常々女心は解りかねる俊ではあるが、女性にとって『初めて』がとても大切なことであることはわかる。

それができるかどうかは別として、例えば夜景が見えたり海が見えたりするようなホテルの一室であるとか、いつもと違うなにか特別な場所が必要だと朧げに考えていたというのに。

 

こちらの段取りを全て無視して、蘭世は飛び越えてくる。いつも予想外だ。それが蘭世のいいところでもあるのだが、はたして彼女の望みは本当にそれで良かったのだろうか。

 

いつものこの狭くて何もない、美しい景色など到底望めない、俊がいつも暮らしているアパートの一室。

それならばいっそ魔界の城内のどこかの方がよっぽど…と思いかけて俊は思い留まる。コイバナ好きの弟にむざむざ知られるのも癪な話だ。

そもそもレストランではなくこの部屋での食事をと、望んだのは蘭世の方だ。俊にはわからない良さが何かしらあるのだろう。

 

「ま、真壁くん…お風呂、湧いたよ」

 

どことなく硬くうわずったような声で蘭世が声をかけた。

見ているのか見ていないのか、TVの音も二人の間を素通りしている。

 

「先、入ってこいよ」

俊は蘭世を見ずにやや俯いたまま答える。彼の声もまた然り。

 

「…うん、じゃあそうするね」

 

カラカラと風呂場の戸を閉める音がして、ほどなくシャワーからの水音が聞こえてくると、俊はいつの間にか呼吸を止めていたことに気づいて深く深く息を吐いた。

畳の上に両手をついてがっくりと項垂れる。心臓が早鐘を打つのは、息を止めていたからだけではない。

今年ようやく取り付けたばかりのエアコンからは心地いい風が、この狭い部屋を適度に冷やしてくれているというのに、顔が熱い。

 

このシチュエーションを予想しなかったわけでない。むしろ甘美な欲望に抗えず、幾度となく『その時』のことを考えてきた。

考えては我に返って猛々しく逸る己を抑圧し、これまで耐えてきたのである。なぜなら抑えがきかない自分の恐ろしさは自分が嫌というほどよく知っているからだ。

 

おそらく今夜これから二人がする行為の本当の意味を、蘭世は知らない。きっとそれはふわふわの綿菓子のような甘い夢に包まれているはずだ。

しかしきっと獣のような自分はそれを壊して喰い尽くしてしまうだろう。そして彼女自身をも。

 

だが蘭世は今夜、この部屋に泊まるのだと言う。朝まで一緒にいるのだと。それはつまりーーーー

 

「どうしたの?」

「わーーーーー!!!!」

 

俯いた自分を更に下から覗き込むように、蘭世の顔がすぐそばにあった。後ろに両手をついて腰を落とすと、蘭世はきょとんとした表情でこちらを見る。

「な、なんでもねえよ。風呂入ってくる」

 

落ち着きなく立ち上がり、風呂場へ逃げ込む。蛇口を捻り、冷水を勢いよく頭から被る。滝に打たれる修行僧ならこういう時、経文でも唱えるのだろうか。

ふとそんなことが頭をよぎり、苦笑して蛇口を戻す。濡れたタイルの壁に額をつけて胸の鼓動が静まるのを待った。

それは先ほどの驚きが冷めやらないからではなく、その後に覗き込んできた時の蘭世の湯上がりの香りや、上気した頬が悩ましくも鮮明に思い出されて、俊を甘やかに刺激するからだ。

 

怒濤のような一日はまだ終わっていない。むしろこれからだ。

様々なものをふるい落とすかのように、勢いよく首をふる。水しぶきが飛び散った。

壁に手をついて、ふう、と今度は軽く息を吐いて俊は顔を上げた。ぺしぺしと両手で頬を軽く打つ。

 

「真壁くん?」

 

ガラス戸越しに声がして、また俊は声をあげそうになった。

「どうした?」

磨りガラスの向こうに蘭世のシルエットが見える。見えるはずもないのに、今までの葛藤すら透けて見られてしまいそうな気がして、俊は慌てて湯船へ飛び込む。

 

「せ、背中…流そっか?」

 

「!?だ、大丈夫だ」

「ん、わかった」

蘭世のシルエットが遠ざかるのを確認して、俊はずぶずぶと溶けるように顔の半分まで湯に沈んだ。

 

 


 

 

あぁ、だめだ。こんなタイトルをつけておきながら、「最後」まで書けない…(2017/04/10追記 「続き」書いちゃいました)

相変わらずコマとコマの間を埋める作業(妄想)が楽しくてたまらない。夏の夜窓が閉まっているということは、部屋にはエアコンがある。

なのに何故真壁くんの手には団扇が握られていたのか。たぶん湯あたり寸前まで湯船に浸かっていたのかなと思ったら、こうなりました(笑)

 

 

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