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「早起きは三文の」の語源
「三文のではないという話〜

仁淀川の八田堰(はたぜき)

◇「情けは人のためならず」という諺が「情けをかけるのはその人のためにならない」と誤って解釈されることが多くなってきているが、「早起きは三文の得」も「早起きは三文の徳」になりつつあるようである。

◇国語辞典までほとんどが「早起きは三文の徳」になっている。最も信頼されている辞典の一つである『広辞苑』(三省堂)までもである。またこれも三省堂だが、私が大好きな辞典の一つである『新明解国語辞典』には何と「『得』と書いて、『もうけ』と解するのは俗解」とまで書かれている。他の出版社の国語辞典もほとんどが「三文の徳」である。朝日新聞でも「早起きは三文の徳」が大見出になる(6月28日大阪本社夕刊)のだからもはや「早起きは三文の徳」が定着して久しいということなのだろうか。

◇ところが著者が違うと同じ三省堂の辞書でも『現代国語辞典』では「三文の得」になっている。他には『国語大辞典』(小学館)明治書院の「精選国語辞典」『どちらが正しい?ことわざ2000』(講談社+α文庫)が「三文の得」派である。残念ながらこれらは少数派であり、これらの辞典でもその由来や語源を知ることはできない。したがってどちらにしろ、自分が引いた辞書の定義にそう書いてあれば単純に「そうか」と思い込みがちである。

◇しかし、「文」は江戸時代の金の単位であった。そのことが忘れられて「些細なもの」と解釈されるようになったために「徳」の方が正しく思えだしたのだろう。『新明解国語辞典』など、その思い込みもひどすぎると言わざるを得ない。やはり、その意味から考えても「早起きは三文の得」でなければおかしい。さらにこの諺の由来から考えても「三文の得」でなければならないのである。

◇祖父母のいる家庭で育ったせいか、私は子供のころからこの諺は知っていた。しかし「早起きをすればなぜ三文の得をするのだろうか」とずっと思っていた。だが特に調べてみようともせずに年月が経っていた。その疑問が氷解したのが大学の三年のときだった。

◇私の所属は文学部で英米語・英米文学の専攻ということになっていたのだが、ある時間、たまたま文学部には私が取りたい科目がなく、経済学部の「日本経済史」という科目を選択した。私達はいわゆる専門科目以外に「専門教養」というのも取らねばならなかった。専門教養は文学部提供以外の科目でもよいことになっていたのでこの科目を選択した英米語・英米文学専攻生がたくさんいた。たくさんいた、というよりは私達の仲間ばかりだったといった方があたっていた。時間割編成の失敗らしく、期待されていた経済学部の学生は他の必須科目があって「日本経済史」は取れないことになっていたからである。担当の原田伴彦教授はガッカリしているようだった。原田教授はその業績ばかりか人柄からも学生達が一目も二目も置いている有名教授であった。普通なら受けられない他学部の教授の専門講義であったから私達は大いに喜んでいた。その講義の中で野中兼山が登場した。

◇野中兼山は土佐山内家の執政であった。藩政改革に力を発揮したが、やり手の常、敵も多く、妬まれて失脚した。その娘が大原富枝の小説で有名な『婉という女』である。

土佐市にある
野中兼山顕彰碑

◇野中兼山の大きな功績の一つに、仁淀川下流に八田堰(はたぜき)を造り一帯の洪水を防ぎ、不毛だった東岸一帯(現在の春野町・西武ライオンズのキャンプ地として最近は有名)を美田化したことがある。しかし兼山は「我が村(=日高村)では悪者」と聞かされていた。彼が仁淀川下流に大きな堰を造らせ頑強な堤防を築かせために水位が上がり、その支流の一つ日下川が流れる私達の村は大雨が降る度に洪水に見舞われることになったのである。それは昭和の終わりまで続いた。

◇そんなわけで私には馴染みの野中兼山であった。原田教授の話では「兼山が造らせた堤を早く固めさすために『早起きをして堤の上を歩いた者に褒美として三文を与えた』」ということであった。意外なところで「

早起きは三文の得」の語源を教えてもらえたわけである。その堤というのは私達の村にとって憎い八田堰に関係のある堤のことではないか、とそのとき思った。

◇こうして「早起きは三文の得」は、もう故人になられた原田伴彦教授の面影としっかりと結びついて私の記憶に留まっている。しかし、歴史の専攻でもなかった私はそれ以上そのことを追究してみようとはせずに今日に至った。残念ながらこれが記述された文献もまだ見出していない。遅ればせながらこのことをもって調べてみようと思っている。

現在は改修された八田堰の下流に日下川からの大放水路(写真左手から)が造られ、我が日高村は洪水からはほとんど解放された。今年の夏の降り続く大雨にもほとんど被害はなかった。

(’99.8.13./'99.9.12./'99.9.22.)  

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