ヤベツの祈り>聖書>新改訳聖書 第三版>新約6 ローマ人への手紙>緒論
緒論 |
【著者】 【執筆年代】 【執筆場所】 【執筆事情】 【あて先】 【16章の問題】 【特色】 【主題】 |
【著者】
この手紙の著者はパウロであると名乗っている(1:1)。確かにパウロ以外の者にはふさわしくない書き方をしているところが何か所か見られる。(11:13、15:15-20、等)。この手紙がパウロの書いたものであることを疑う者はいない。
【執筆年代】
56年ごろ。
【執筆場所】
パウロは、この手紙を書いた時はガイオのところにいたと思われる(16:23)。このガイオはTコリ1:14のガイオと同一人物であろう。この推測が正しければ、この手紙はコリントから書かれたことになる。このことは、ロマ16:1でケンクレヤの教会の執事であったフィベを、ローマの教会に推薦しているkとによっても裏づけられる。ケンクレヤはコリントの外港で、すぐ近くにあったからである。
【執筆事情】
パウロは当時の世界の首都であるローマにも教会があると聞いていたので(1:8)、ぜひ行って伝道したいと考えていたが(1:15)、なかなか機会に恵まれなかった(1:10)。第三回伝道旅行でマケドニヤに行き(使20:1)、その時、おそらくイルリコまで足を延ばしたのであろう(ロマ15:19)。そこから海を渡ればイタリヤであったが、その時には行くことができなかったので、次の機会にローマからイスパニヤへ行く計画を立てた(15:23)。ところがコリントに来たとき、ケンクレヤの執事フィベがローマへ行くと聞き、この手紙を書いて、彼女に託したのであろう。
【あて先】
パウロはこの手紙を書いた時は、まだローマに行ったことがないと言っているので(1:10)、彼がこの教会を建設したとは考えられないことである。では、どのようにしてこのローマの教会は建設されたのであろうか。これには幾つかの可能性がある。その一つは、五旬節の時にエルサレムに来た巡礼者の中にはローマから来た人々も含まれていたが(使2:10)、その中のある者たちが回心し、ローマに帰って教会を建設したというものである。しかし、それだけでなく、パウロによって信仰に導かれた各地の人々が、その後ローマに移住し、それらの人々も加わってローマの教会は建設されたのであろう。パウロがローマに多くの知人を持っていたのはそのためであると思われる。(16:3-15)。
【16章の問題】
ある学者たちは、パウロはローマへ行ったことがないのに、16章に多くの知人の名が記されているのはおかしいとして、この章は本来エペソ人への手紙に属していたものと考える(16:3のプリスカとアクラは、使18:18-19からエペソにいたと考えられるので)。しかし、当時の交通網は発達しており、種々の理由で多くの人々がローマに移住する可能性があった。特にアクラとプリスカはもともとローマにいた者たちであり(使18:2)、ローマに帰った可能性は十分考えられる。それゆえ、この章がローマ人への手紙の一部であっても少しも不思議ではない。
【特色】
この手紙はパウロの手紙の代表的なものである。特に教理に重点が置かれ、論理的、体系的に書かれているため、内容的には論文の性格が強い。取り扱われている教理は、自然による啓示(1:19-20)、罪の普遍性(3:9-20)、義認(3:21-24)、信仰(4:1-25)、原罪(5:12)、キリストとの一致(6:1-23)、聖化(8:1-14)、神の選び(9:1-11:36)などである。しかし、この手紙はガラテヤ人への手紙とともに、パウロの重要な思想である信仰義認を強調していることを忘れてはならない。
【主題】
「なぜなら、福音のうちにには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」(1:17)。