ペンギンドクターの
診察室
開業して間もない頃に高齢の女性をしばらく往診しておりました。この方は脳梗塞の後遺症で食事がうまくノドを通らず、間違って気管の中に吸い込んでしまうのです。
当時はこんな患者さんには鼻の穴から細いチューブを胃まで入れて、鼻の穴のところで絆創膏で留めておくのです。ここから点滴をするように流動物を注入するのです。ところがこの患者さんはチューブを嫌がられ、息子さんからもこの治療行為を断わられました。その代わり食事のたびに1時間以上かけてスプーンで根気よく口から食べさせてあげたのです。
半年くらい続きましたでしょうか。結局食べ物や唾液が気管に入って起こる肺炎を、何度か繰り返して亡くなられました。私はこの患者さんは大変恵まれた幸せな方だと思いました。いくら時間がかかってもゆっくりと患者さんのそばで丁寧に食事介助がしてもらえる、そんな温かい様子に心動かされました。
それから10年経ちますと胃瘻(いろう)という方法が、この様な患者さんの普通の治療となってきました。鼻の穴からチューブを入れるのではなく、直接お腹の皮膚に小さい穴を開けてチューブを胃に差し込んでしまうのです。これなら患者さんには殆ど苦痛がありません。取り扱いも簡単でチューブの交換も半年から1年に一度ですみます。今では優れた方法として広く普及してきました。
いわゆる「自然な死」を多くの方が望まれますが、しかし自然な死とは何なのかと考え込んでしまいます。自然な死の正反対が不自然な生だといえます。現代の医療は自然にはない人工的な生に満ちております。人工心臓、人工呼吸器、そして先ほどの胃瘻など、少なくとも半世紀前には考えられなかった人生です。
冒頭の患者さんは人工的で不自然な治療手段を拒否されました。手段そのものに対する理解不足や恐怖もあったでしょうが、愛し愛される家族とのつながりを断たれる寂しさが大きな理由となっているのではと今になって思います。
手ずからスプーンで食べさせてもらう心の満足は、死を前にしたお年寄りには何にも代え難い喜びであったはずです。
この心の満足をどうしたら感じてもらえるのでしょうか。その神髄を私達は授かっています。祈る人の心が願う人の心に手のぬくもりを通して伝わるーおやさまの優しい親心が私達の手を通して患者さんに伝えられるーおさづけのもつこの癒しの一面を私はとてもありがたく思うのです。