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緒論
【書名、著者】 【雅歌の解釈】 【内容とメッセージ】

【書名、著者】
 ヘブル語聖書では、本書を「歌の中の歌」、すなわち「最上の歌」と呼ぶ。近代の翻訳聖書も、そのように呼ぶ例が多いが、日本語訳の聖書は漢訳聖書の影響で「雅歌」と呼んでいる。
 表題は「ソロモンの雅歌」(1:1)となっており、著者は伝統的にソロモンとされている。本書中、ソロモンの名はほかに六回言及されている。(1:5、3:7、3:9、3:11、8:11-12)。優雅な宮廷の光景や、エルサレムの娘たちのきらびやかな服装も、ソロモン時代の繁栄が背景となっていることを示している。地理的には、北はレバノン(3:9、4:8)、南はエン・ゲディ(1:14)、東はギルアデ(4:1)とモアブのヘシュボン(7:4)、西はカルメン山(7:5)などについて言及されているが、これだけ広範囲な地域がイスラエルの支配下にあったのはソロモンの時代である(T列4:21)。
 しかし、最近の学者たちは、本書中に、後代の著作年代を示す外来語が用いられているとして、本書を前3世紀ごろの作であると考え、したがってソロモンの作ではないと主張する。しかし、外来語の影響などはむしろ、イスラエルが諸外国との交易を盛んに行っていら時代を示すものであり、ソロモン時代の作であることを否定する理由にはなり得ない。

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【雅歌の解釈】
 本書は、人間の男女の愛の賛歌である。神名も用いられず、信仰的、宗教的香りもほとんどしない書物で、旧約聖書中類例がない。そのため、本書について古来多くの解釈がなされてきたが、今日に至るまですべての学者の統一的な見解は見られない。
 (1)ユダヤ人の比喩的解釈。ソロモンとシュラムの女との間の愛には、隠された意味がある。それは、神とイスラエルの間にある愛である。この比喩的意味にこそ、本書は聖書としての価値を持つ。
 (2)キリスト教会の霊的解釈。エペ5章には、キリストと教会の関係が夫婦のそれにたとえられているが、ソロモンとシュラムの女との間の愛も、キリストと教会の関係にほかならない。
 (3)劇詩説。本書は、ソロモンとシュラムの女を主要な人物とした、劇詩の脚本である。男女間の恋愛という永遠のテーマを主題とした劇は、イスラエルでも早くから行われていたに違いない。しかし、この説も、主要な登場人物を、ソロモンと羊飼いの娘の二人とするか、ソロモン、羊飼いの娘、娘の恋人である羊飼いの若者とするかで意見が分かれる。
 二人説をとる場合は、ソロモン王がシュラムの娘を一目見てその美しさに心奪われ、求婚し、宮廷に連れて行くという筋書きになる。他方、三人説をとる場合は、シュラムの娘は、ソロモン王の強引な誘惑にもかかわらず、自分の恋人、羊飼いの若者への愛を貫き通す、ということになる。
 (4)その他。当時流行していた世俗の恋愛詩を収集した書、あるいは、婚礼の際に歌われた歌を集めたもの、あるいは、ソロモンが自分の妻のために作った歌集等、様々の解釈がある。
 本書は、実際にソロモンの身に起こった出来事ではあるが、劇詩的な叙述法によって記されているように思われる。背景や語り手の説明がないので、全体を正確に把握することはかなり困難である。

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【内容とメッセージ】
 本書は、どのような原理、また理論に基づいて物語が展開しているのか明らかではないため、分解するのは容易なことではない。ここでは、ソロモンがシュラムの娘を愛し、エルサレムの宮廷に招いて結婚式をあげる、という大筋に基づいて内容を見てみよう。
 まず、1:1-2:7では、花婿と花嫁の愛が語られている。表題(1:1)の後、花嫁は熱心に花婿を求めてエルサレムの娘たちと語り合う(1:2-8)。そして、花婿と花嫁が、互いに相手のすばらしさをほめたたえ合う(1:9-2:7)。
 2:8-3:5では、語り手はもっぱら花嫁である。花婿の語りかけを、花嫁が再録している(2:8-17)。花嫁は、花婿を夢にまで見て慕う(3:1-5)。
 3:6-6:3は、結婚式と関係があると思われる。まず、ソロモン王の婚礼の行列が描かれる(3:6-11)。次に、花婿の花嫁に対する賛歌(4:1-15)、それに対する花嫁の応答(4:16)、花嫁の誘いに応じる花婿の応答(5:1)が続いて、花嫁の見た夢が語られる。(5:2-8)。最後は、花嫁とエルサレムの娘たちの会話で閉じられる(5:9-6:3)。
 6:4-8:14は、花婿と花嫁の交わした愛の告白である。まず、花婿が花嫁の美しさをたたえ(6:4-10)、花嫁が、知らないうちに高貴な人の車に乗せられるという出来事が記された後(6:11-13)、再度、花婿の花嫁に対するほめことばが続く(7:1-9)。次に、花嫁の花婿に対する切々たる思いが述べられ(7:10-8:4)、終わりに、両者の愛の告白を交わし合う(8:5-14)。
 本書はまず、文字どおり男女の愛の素晴らしさを語っている、と解するところから出発すべきであろう。聖書は、男女間の正しい愛の関係を決して否定してはいない。神は創造の初めから、人間を男と女に造られ、愛し合う存在とされた。したがって、男女が互いに相手を尊重し、愛することは、創造の目的にかなっていることである。
 また、それと同時に、本書の中に、キリストと教会の愛の関係を見ることもよいことであろう。キリスト者は、キリストを何ものにもまさって慕わしい方として生きているのであるから。

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