ペンギンドクターの
診察室


遺伝子・因縁

一目惚れとはどのような心理状態なのでしょうか。相手の顔を見る。表情を含めて目鼻立ちや、声や服装や周囲の景色までが、すべて好ましい感情を持たせる。鼻の高さや口の大きさが何センチかなどという計算は決して働かない。採点票に数十のチェック項目があっても、ほとんどアッと言う間に、全てに○が付けられてしまうのです。当然独りよがりの思い込みであることにも全く気づいていません。大脳ではなく心臓を貫くような強い感情が走るのかも知れません。今流に言えば遺伝子に火がついたようなものでしょう。

我が国で一番古い一目惚れの恋物語が、古事記にのっています。オオクニヌシノミコトが兄弟全員からいじめにあって苦しんでいるとき、祖父に当たるスサノオノミコトに会うため、あの世の根の国へ出かけました。ここでオオクニヌシは、スサノオの娘スセリビメと会い、お互いに一目惚れしてしまうのです。しかしスサノオは二人の仲を許しません。オオクニヌシに無理難題を命じますが、スセリビメの助けを受けて無事に危機を脱し、二人はこの世に戻って結ばれます。

この話では二人が相思相愛だったので、ハッピーエンドになりました。もし一方が一目惚れでも、相手がそうでなければ困ったことになります。鼻もかけないほど嫌いであれば別ですが、少しは心の残るとき、いろいろと考えることでしょう。もし結婚しても、80人もいる兄弟が寄ってたかっていじめるだろう。彼はそれに耐えるほど力のある人だろうか。第一自分の父が賛成してくれない。父は世界で一番力のある男だから、これから先、幸せな家庭どころか生きていくさえ大変だ。などと理性が働き、打算も見栄も心に沸き上がってくることでしょう。そのうち父が憎くなり、彼がもっと力強い男であって欲しいと思い、会ってしまったことを恨み、父の仕打ちに腹を立てることになるかも知れません。つまり会った感激が心臓を貫く前に、大脳で心があれこれと考え迷い始めるのです。心のほこりが沸々と湧いてくるのです。

私が一目惚れに興味をもつのは、この直感が自分らしさを決めている遺伝子に最も近い感覚だろうということです。一目惚れする心は、一番素直な自分ではないかということです。瞬間にスキッと声を上げるのは、迷いのない素直な心だと思うのです。だからといって素直な感情から素直に行動に移すことが良いことかどうか、これは十分によく考えなければなりません。この世は自分一人だけで生きているような、あるいは一種類のDNAで全てがコントロールされているような、そんな単純な世界ではないからです。

私自身は好き嫌いの素直な感情を大切にしたいと思います。しかしアバタもエクボという言葉があります。特に目から来る直感は錯覚の危険性を常にはらんでいます。数年前に有名な遺伝学者のクリックが、「DNAに魂はあるか」という本を書きました。著者は肉体の働きのすべてをコントロールしている遺伝子のDNAが、肉体に宿る精神までコントロールしているという仮説を立てたのです。この難しい問題に彼は、目の見る働きを詳しく調べることによって迫ろうとしています。冒頭でいくつかの目の錯覚の例をあげ、網膜に写る像はこれまでの記憶を通して初めて、何かの形として認識されることを示しました。見える通りをそのまま認識するのでなく、自分の体験から何であるかを判断して見るために錯覚が生じるのだと言うのです。「ここで脳は、これまでの経験と遺伝子に埋め込まれた祖先の経験から判断して像を作り上げると」彼は言っています。(同書、中原英臣訳、講談社)

心のもつ迷いや不安から自由だったはずの素直な直感も、実は心が生きてきた長い歴史の記憶から自由ではないのです。好きと直感して恋した人も、実は両親に似た顔姿や性格だったりするのは珍しくないことです。私たちは何代も何代も重ねた命のつながりの最後の所で生きています。また兄弟、友人、隣人と幾重にも幾重にも重なる輪の中で生きています。このお互いの絡み合い支え合った世界で生きているのです。好き嫌いを自己の意志として大切にするのは悪いことではありません。しかし自己の純粋な意志と信じている直感的な判断も、決してそうではないことをじっくりと考えてみなければなりません。

私が好きだと思うから何がなんでも結婚したい。好きで好きでどうしようもない服だから、ボーナス全部はたいても買いたい。あらゆる困難を乗り越えても自己の意志に素直になりたい。好きだから欲しい、嫌いだからやりたくない。この思いが通ったときは、確かに満足感が得られ幸せな気持ちになるでしょう。しかし自己の素直な意志は、反面自己の欠点も素直に反映しているのです。私はこれが因縁というものだろうと思っています。

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