ペンギンドクターの
診察室
ペースメーカという言葉は前回何度も使いましたので覚えておられるでしょう。心臓が動く速さを決めている特殊な細胞の集まった洞結節のことです。それでは人工ペースメーカという言葉はどうでしょうか。この機械は心臓病の分野で最大の発明と言えるでしょう。私が心臓病の専門医の研修を始めた30年くらい前に、日本でもちらほら使われ始めました。外来でほとんど気を失って、痙攣までしている患者さんが担架で運び込まれます。心電図をとりますと心拍数が30くらいです。心臓マッサージをしたり、点滴をしたりしながら、レントゲン室に運びます。患者さんの太股の静脈から細い電線の管を、レントゲンを見ながらいれていきます。電線の先端が心臓の右の心室に入ったことを確かめて、もう一方の手元の端を機械につなぐのです。機械から決められた頻度で電流が流れ、心臓が再び一分間に60回とか70回とかの普通の速さで動き出します。気を失いかけグタッとなっていた目の前の患者さんが、こちらの問いかけに応じて話を始めるようになるのです。素晴らしい機械だと感激した思い出があります。
では脈がどうして遅くなるのでしょうか。前述の通り本来の自前のペースメーカは、心臓のテッペン近くにある洞結節です。この洞結節が壊れると、脈は遅くなります。完全に壊れなくても動脈硬化のために洞結節に血液が十分来ないと、細胞が弱ったり一部がつぶれたりして、洞結節の働きが鈍ります。このような状態を洞結節機能不全といい、高齢の方に多い病気です。人工ペースメーカの治療が非常に有効です。
もう一つ脈の遅くなる病気で比較的よくみるのが、房室ブロックというものです。心房と心室の間には電流が流れる通路は、房室結節という狭い通路が一カ所あるだけです。洞結節から始まった電流が心房に広がり、一旦房室結節に収束してこれを通り抜けます。そのあと心室全体に張り巡らされた伝導路を流れるのです。北海道で広がった鉄道が青函トンネルで一本になり、本州に入って再び広がっているJRの鉄道網のようなものです。ちょうどその首根っこの青函トンネルで事故が起これば、列車の運行は渋滞し、あるいは止まってしまいます。同じ様なことが心臓にも起こります。房室結節が障害されますと、心房は心房の速さで、心室は心室の速さで別々に動き始めます。心臓のそれぞれの箇所が独自の速さをもってるのです。心臓の上から下に行くほど動く速さは遅くなりますので、心室の速さは30前後になってしまいます。従って房室結節が完全に切れますと脈は非常に遅くなり、血液は体中に十分流れなくなります。特に頭に流れる血液が減少すると、失神や痙攣などの重大な症状が起こるのです。
房室ブロックには、完全に切れた3度の完全房室ブロックから、単に伝わる時間が普通より長くかかるだけの1度の不完全ブロックまで、種々の程度があります。この両者の中間に、時々心房と心室の間の連絡がきれるものがあるのです。先ほどから房室結節と一言で片づけましたが、この中の構造は複雑です。特殊な細胞が集まって通路を形成していますが、下になるほど切れたときに重い症状が出ます。完全に切れていなくても、もし切れたとき当面は大して心配しなくてもいいものか、即刻対処する必要があるものかの区別をしっかりしなければなりません。前もって知るために、房室結節の周辺の電気的な性能を調べる方法があります。電気生理学的検査と言うものです。電線を埋め込んだビニールの細い管(カテーテル)を使って、電気の伝わる時間を精密に計り、切れそうな場所を特定するのです。そのほかホルター心電図で脈が極端に遅くなることがないかをみます。切れている所をうまく捕まえることが出来れば、病気の診断に大変役に立ちます。
いろいろ検査をした結果人工ペースメーカを植え込むことが必要と判断されれば手術を受けるべきだと思います。手術自体は内科医がやれるほど、簡単で安全なものです。機械を皮膚の下に植え込む場所を切開するのに、局所麻酔を少しするだけでです。患者さんの意識はハッキリしたままで、2時間足らずで済みます。機械の大きさがこの20年の間に非常に小さくなりました。当初は三角おにぎり位でしたが、いまではたくわん一枚程度の薄くて小さくなりました。機械を動かす電池の寿命も飛躍的に伸び、10年程度働き続けます。脈が遅くなって失神したり、命が危なくなったりすることを考えると、この機械の進歩に大いに感謝しなければなりません。
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