ペンギンドクターの
診察室


心臓が踊る

スキージャンプをする前の原田選手が、ものすごい精神的プレッシャーを受けているのだと言うことが、今度のオリンピックでよく分かりました。あの飛ぶ前の一瞬に、彼の脈拍がどれくらい速くなっているのでしょうか。きっと160位にはなっているでしょう。人は緊張したり、頑張ったりすると脈がいつもの倍以上に早く打ちます。急に大勢の前で挨拶をしなければならない時など、文字どおり心臓が踊るような苦しさを感じます。脈が速くなる原因がハッキリしていれば、どなたも心配されないでしょう。速くなる原因がなくなれば、元通り静かな脈に戻ることを経験上知っているからです。ところが訳もなく突然心臓が踊り出す病気があります。「発作性頻拍症」という不整脈の一つです。

心臓の拍動の速さ(心拍数)はどのようにして決められているのでしょうか。マラソンで先頭集団のスピードを決めるトップランナーを、ペースメーカと呼ぶのはご存じのことでしょう。心臓にもこのペースメーカがあります。心臓の頂上付近に、自分で電気を発生することの出来る特別な細胞が集まっています。洞結節といいます。ここから一定のリズムで発生した電流が、順次心臓の下の方へ広がっていきます。簡単に言いますと、心臓は電気仕掛けで動いているのです。電流を出来るだけ早く心臓全体に伝えるように、特殊伝導系という細胞繊維の電線が張り巡らされています。この伝導系を通って電流が伝わってくると、心臓の筋肉が興奮して収縮を始めます。瞬時に流れる電流ですから、沢山の筋肉がほとんど同時に収縮できるのです。沢山の心臓の筋肉が一斉に収縮することが、ポンプの働きを発揮するのに不可欠な条件なのです。

ともあれ心臓の拍動する速さは、心臓が独自に維持できることに注目して下さい。ただし冒頭の原田選手の様に、精神的に緊張しても脈は速くなります。洞結節というペースメーカが脳の影響を受けている証拠です。実際ここには脳から自律神経が下りてきて、ペースメーカ細胞と接触していることが確かめられています。また自律神経と同じ効果を持つホルモンも、この洞結節の細胞に作用して心拍数を変化させるのです。いろいろな外からの影響はありますが、心臓は基本的には一定の速さで動く能力を独自に持っています。これを心臓の自動能と呼んでいます。突然起こる頻拍発作は、自動能のコントロールがはずれた状態と言うこともできます。

もっと厳密に言いますと、頻拍発作には上室性と心室性とがあります。心室性と言う言葉は前回説明しました。心室性頻拍症の際は突然一分間200回近くで動くのですが、当然非常に危険な状態です。しかしこれはめったに起こるものではありません。私達が普段よく経験するのは、もう一つの上室性の頻拍症です。上室と言うのは、心室より上と言う意味です。つまりほとんどが心房だと考えて良いのですが、これに心房と心室のつながりの部分が含まれます。心臓の頂上にあるペースメーカと関係なく、この上室と呼ばれる場所のどこかで電流が同じ所をぐるぐる回り出すのです。ペースメーカの命令を無視して勝手に回転している電流が、まず心房を興奮させ、心房から出た電流が心室を興奮させて心臓が非常に速く拍動するのです。毎分150回以上の速さが一応の目安です。

電流の回転する速さが頻拍発作の脈の速さになるのです。ちょうどマラソンをした直後のような、あるいはお酒を一気に飲み干した後の様な、そんな脈の速さになります。じっとしていたら我慢できますが、無理して動くととてもしんどくなります。上室性は心室性と違って、安静にしておれば命に関わることはまずありません。突然速くなるきっかけはいろいろですが、ほとんどの場合速くなる元々の条件があります。頻拍発作を起こす人には、心房付近で電流がぐるぐる回転しやすい仕組みがあらかじめ備わっているのです。

発作を止める方法は必ずありますので安心して下さい。まず初めに大きく息を吸い込んで腹圧発作を止めるようにしてきばります。その次からは医者がやることですが、眼球を強く押さえたり、頚動脈の真ん中あたりをゆっくりマッサージしたりします。これらの手技はいずれも迷走神経という自律神経を刺激して、心臓の興奮を押さえる効果を期待してやるのです。次に、薬物で止めることを考えます。心臓の興奮を抑える効果のある薬が使われます。たいていの場合、急速に薬が心臓に効くようにするため注射をします。大体これで治ります。それでも治らないときには、最後の手段として電気ショックの治療をします。一瞬ですが電気ショックを心臓に与えることで、心臓の電流を一度全部止めてしまうのです。この直後に本来のペースメーカから正常な電流が流れ始め、洞結節が心臓全体をコントロールする能力を取り戻すのです。繰り返しますが、上室性発作性頻拍症は必ず治すことが出来ますので安心して下さい。

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