黒崎夫妻との出会いから防府2時間40分05秒まで

大阪府庁の
練習会
参加
と45分台まで

サブスリーを達成した翌年の9月下旬から、黒崎さんの紹介もあり私は長居公園で毎週火曜・木曜・土曜と行われていた、大阪府庁の練習会に火曜日だけ参加させて頂くようになる。初めて参加してみてびっくり、参加しているメンバーは男子はほとんどが30分cut・40分cutの人達ばかり。女子もサブ3メンバーが中心。とても男子のメニューにはついて行けず、練習の中心は女子と行うか、休養日の男子のメニューにつかせていただくかが精一杯であった。(当時のマラソン練習メニュー。男子:3'30"〜40"・女子:4'10"〜15"/ペース走20k。4'〜ビルドアップ/15kなど)
1ヶ月ほど、週1回練習に参加させていただき参加した、11月の福知山マラソンで2時間49分00秒。同年3月に走った、篠山のベスト記録を5分も上回ってしまった。そして、翌年3月の篠山ABCマラソンンで2時間45分台と更に4分近くベスト記録を更新する事になる。
この、篠山の練習時に知り合ったのが、別大を目指して大阪府庁の練習会に参加していた、堂代さん。そして、家がすぐ近所で私が週末、山への長距離走をつき合わせていた熊代さんであった。
40分台への突入の影には、このお二人のおかげもたぶんにあると思う。

防府初参加
あぁ。無情の
2゜40'05"

長居で練習するようになって2年目。20kmのペース走を1時間16〜7分で上がれるようになった私は、12月の防府マラソンに初エントリーした。この年から防府マラソンは、参加標準記録が2時間50分になりコースも変わったとの事。
初参加の私には、そんな事は全く関係なくただただTVで生中継されるレースに自分も出場できる喜びで一杯であった。
練習でも3'50"ペースでは、20kmが出来るようになり、11月の上旬に行われた吉野川ハーフマラソンで、1時間18分台。同月下旬の尼崎ハーフは、17分11秒の連続ベストが出て40分cutも夢でないとひそ
かに思って防府に行った。
前日受付け会場に入るなり、すべてが驚きの連続。。。
医師の問診や開会式。周りを見ると宗監督や伊藤監督。それに実業団の選手ばかり。なんだか、嬉しくて仕方なかった記憶が残っている。
レース当日。会場には、堂代さん、ホテルで知り合った芝さん達とタクシーで向かう。競技場につくとさすがに、少し緊張してきた。せっかくだからと作ったスペシャルを見様見真似であずけ、初めて行うコールもこれまた人の後ろをついて行くだけ。一つ嬉しかったのは、スタートぎりぎりまでアップが出来た事と、ウインドブレーカ−を着ていられたこと。(市民マラソンでは考えられない事である)
号砲一発、防府陸上競技場をスタート。防府市内を周回し、また同じコースを競技場へ。前半は追い風に乗り気持ち良くあっと言う間に過ぎてしまった。
中間点をすぎて折り返した後、集団がいやになってしまった私は、22km過ぎ無謀にも集団を抜け出してしまう事になる。これが、大失敗であった。
案の定30km過ぎから苦しくなり、35kmではもう一杯・一杯の状態。
ラスト5km地点からはしばらく、白バイも併走してくれたが、それもつかの間。
ペースは上がらないまま40km地点が2時間31分??秒。「このまま1分でいいかから時間が止まってくれ。」と、無理な事を願いながら必死で腕をふった。
マラソンゲートをくぐってラスト400m時計が、2時間38分30秒。この時点で、km4分以上かかっていた私は、動かない体をひたすら前に運び、奇跡が起こる事を願ったが、時計は無情にもゴール手前30mで40分を超えてしまった。
ゴールタイムは、2時間40分05秒。ベストタイムを5分以上更新しての、ゴールであったがなぜか素直に喜べなかった。

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