ペンギンドクターの
診察室


一枚の写真

往診に通っているうちに患者さんの息子さんが一枚の写真を見せてくれました。中年の女性が駅のホームで目を輝かせて立っています。誰かを見送っている様子です。昭和30年代のパーマをかけたヘアースタイルで、着物をきて別れ際のようですが表情は生き生きとして明るい。映画「終着駅」のようなレトロですが懐かしさの溢れた場面です。
もともと住んでいた九州からお茶の先生が来て、その方を京都駅まで送った時の写真だそうです。たまたまカメラマンの目に留まったのでしょう、非常にうまく撮れていて新聞に入賞作品として載ったそうです。

私にはいつもの寝たきりのお母さんと、写真の中の四十代の女性とが、同一人物とはとても思えませんでした。それは楽しい人生の真ん中にいるという言葉がぴったりの表情でした。
お年寄りは自然の姿として老いの中にひっそりと生きていますが、それまでの長い日々のどこかで、どなたも人生の真盛りを生きてこられたはずです。年をとる毎に身も心も弱ってこられ、ついには介助無しにはやっていけないようになります。
私達医療に従事するものは、年をとり病気で弱った人達とよく接します。そんな中でそれぞれのお年寄りが人生の真っ盛りを生きてきたということをすっかり忘れてしまいます。

私の診療所にも若い頃活躍された多くの方々がおられます。今弱っておられる姿ではなく、これまで精一杯生きてこられたその方の個人の歴史に心を向けて、共感をもって診療しないといけないと常に自戒しています。

全人医療ということがよく言われます。病気を診て人を診ないことのないようにという意味です。この傾向は医療技術が進めば進むほどひどくなりがちです。まして患者さんの歴史まで心配りが行き届くことは殆どありません。しかし医療は人を相手にするのですから、それぞれの患者さんが心の奥に大切にしまっている人生の思い出に対しても、深く敬意を払う姿勢が是非必要だと思います。

生まれ変わりを繰り返す私達は、今の若さが老いにつながる。老いがまた新しい人生につながることを教えられております。弱ったお年寄りが生まれ変わり、いずれ私達の世話をしてくれることになるでしょう。その人に私が生き生きと生きた日々のことを、ちょっとでも思ってくれたらどんなに嬉しいかと思わずにはおれません。

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