ペンギンドクターの
診察室
嫁と姑の関係は、人類に家族というものが出来て以来の大問題だと、つくづく私は思います。日常の診療で、お姑さんが嫁の不足を言い、お嫁さんが姑の大変さを訴えることは珍しいことではありません。
お舅さんやお姑さんが寝たきりになりますと、介護をする役割は一番にお嫁さんの肩に掛かってきます。なにもかもお嫁さんのお世話にならなければなりません。そこで微妙な関係が生まれます。お姑さんはすこし遠慮がちに話されます。お嫁さんはやや距離を置いた介護をされます。それほど長年の歴史が大きく影響しているように見えます。また一方で、姑と嫁は一つの家庭を守ってきた同志でもあります。ほんの少し在宅訪問を始めた私には、簡単には分からない深い歴史と心の通い合いがあるはずです。
そのおばあさんは心臓を長らく患っていて、次第に病状が進み時々寝ていても息が苦しくなりました。昼間家族の方達は仕事で、ひとり家の留守番をしていました。心臓の病気でも重症になれば、食欲が次第に細くなってきてやせてきます。それでも息子さんが突いた餅だけは喜んで食べておられました。息子さんもそれを知っていて月に一度くらい餅をつきます。
昼間往診にいきますと、大抵は茶の間で座っておられました。そこで話し相手が来たとばかり、色々と話を聞かせてくれます。聞いていますと一人でいる不安をそれとなく話されました。愚痴ではありません。嫁も外へ出て忙しい。よく働いてくれている。だから私は留守番をしてしっかりしなければという遠慮のようなものを感じました。
段々病状が進んできて、とうとうお嫁さんが仕事を辞めておばあさんの看病をするようになりました。おばあさんは酸素を嫌がって吸ってくれない。心臓の病気で息が苦しくなれば、最後の治療は酸素吸入くらいです。これを医者の指示通りやってくれない。これも愚痴ではありません。むしろ姑の身を思っているが、気ままにさせてやりたいという遠慮のようなものが混じっていました。
ついに臨終の段階になって、寝ていても苦しい、座っても苦しいという心臓喘息の状態になってきました。お嫁さんは側にいて、トイレに立つ介助をしたり、手を添えてベッドの上に座らせる。何度もそのような介添えを口数少なくやってあげていました。亡くなる間際になって、息子さんもお孫さんも、離れて暮らしている娘さん達も家におられました。枕元を取り巻いて心配そうに見守っていました。次第に息がとぎれがちになり、苦しいので手を添えて欲しい様なそぶりに、お嫁さんはお姑さんの手を握りました。お姑さんもそのまま息を引き取るまで握り続けておられました。このとき嫁と姑との間にある心の糸のようなものを私は感じました。