ペンギンドクターの
診察室
奈良県内の内科の先生が夜遅くにかかわらず大勢集まってきました。糖尿病の治療について、「憩の家」の専門医と一緒に勉強しようという会です。そこで、90歳に近いお年寄りのことが話題になりました。
昼は一人で留守番をし、夜は勤めから帰った家族と過ごす、そんな生活の中で糖療養を続けておられました。
往診している主治医は、なかなかよくならないのでとうとうインシュリン注射を始めることに決めました。
しかし、誰が注射を打つか、家族が留守の時に低血糖になったらどうするか、インシュリンについて高齢の患者が理解できるか、、、、、いろいろ悩まれたそうです。それでも必要なら打ねばと決心して、実行されました。
この事例について、参加した医者達は真剣に議論しましたが、結論は出ませんでした。一人でいる時にインシュリンを打つことの危険性。打たないでおくことで悪くなる心配。どちらを採るのか、
医者が病人をみて病名を診断しますと、コンピュータのように治療の"答え"が出ると思うのは間違い。病名を診断することは医者の大切な仕事の一つですが、病気になっている患者さんの事情は千差万別ですから。
薬をもらっても素直にのめない人。入院しなければならなくてもできない人。安静にしないとだめでも時間がない人、看病を必要としていても家族のいない人、、、、。治療の"答え"は出ても、理屈通りにはできないことがよくあります。医者には、医学の理屈と実際の事情との間をうまく取り持つ人間くさい仕事があるのです。何とか理屈通りの治療を患者さんに受けてもらい、治っていただきたいと願う時、「おたすけの志」が心の支えとなるのです。
「なさけないどのよにしやんしたとても、人をたすける心ないので」(おふでさき十二号90)
先輩医師がよく「患者さんのニーズに寄り添う医療」ということをいっていまいた。患者さんが療養をする上で望んでおられる思いに、出きるだけ寄り沿うことだという意味です。
とくにお年寄りの病気は、すっかり良くなることが望めない場合が多々あります。高血圧や糖尿病、脳梗塞の後遺症などは、病気と共に生きていかなければなりません。たとえ病気が治っても、残りの人生がいきいきとした楽しいものでないと思う人がいます。一方で、どんなに窮屈でも命が長らえばよいという人も。それぞれの患者さんが望まれる療養生活を、出きるだけかなえること。それが医者の力量なのだと、先輩医師の話を聞いて、私は納得したのです。