体重80kg禁煙と共にjogスタート

平成2年8月、世間はバブル景気の頂点に酔いしれる頃、私の体重は結婚と共にドンドン増えつづけ、やがて体重計は80kgを指そうかと言うところまできてしまった。そんな時、会社の後輩に誘われて出場した、「芦屋国際ファンラン5kmの部。」ここで27分30秒もかかり地獄をみることになった。走り始めはそれから4ヶ月後、真夏の暑い盛り、勤務先のお盆休みにスタートする事になった。同時に、誰にも宣言せず何度目かの禁煙にチャレンジ。お盆休みの間、とにかくヒザの痛みを我慢して、4.8kmのコースをjog…。5km弱を走るのに40分近くを要した。
しかし、秋の深まり共に、10kmを楽に走れるようになる。自ら初めてエントリーしたのが、吉野川20kmロード(現在はハーフ)。しかし、レース開始1時間前に豪雨と雷と土砂崩れの為あえなく大会は中止。結局初レースは、翌年1月の、新春ロード兵庫大会(ハーフ)となる。このレースを、1時間44分??秒で完走。2ヶ月後の篠山はひょっとしたら、完走出来るのでは??と調子の良いことを思い始める。

初マラソン
から
サブスリーへ

27歳の誕生日の記念にフルマラソンを走ろう。以前から「死ぬまでに一度でいいから、フルマラソンを完走してみたい。」と思っていた私は、走り始めて7ヶ月後の91年3月10日「篠山ABCマラソン」でマラソンデビューをする事になる。「誕生日の記念に、自分に完走という名のプレゼントがもらえるなら・・・。」と月間走行距離、約80kmで望んだ初フル。結果は30km以降地獄を見るものの3時間44分02秒で見事完走。40km以降、何故か涙がとまらなかった感動が、思い出に残っている。
2回目のマラソンは、同年の「第1回福知山マラソン 3時間09分??秒」この大会の前、通勤ランを始め、初めて月間300kmを1ヶ月だけ経験する。
3回目は、翌92年篠山。ひそかに、サブ3を狙っていたが、途中まで知り合いどしゃべりながら走り3時間01分台のゴール。残念だったがこのレース、あとにも先にも、前半より後半のほうが速かった唯一のフルである。
さて、その年11月の「福知山マラソン」MAX月間400kmを走り、15kmのペース走を始めとしたマラソン練習を初めてこなしてレースに参加、結果は2時間59分47秒。サブ3が、確信できたのはゴールの50m手前。感動よりも苦しさの方が印象に残ったレースであった。

※ここで忘れてはならないのが、尼崎ナイトランナーズ及び武庫川クラブの皆さんとの出会い。そして、毎週火曜〜金曜の夜それぞれ、尼崎記念公園外周及びトラックで行われていた練習会に参加させてもらった事だ。最初、400m×10本の練習なんかひどい時は、トラック1周100秒近くかかっていた私であったが1年も経過するにつれ、10本とも80秒前後で走れるようになった。それと、秋口から毎週金曜日の夜行っていた15kmのペース走。最初は、1時間05分くらいかかっていたのが、2ヶ月くらい練習するにつけ、60分以内走れるようになる。そして迎えた福知山マラソンで、初のサブスリーを達成する事ができたのである。
あと、もう二人。私をランニングの世界に誘ってくれた、元会社の後輩でもある「佐藤知英氏」そしてランニングの世界の魅力を存分に、教えていただいた「森下泰夫氏」この2人との出会いがなければサブスリーは100%達成できなかったであろう。

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ジョガーの仲間入りからサブスリーまで

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