本を書き 上げたとしよう。そいつを書き上げたら、もうこれ以上できないくらいに良く仕上げてみて、それからまたこう考えるん だ。「こいつはまだ信じられないほどのいいものにすぎない。もっとよくする方法があるはずだ」ってね。たいていの人 はいいものができたと思ったらすぐに映画会社に送ってしまう。僕らはそんなことはしない。いい脚本ができても、そ のままにして、もう一度考え直して、こう言うんだ。「オーケー。さあこの脚本を驚異的に素晴らしいものにまで仕上げ ようじゃないか」って。ここが大事なんだ。『ふたりの男とひとりの女』の脚本は驚異的に素晴らしいものではなかっ た。いい脚本で満足はしてたけど、丁度『メリーに首ったけ』を作ったばかりの頃で、ちょっとばかり僕らはうぬぼれて たんだ。でも後になってわかったよ。「ちょっと待って。他の脚本もたくさん検討したけど、『メリーに首ったけ』の時ほど 必死にやってないんじゃないか」ってね。 あなたがたが賞賛するタランティーノ、ジェリー・サインフェルド、ラリー・デイヴィッド、ゼリーとデイヴィッドの ザッカー兄弟、ジェームズ・L・ブルックスといった創造力を持った才人たちはみんな独特のスタイルを持って います。 ピーター: 誠実で独創性のある人たちが好きなんだ。僕はウェス・アンダーソンとオーエン・ウィルソンの大ファンさ。『メリーに首 ったけ』の脚本を書き直していた時、途中の展開がちょっとばかりありきたりに思えるところがあって行き詰まってい た。「そう、もちろん男は彼女を見つけに行くだろう。でもそのためのうってつけの理由はどうしたらいいんだろう」知り 合いが僕に『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996年:原題Bottle Rocketウェス・アンダーソン監督作)を借りてみ てみればって言ってくれて、見たんだけど驚いたよ。素晴らしかった。いわゆる強奪物の映画にすることもできたと思 うんだけど、彼らはそうはしなかった。これは僕の想像なんだけど、最初は泥棒たちについての脚本を書こうとして て、登場人物達がモーテルに滞在して、メイドが出てきて、泥棒たちが注文をしだしてから、突然物語がああいう風に 進んでいくのを彼らはあるがままに受け入れていったんだと思う。 いい脚本はあるゆる可能性に対してオープンに作られている。僕らが『メリーに首ったけ』を書いてた時、主人公のテ ッドが最後にはメリーと結ばれるというたった一つの終わり方しか持ってないことで行き詰まってた。でもそうじゃな い。起こりうるあらゆることを選択肢として持っていなきゃならないんだ。テッドがメリーと結ばれるのが40ページ目に わかてしまったら、もうその時点で映画は終わってしまう。だからテッドがメリーと結ばれないっていう違う視点から脚 本を見直してみた。実際、メリーが私立探偵と結ばれることだってありえるし、ウーギーと結ばれることだってありえ る。どんなことだってありえるんだ。気持ちをオープンにして、起こりうるあらゆる可能性について考えてみることによっ て、脚本はどんどんよくなっていく。全体がどうなるか自分でわかってたら、もう神様が出る幕もないよね。 ![]() ピーター: 僕らはいつだって神様にインスピレーションを与えてもらってる。何度も言ってるように、僕らは脚本書き以外のあらゆ ることを試して失敗したけど、脚本書きについては成功してきた。でもそれは僕らが他の人たちより頭が良かったから ではないし、みんなよりも才能があったからでもない。自分達の限界を知って、あとはインスピレーションに頼る、そう いう風にしてやってきた。そう、僕らはインスピレーションを受け入れてきた。たいていの脚本家は脚本を書いて、それ が誰かに面白いって言われても、自分のやりたい方向性と違ってたら、たとえみんなが笑っても「これはいい脚本だ けど、自分達のやりたいじゃない」って言う。僕らはそういう場合こう言う。「面白いじゃないか。じゃあ別の観点からこ れを考え直してみようか」ってね。どんなことだって起こりうる。あらゆる考え方にオープンでなきゃいけない。どこから どんな考え方がでてくるか僕にはわからない。それは僕らから出てくるものじゃないんだ。 何事にもオープンでなければならない。自分の書きたいことだけを考えちゃいけない。あらゆることを成り行きまかせ にしてみるんだ。多くの場合、外に出て行き止まりにぶち当たって後戻りする。でも、そんな時はまわりを見渡してみ なきゃ、そこがどこかもわからない。『愛しのローズマリー』を書いてる途中に、ショーン・モニハンが僕に「ねえ、この 映画、僕のおばあちゃんは見に行ってくれないんじゃないかなあ」って聞いてきた。僕はすぐにこう言ったよ。「そんな ことはこれからは絶対に考えちゃいけない。脚本を書いてる時は誰か他の人のことを思ったりしちゃいけないんだ」っ て。それは自滅行為だ。でもあまりにも多くの人がその自滅行為をしてしまう。だって他人がどう思うかが怖いから ね。ちょっとばかりエゴイスティックになれば、他人がどう思うかなんて怖くなくなる。脚本書くことは本当に誠実さを要 する作業なんだ。いい脚本を読んで胸を打たれるのはそれが誠実だからだ。その誠実さがわかった時にいい脚本が どういうものかがわかる。とりすました真摯じゃない取り組み方では誠実さにはたどりつけないし、そんな取り組みだ から人がどう思うかが気になるんだ。すべては誠実さ次第。だから僕は自分の両親には感謝してるよ。二人とも言い たいことをどれだけ言ってもいつも受け入れてくれる。だから僕らは人がどう思うかなんて怖くないんだ。 両親とそういう関係でいられるのは素敵なことですね。 ピーター: うん。両親が生きていてこの記事を見てくれるのをうれしく思うよ。だって僕が25歳から30歳の間はがっかりさせてば っかりだったからね。でも二人とも決して希望を捨てなかった。いつもこう言ってくれたんだ。「お前は何かをやってくれ る。お前ならきっとうまくやれるはずだ。」って。でも二人ともそれが何かわからなかったから、不安だったろうね。 それが何か、あなたにわかったのはいつですか? ピーター: 「このままセールスマンをやってていいのか?これが僕のやりたいことなのか?」23歳の時にはそう思ってた。僕は いいセールスマンじゃなかった。仕事場では一番出来が悪かったよ。でも自分には何かができるって信じてた。ここ 数年の自分のことを書きつづれば、自分が何をすべきか、どんなことが得意なのかがわかるんじゃないかって考え た。マサチューセッツ州西部のニューハンプシャーにあるメインまでひとりでドライブしてると自分の10代の頃の記憶 が次々と頭の中に浮かんできて、僕はそれを書き始めた。そして文章を書くことが本当に好きだということがわかった んだ。書くために今やってる仕事をやめたかった。そんな中で、ただただ日課のように書いていて、自分でもそれがど うなるのかわからなかった。そしてある日、目が覚めてわかったんだ。「ちょっと待てよ。これこそが僕のやりたいこと なんじゃないのか!僕は小説を書くのが好きなんだ!」ってね。問題は23歳まで一語だって文章を書いたことがなか ったことで、みんなから馬鹿にされてたから、今小説家を目指してるなんて公言するのは気恥ずしかったよ。だから1 年半はセールスマンの仕事を続けながら、これだって思えるようなものを書こうとしてた。そしてとうとう自分はやりた いことはこれなんだって言えるようになったんだ。みんなから冷やかされたけど、両親はこれ以上ないほどのサポート をしてくれた。二人ともワクワクしてくれたんだ。だって僕が何かをやりたいって言ったのはそれまでの人生ではじめ てのことだったからね。「頑張れ!お前ならうまくいくさ」って言ってくれたよ。説教じみたことはことは好きじゃないけ ど、書き始めた最初の頃(1982年から1983年頃)は、朝起きてからと夜寝る前にまで毎日お祈りしてたことをよく憶え ている。「神様、どうか僕を助けてください。僕は必死にやってます。あなたの助けが必要なのです」そしてすべてがう まくいった。だから僕は神様にはとても感謝してるんだ。 ![]() うときにあったのですか? ピーター: すべてだよ。僕は行くべき方向を模索してた。「神様、僕はどういう風に生きていけばいいんでしょうか?」ってね。神 様を信じず、そのことを当然のことのように思う人がいることは知ってるし、神様を信じる理由を持たない人や神様の 存在を感じたことがない人がいることも知ってる。でも僕はそんな人達に言いたい。「聞いて欲しい。一ヶ月神様に祈 ってみるんだ。具体的な何かのために祈ってみるんだ」と。僕が思うに、みんなちゃんとお祈りをしてないよ。僕はちゃ んとやった。具体的な願いをね。そしてうまくいった。ラッキーだったなんていうつもりはないよ。暗闇の中のひとすじ の光のようなものだった。すべてが現実になったんだ。言えることはひとつだけ、それは神様を信じる強い気持ち。神 様はそこにいてみんなを、そしてあらゆることを見ている。かなり説教じみたことを言ってしまったなあ、でももうこれ以 上は言わないよ。 そういうあなたのスピリチュアルな経験を聞かせて頂くことも読者には大切です。スピリチュアルなことはあ まりメディアには現われませんが、信じる人はたくさんいます。 ピーター: そう、ぼくも信じてる人間の一人だ。 今のような悲劇的な時代の中で、コメディの果たす役割は何ですか? ピーター: コメディは文字通り楽しいものだ。丁度今みたいな危機的な状況下においては救いにもなりえるし、痛みにもなりえ る。ワールドトレードセンターのジョークが聞ける日はいつになるんだろうかって、今日も弟のボビーと話をしてたん だ。そんなに長くないことを願うよ。気分を害するような不謹慎なコメディもあるし、日常生活の抑圧を和らげるようなコ メディもある。僕らがやろうとしているのは日常生活の抑圧を乗り越えられるようなコメディだ。ワールドトレードセンタ ーの出来事は世界の歴史において最も多くの人に見られた悲劇だ。世界中の人々が飛行機がタワーに突っ込ん で、一瞬にして何千もの多くの命が失われるのを見た。すべての人間が今はショックを受けていると思う。そこで君の 質問に対する答えだけど、奇妙なことかもしれないけど、コメディはこういう時代にこそ大いに求められるものなんだ。 人間の心が起こった出来事をずっと引きずっていくとは思わない。例えば、ベン・スティラーの新作の『ズーランダー』 が封切られた時、丁度医者から休養するように言われてた時期で、2時間のくつろげる時間が欲しかったから僕はす ぐさまに見に駆けつけたよ。多くのアメリカ人にとって、コメディは厳しい現実の息抜きになってる。スポーツと同じ役 割を果たしてるんだ。僕らは今週信じられないようなとてつもない災害を目にして呆然としている。そう、今こそセラピ ーのためにコメディを見に駆けつける時なんだよ。 ![]() ![]()
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