ペンギンドクターの
診察室
飢餓ってなんだ。キガ? うえると言うことです。飢えるって? 何も食べるものが無く、腹が減って、力が出なくって、へたすれば死んでしまう。そんなぎりぎりの状態を飢餓と言います。もちろん私も皆さんと同様、経験をしたことは一度もありません。今から半世紀以上前に日本は世界を相手に戦争をしていました。アジアのあちこちで日本の兵隊さんたちが鉄砲をかついで、戦闘にかけずり回っていました。負けてしまうと食べるものもなくなってしまいます。アブラムシや、ネズミや、靴の底皮なんかを食べて命をつないだと聞きます。ついには食べる力もなくなって、動けなくなって多くの兵隊さんが死んでいきました。
飢えるというのはどんなことか、もし知りたいのならやってみて下さい。週末の土、日曜日の丸二日間、水かお茶だけ飲んで食事を抜いてみればいくらかは分かります。私などは食事をとれないと思っただけで、朝ごはんを食べていても、昼前には死にそうなほどの空腹感と脱力感を感じてしまいます。そして何となくイライラと落ち着かなくなります。水だけは飲めますからやたらに飲むせいか、トイレに何度も通うようになります。それでもなんとか2日くらいなら食べずに我慢が出来るものです。これがいく日もいく日も続くのです。きっと飢えると言うことは私たちの想像をはるかに越えた苦しみなのでしょう。本当のところは、やっぱり分かりません。
現在でも病気で衰弱する患者さんの中に一種の飢餓状態が見られます。胃とか大腸の癌で食べ物がとれなくなりますと、水分を飲む量まで減ってしまいます。それでも癌だけは大きくなってきて、患者さんはさらに弱っていきます。でもこの間におなかにたまった腹水が患者さんの命を支えるのに使われて、ふくらんでいた腹部が小さくなっていくことがあります。今まで腹水がたまって苦しがっていたのに、食べ物も飲み物も口から入らなくなってくると、病気のせいで溜まっていた腹水が命を延ばすのに利用されて減っていくのです。
それほど命が終わるということは大変なことなのです。人に限らず命のあるものは、自分の意志にかかわらず何とか生きながらえようとするものです。最後の最後まで命を延ばそうと、体の中の全ての働きが一つの方向へ向かって動きます。まして病気でない人が戦争や災害で飢餓状態におかれれば、泥水を飲んでも生きようとします。食べ物があふれて余っているような今の時代には、食べるものがないからアブラムシを口にするなんて、とっても考えられないことでしょう。しかし人は追いつめられれば、とんでもないことが出来るものなのです。これが人の悲しいところであり、強いところでもあります。この強さは元々すべての生き物に備わっているものなのでしょう。生きたいという意志の強さは、私たちすべての人達が持っているものなのです。
私の父は第二次大戦の終わり頃に中国に働きに出かけ、母と兄もあとを追い、その道中で私が生まれました。日本は戦争に敗れ、父は中国軍の炊事夫に雇ってもらいました。そうでもしなければ零下20度にもなる冬に、中国北部で家族4人が生きていけません。ある時、父はいつものように配給のスープを兄に持たせて母の処へ帰しました。4歳の兄は両手に食器をさげて坂道を上る途中で氷った泥の上にこぼしてしまいました。泣いて戻った兄にもう一度、父は同じだけのスープを持たせたのです。これを見つけた料理係の上の人が父を裁判にかけると騒ぎました。戦争に負けたばかりの日本人が、それまで敵であった人達に囲まれたのです。しかし父の日頃の働きぶりを見ていた中国人達がかばってくれ、やっとの事で許してもらったと、父は昔を思い出して話してくれました。
栄養が足らない私が生きてこれたのは、こうした父の苦労のお陰でした。この話を聞きますと、いつも父は本当に強いなあと思います。人は食べることが出来ず命が危ないとなれば、こんなに強くなれるものかなと感心します。よく死ぬ気でがんばれば何もこわくないと言います。まさにその通りです。しかし死ぬ気でも何でも、今の私にこんな苦労が出来るとは思えません。父だからやれたのかも知れません。
私たちは神様から命を与えられ、この世に生きていると教えられています。そう信じて生きているのです。与えられた命は大切にしなければなりません。なにを大切と考えるかは、私たちそれぞれの心の中にある物差しで決めるのです。精一杯生きると言うことが、とても大切なことなんだという物差しを私たちは持っているはずです。何となく毎日食事をするのではなく、たまにはお腹がすき過ぎた苦しさを体験して、元気で食べて生きることの出来るよろこびを味わってみてはどうでしょうか。おやさまは、ミリンだけ飲んで、食べ物はいっさい口にされずに過ごされることが時々あったと聞いております。身体が元気なときに2,3日絶食をして、勉強に差し支えない程度に空腹感を体験するのは、ひながたをたどることに多少はなると思います。