ふるさとのページ
高知市から一番近い村

増補 2001年5月5日/1998年8月14日/8月29日/8月31日
2002年2月27日
2003年1月23日2003年7月23日/2005年1月9日2006年2月17日/2011年5月1日/2011年6月5日/2011年10月25日


 私のふるさと日高村で「パースレィン・プロジエクト」を立ち上げることになりました。日高村を故郷とする人たちもそうでない人たちも第2の故郷として度々訪れて欲しいと思っています。案内や宿の紹介、また長期滞在・移住のご相談も役場と提携してお引き受けします。下の地図をクリックしてみてください。





2011年6月4日
高知県一の内陸型湿地帯(洪水調整池)
野鳥や水棲動植物の宝庫になっています。




2011年3月13日
向こうの山は清宝山=せいほうざん
この洪水調整池は野鳥や蜻蛉の宝庫です。オオバン・バン・ヒクイナは年中います。野鳥たちが餌付けされていないのも魅力です。
遊歩道も整備されています。残念ながら村にはまだ宿泊施設はありませんが、自然を愛する多くの人々にはいくらいても飽きない場所になりました。
3月19日と20日にはイギリスからのお客さんも鳥見と登山を楽しんでもらいました。


2006年2月13日

大滝山からの眺め



空には雲一つなく風もない好天気。久しぶりで大滝山に登った。
これは公園と頂上の途中からの眺め。石鎚山系の山々が頂上からよりもよく見えた。


2005年4月4日



 大滝山は標高わずか240mながら、見晴らしはかなりいい。
この日は風は強かったがあまりにもいい天気だったので
散歩の足を伸ばしてみた。子供の頃には気がつかなかったが、
残雪を戴いた石鎚山系の山々まで見られるのは驚きだった。
ただし西日本一の最高峰・石鎚山は手前の山に隠されていて見えない。
*東頃森は東黒森の誤りです。





2001年5月5日

1.大滝山  2.水辺

3.喫茶店
 4.クラインバルト奈呂 (おまけ)はりまやばし

「ふるさとは遠きにありて思うもの」という室生犀星の詩の一節がありますが、私は思うだけでなくしょっちゅう帰省しています。そして歳のせいか、ますます古里への思いが強くなっています。都会育ちで「田舎暮らし」に憧れている人々も増えてきたようです。そんな人々の参考にもなるよう私の田舎を紹介してみたいと思います。

◇私が生まれたのは日高村ではありませんし、先祖伝来の土地もこの村ではありません。しかし、3才から18才まで暮らしたのがこの村ですので、ここが私の古里ということになるでしょう。私の少年時代の村は「加茂村」でした。それが今は半分に割れて一方は「佐川町」もう一方が「日高村」になっています。「古里の家は日高村にありますが、先祖伝来の墓地は佐川町にある」ということになってしまいました。佐川町は文教の町として昔から有名ですが、日高村の方は最近の不名誉なこと(産業廃棄物処理場建設をめぐる一連の問題)で全国に名を売ってしまいました。大した産業もなく洪水が名物であった村ですが、それでもなかなかいい村になりつつあると私は思っています。そこでこの村を中心にして、私が訪れた高知県内あるいは四国の他の県のことなども折々書いてみたいと思っています。

異骨相の夢農場 日高村のぺーじ





2004年は洪水の村の復活


2004年4月9日 2004年9月16日

 上の2つの写真は画角は違いますが、私の部屋からほとんど同じ方向を見て撮ったものです。すぐ目の前に古い川の一部が入江のようになって残っていますが、大雨が降るとこんなことになります。交通の便もよく平穏な村ですが、これが最大の弱点です。昔は夏になるとこんな光景はよくありましたが、最近では珍しいことでした。だからこの家の敷地などは大雨が降って川の水が増えても浸からないくらいの高さにしてあります。
 しかし、1975年と1976年と2年続けて異常な集中豪雨があり、座敷にまで水があがることはまずなかったこの家も、2階の畳の上まで水に浸かってしまいました。その後、大規模な洪水対策がなされ、こんなことも珍しくなっていました。調整池も洪水防止に大きな役割をしています。
 ところが日本国中大災害続きだった2004年はまた昔に戻ったようでした。こんなことが4回もあったとのことです。そのうち2回は私も体験しましたが、道路まで水に浸かるということは1977年以来絶えてなかったことでした。
 水没しているのは川と田んぼですので、これくらいでは豊岡のようなことにはなりません。しかし、この川の少し下流の川端に何軒か家があります。その家などは完全に床上浸水しているでしょう。そこは地元の人なら絶対に家を建てることはない低地なんですが、「洪水対策がなされたのでもう浸かることはない」と業者に言われて信用したとか。少なくても地元の誰かの意見を聞いていれば、その後の毎年のような浸水は体験せずに済んだでしょうに。どこに家を建てるにしても、土地の状況をよく知ってからにしなければなりませんね。(2005年1月9日記)


龍石神社の秋祭り
11月第2日曜日

龍石神社の拝殿
社務所もありませんし常駐の神官も
いません。ご神体は道路端にある長曽
我部元親が戦勝祈願をしたという龍の
形の岩です。それについては下の「
石神社と登岐山
」 をお読みください。
餅撒き
昔はお旅所で行われていたが、
そこは道路端で危険なため
神社前の空き地で行われている。
今は氏子達にとってはこれが
最大の楽しみになっている。
 ハナ(天狗・もう一人?いる)とシシ(獅子)は
私達が子供のころは恐ろしい存在でした。
この頃は恐がっている子供があまりいないよ
うで彼らは手持ち無沙汰のようです。お旅所で
神事が行われている間が3匹の活躍どきでした。
脚が自慢の少年達あるいは青年達はちょっかい
を出しておいて逃げるスリルを楽しんだものでした。
運の悪い者は追いつかれて割り竹でしこたま叩か
れたり、足で蹴られたりしたものでした。私にはそ
のスリルを楽しむ勇気がなかったのは少し心残り
ではありますが、神事を中心とした素朴な祭が今も
このように伝えれられていることはうれしいことです。
夏祭りは8月の初めに行われる。他の地区には太刀
踊りが行われる神社もあります。(2005年1月10日記)



メダカのいる田圃

 田圃の中の道を歩いているとこんなところがありました。田圃の一隅に稲がなくなって池のようになっているのです。何か動いています。いました。メダカが。たくさん泳いでいます。渋谷さんの田圃はメダカのいる田圃なのですが、ここは渋谷さんの田圃からはかなり離れたところです。普通の田圃でメダカがいることは珍しい昨今です。これは喜ばしい現象です。農薬の共同散布をするようになって農薬の量が減った結果だということです。
 ここにはタニシもいっぱいいるのです。これも喜ばしいことだと思ったのですが、さにあらず。このタニシは私が子供の食べたタニシとは違うジャンボタニシと呼ばれる移入種です。稲が欠けているところはこのタニシ達に食べられてしまった跡なのだそうです。食糧として輸入されたものだそうですが、硬くてあまりおいしくないとか。それで放置されて増えてしまったのです。増えすぎてこういう結果になって困っているのだそうです。被害が多すぎて植え替えた田圃もあるのだそうです。でも硬くなった葉は食べないようなのでうまく使えば除草をしていれくるのではないかと思うのですが、農業をしない者の浅はかな知恵でしょうか。[*ジャンボタニシを除草に利用しているところがあるようです。〕

大滝山

◇我が家の裏から見える一番高い山が「大滝山(おおたきさん)です。標高は知らないのですが、せいぜい数百メートルというところでしょう。健脚でなくても30分程度で頂上まで登れます。低い山ですが見晴らしは悪くありません。最近、運動公園の方からも登山道が整備されています。しかし、ここから登ると少し遠いので、山の真下あたりの左右の道(どちらでも可)から登った方が楽です。上の方に巨大な岩が見えています。私の家がある付近を「岩目地(いわめじ)」と言いますが、この岩が見えるところだからだそうです。岩の上が公園になっていて、小学校の頃は遠足でもよく行きました。頂上は公園から少し登ったところで神社があります。途中の祠の中に円の行者作の像だとかいう恐ろしい顔をした彫刻がありました。今もあるのかどうかは確かめていませんが、その本物は麓の護国寺にあります。円空仏だとも言われています。
◇大滝山の岩の下の方に小さな洞穴があります。子供の頃よく覗きに行ったものでした。狭くて中へは少ししか入れないそうで、多分誰も探検した人はいないと思います。うわさでは沖名(おきな)という地区の鍾乳洞(こちらはかなり大きい)につながっているとも言いますが、こちらは石灰岩ではないのでその可能性はなさそうです。とにかくミステリアスでおもしろさはあります。その洞穴を含んだ岩の下の山林が母の所有になっていました。私が受け継いだ土地の中にここも含まれていましたが、こんなところを私が持っているよりは公共の役に立ててもらう方がいいと思って寄付することにしました。湿地帯整備に活躍しているグランドワークの代表・畠山さんの世話で「高知県生態系保護協会」(=現在は「生態系トラスト協会」=中村滝男会長)が引き受けてくれることになりました。2001年3月に自分で手続きをして渡しました。10月にその地に母の名前をつけて看板を立ててくれました。残念ながらその除幕式には腰痛と指の骨折で出席できませんでしたが、2002年1月には家族を連れて登って自分でも見ることができました。母がこの村で暮らした記念にはなるでしょう。

看板除幕式に集まった人々 看  板 洞穴の入り口

◇大滝山の岩の上から見た風景です。向かいの高い方の山を「清宝山(せいほうざん)」と言います。ここも何度か遠足で登りましたが、こちらの山は登りが急でしんどくて行きたくないところでした。大滝山は裏庭のようなものですが、清宝山はら2〜3度しか登ったことがないので道もよく知りません。


2002年2月27日

大滝山アニマルトラッキング

◇2003年1月12日(日)。月一回(第二日曜日)の「ワクワク湿地探検隊」の日。対象は子供達だが大人でも面白い。今回は大滝山のトラスト地を目的地とした「アニマルトラッキング」。参加者は20名ほど。子供達が10名ほどいて大人はその付き添いと私の誘いで参加した人達。私が誘ったのは小・中の同級生、義弟夫婦・奈呂の会(後述)の二人。高校の同級生も来ると言っていたが、息子が急に帰省することになったからということで不参加。アニマルトラッキングの案内は生態系保護協会会長の中村滝男さん。「めだかさん家(ち)」で短時間の講習を受ける。運動公園の方から登らずに、私が教えたお寺の方の道から登る。この道が最短で楽である。鳥の名前なども聞きながら登ったが、野ウサギの糞をみつけたくらいで大した収穫はなかった。トラスト地は巨大な岩の下で広葉樹林である。「井沢とめき記念生態系保護区」の看板があまりにも大きいので少し恥ずかしい。3つ架けてあった巣箱の掃除をする。ちゃんと使われていた。毛布の切端のようなものまで運び込んでいる。知らない人は気がつかない洞穴もみんなに教えておいた。この洞穴があることもここを寄付した理由の一つである。子供の頃から知ってはいたが、中まで入ったことはないのでそのうち誰かと探検してみようと思っている。

メダカさん家での講座 トラスト到着 巣箱の中の巣を点検

私が誘った人たちは同級生を除いてこの山は初めてなので、他の人達とは別れて岩の上や頂上まで案内する。低い山だが大変見晴らしがいいのでみな感動していた。左の写真が岩の上からの眺望。中央部に私の家が見える。右が頂上で写したもの。旗は石鎚山の印。地元の九頭(くづ)の人達がつくっている「大滝山を守る会」で勧請(かんじょう)したそうだ。この会の世話役は麓に住んでいる同級生である。この会の人達のおかげでこの山はいつでも気持ちよく登ることができる。この頂上も巨大な岩の上である。石鎚山系の伊予富士など雪を頂いている山々が見える。石鎚山は手前の山に遮られて見えない。

私のお気に入りの岩の上からの眺め 大滝山頂上で

下りは運動公園の方へ下りた。先に下りた人達は湿地で遊んでいた。この一帯は禁猟区だし野鳥の楽園である。アオサギ・ダイサギ・マガモ・カルガモ・バン・オオバンなどの大きな鳥もいるし、エナガなど小鳥達もすぐ近くの木で賑やかに餌を捕っている。遊歩道もありメダカ池もある。カヌーに乗ることもできる。近くには渋谷さんの「メダカ米」の田圃もある。


クラインバルト奈呂

奈呂の山小屋 切り株の根っこ堀り コンポスト作り

◇2003年1月13日(月)。上の眺望写真の左手にある大奈呂というところでやっている「奈呂の会」に行く。上右写真の私の隣の女性が中心になってやっている「都会人のレクレーションの場」。ここの正式の名前は Klein Wald Naro(クラインバルト・ナロ=小さな森・奈呂)。本日の参加者は子供も含めて15人ほど。話には聞いていたドイツ人のアルフレッド、ニュージーランド人のジョアンナにも会えた。
 昼食はダッチオーブンで作ったパエリア。なかなか美味しかった。本日の作業は木の根っこを掘り起こしたり、廃材でコンポストを作ることであったが、私は小鳥の巣箱製作担当。二人の子供達に指導して作らせるはずであったが、鋸の使い方を教えて板を1枚ずつ切ったところで近所の子供達が遊びに来て逃げられてしまった。2つ作ろうと思っていたが仕方がないので1つにして自分で作ることにした。皮付きの桧の背板を利用したので立ち木につけるのにはふさわしいものができた。右の写真は昨日昼食をとった「屋根の上のガチョウ」のテラスから撮ったショウビタキ(♂)。「馬鹿ビタキ」と言われるほど人を恐れない鳥だそうだが、これは冬鳥なのでここで繁殖することはないだろう。作ったのも初めてだし取り付けたのも初めてだから使ってくれる鳥がいるかどうかがまず問題である。

おやつは手作りのパン 第一号の巣箱 ジョウビタキ♂

 



喫茶店 

   国道沿いにはレストランや喫茶店がいくつもあります。でも私が行くのは「屋根の上のガチョウ」と「苑」という喫茶店です。両方とも鄙には稀と言ってもいい素敵なところです。でも私は紅茶やコーヒーだけを飲みに行くことはほとんどありません。たまにしか行きませんが行く時はいつも食事のためです。

屋根の上にガチョウがいる テラスで野鳥観察ができる


 「屋根の上のガチョウ」は文字どおり屋根の上にガチョウがいて迎えてくれる。店内はアンティーク調。古いオルガンも置いてある。『屋根の上のガチョウ』の豆本もテーブルにある。紅茶とパン・菓子がおいしい。店内からの眺めもなかなかいい。午後3時までの「ブランチ」が680円。量もそこそこでなかなかおいしい。外食で軽く朝食あるいは昼食を摂りたいときはここに来る。



  「苑」の方は木造の梁表しの内部が気持がいい。テーブルも椅子も素敵だ。ただし店内からの眺めはよくない。ここの日替わ和定食は味・量ともたいへんいい。多分そのせいで昼時には駐車場は車でいっぱい。 こちらはコーヒーが自慢の「喫茶店」なのだが、紅茶を好む私はコーヒー飲みに行ったことがない。ここに来る時はたっぷりした昼食を摂りたい時である。「日替わり定食」が800円(税込み)。ミニカップながら食後のコーヒーもついている。味もいいしこの量でこの値段はうれしい。

     







新しくなった播磨屋橋周辺


@漫画家横山隆一作の純信と馬の像→
A電車通りとその脇にある2つの播磨屋橋→
Bからくり時計(毎正時に違ったからくりが現れる)→
C料亭「得月」(宮尾登美子の小説のモデルになった)→
D全国でも珍しい木造アーケードを新設した「播磨屋橋商店街」
 

◇長らく「ガッカリ名所」としても有名であった高知市の播磨屋橋が面目を一新しました。かつては下を川が流れていたのですが、工場廃水で悪臭を放っていたため埋め立てられて味もそっけもなくなっていました。今度は川の部分が公園化されてきれいにはなりましたが、「ガッカリ名所のままで有名な方がよかった」という人もいるようです。私は今の方が前よりはいいと思いますが、「よさこい節」とはマッチしていないように思います。

新装なった播磨屋橋 公園部にある播磨屋橋 地下に展示された先代の欄干 木製アーケードの商店街

◇播磨屋橋を有名にした『よさこい節』については「うたのうらばなしU」のページをごらんください




日高村の湿地帯

◇日高村の湿地帯は本来は洪水時の調整池です。播磨屋橋から岩目地(いわめじ)行の土電バスに乗り鹿児口(かこぐち)で下車するか、高知駅からJR下り各駅停車で岡花(おかばな)駅で下車します。日高村の歴史は洪水との闘いの歴史でした。1975年とその翌年の2年続きの大洪水を契機に仁淀川 (によどがわ)の支流・日下川(くさかがわ)下流に大放水路が設けられ、それと同時にそれまでもほとんど不毛の地であった湿地帯が洪水調整池として整備されました。この湿地帯が今全国から注目されるようになってきました。いろいろな種類の野鳥・昆虫・水棲動植物の宝庫となったからです。その山手には田舎には珍しい立派な運動公園も造られました。湿地帯では「わくわく湿地探検隊」「全国こどもメダカフェスティバル」という行事も定期的に行われ親子でにぎわっています。また運動公園ではサッカーやテニスの大会も行 われます。8月15日には「サマーフェスティバル in ひだか」が行われ夜は花火大会もあります。秋には「コスモス祭」もあります。ここには宿泊施設はありませんが、仁淀川畔に立つ「簡保の宿・伊野」がお勧めです。ぜひ一度、おいでください。私が折々過ごす母の家はこの少し上流にあります。(8月13日記述)


龍石神社と登岐山

◇この写真のちょっと恰好のよい山は登岐山(とぎさん)です。その昔、長宗我部元親がこの山の城を攻めるときにこの麓に陣地を設けました。なかなか攻め落とすことができませんでしたが、そこに龍の形をした岩を見つけその岩に願掛けをしました。すると見事にこの山の城を攻め落とすことができたそうです。そこでその奇岩を御神体にして神社がつくられました。それが「龍石(たついし)神社」です。画面左手がこの神社への入口ですが、御神体の龍石は国道にさしかかっている大木の根元にありますいつの頃からかコンクリ ート製の箱で保護されていますが、三日月形の穴から覗き見ることができます。またこの国道は隣町・佐川町出身の世界的植物学者・牧野富太郎が少年のころ勉強のために高知まで歩いて往復(片道30kmほど)した道でもあります。『牧野富太郎自叙伝』にもここを通ったことが書かれています。
◇この写真の右手(下流)が昔から湿地でした。登岐山があるために水は左手の狭いところから村の中心部へ向います。このように水の出口が狭いために雨が降るとすぐにここに水が溜まってしまうのです。だからこの付近は米は作れませんでした。それでもここを活かす試みがなされ、私が子供のころには柳が植えられていました。その皮はぎが子供や主婦のアルバイトになっていました。柳行李が使われなくなりましたのでそれも昔の話です。
◇この湿地帯の上部は圃場整備がなされ嵩上げされて水につかることはほとんどなくなりましたが、台風襲来の前に収穫できるようにほとんどが早稲田です。右の写真は8月10日に撮ったものですが、もうほとんど刈り取られている田圃ばかりです。
('98年8月31日記述)

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(太陽光発電)

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