*このお話は「冷たい頬」の続編になります。できればそちらからお読みくださいませ。
「忘れられないか?」
呟いた言葉は彼女にではなく、本当は自らに投げかけたのかもしれない。 密やかな思慕を抱え切れずに見せたあの表情…尤もそれは自分の勝手な憶測でしかないのだが。 頭の中で渦巻く感情をよそに、手はいつもの通りの手順を辿っている。
先ほど無心になってミルで荒めに挽いておいた深煎りのコーヒー豆と水を、ミルクパンに入れて火にかけた。 焦げ付かないように、くるくるとかき混ぜるのもいつも通りの慣れた手つきだったが、 また苦し気な彼女の表情を思い出して、掻き回す手がぴたりと止まる。 浮遊し続ける不安定な感情は、均一に沈んでいくコーヒー豆のようにはいかなくて、 ジョルジュは香り高い湯気の中に紛れてしまうような、小さなため息をついた。
どこからどこまでが「友人」で、どこからどこまでが「恋人」になるのか。 はっきりとした境界線でもあれば、楽なんだがなと弱気になってみたり、初めての恋愛じゃあるまいし、 何をもたもたしているのだろうと、自分を叱咤してみたりもする。 けれどこれがどうして、足踏みばかりで中々前へ進めずにいるのが現状。 臆病な自分への甘い言い訳にすぎないと解っていても、大事にしたいと思えば思う程、踏み出す一歩を躊躇ってしまう。
ふつふつと泡立ってきた鍋がジョルジュを現実に引き戻し、慌てて火から離してふう、と一息をつく。 いつもと同じようにこれを3回繰り返す頃には、ミルクパンの中には艶やかな濃度の液体が揺れていた。 暫くおいて、用意しておいたカップに静かに注ぐ。 これがどんなに疲れていても行う、一日の最後の儀式のようなものだ。
最近はサリの家で飲むことが多かったので、自分で淹れるのはそういえば久しぶりだったと、口をつけてから思い出す。
ドリップともサイフォンとも違う、この原始的な淹れ方が気に入っていたはずだが、 すっかり「彼女のコーヒー」の味に舌が慣れてしまっていることに気づいて、思考がしばし凍結したかのように固まった。
「嫌んなるね、まったく」 ずずっと日本茶をすするように飲み干してしまい、口の中にカップの底で溜まっていたコーヒーの粉が入り込んできた。
「苦…」
タン、とターブルの上にカップを置いて、口元を拭う。 仕事を終えた自分を労う為の一杯だったのに、舌に苦みがまとわりついてくる。 ボタン一つ分掛け違ってしまったこんな日は、とっとと寝てしまうに限る。
眩い日差しを遮るように、ジョルジュはカーテンへ手を伸ばした。 「……」 伸ばしかけた手が止まる。
「オハヨ〜」 窓の外で控えめに手を振っているのは、サリだった。 先ほどまであんなに苦し気な表情で眠っていたのが、それこそまるで夢の中の出来事のように思えて。 そういえばカーテンまで辿り着かなかった手が宙に浮いたままだと気づき、 ジョルジュはぎこちなく手を振り返す。
思いがけない来客を招き入れると、 「あ、いい香りがする」 サリは目を閉じて、まだ部屋に残っていた香りを吸い込んだ。 「淹れようか?豆から挽くからちょっと時間かかっちまうけど」 「残念。忘れ物を届けに来ただけだから、すぐに行かないといけないの」
「忘れ物」という彼女の言葉を聞いた時、ジョルジュの頭の中に疑問の雲がむくむくと湧き起こった。 わざわざ届けに来てくれたってことは、仕事道具でも忘れたか? あーでもない、こーでもないと考えを巡らせていると、サリがジョルジュの黒衣の袖をくい、と引っ張る。
頬に柔らかな感触。優しくて、温かくて、くすぐったいような。
「え、え〜〜〜!!!」
ジョルジュの頬が瞬時に赤く染まった。 それを見たサリは一瞬呆気にとられ、やがてくすりと笑った。
「じゃあね、行ってきます」 「お、おう。行ってらっしゃい…」
惚けたように頬を押さえつつ、いつまでもジョルジュはサリを見送っていた。
前作「冷たい頬」の終わり方がアレだったもので(苦笑) どうしても二人を進展させるべく取りかかったのですが… 一歩踏み出したのはサリちゃんの方でしたか!! う〜ん、どうしてわたしが書くとジョルジュはこんなにオクテになっちゃうんだ?
ところで作中に出てくる「ジョルジュのコーヒーの淹れ方」ですが、 わたしが普段コーヒーを飲む習慣がないので、色々調べてみたところ、 「ターキッシュコーヒー」というのがあるらしく、 できるだけ再現してみたつもりです。 本式はもちろんミルクパンは使わないのですが(汗)
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