「どうした!?」 すぐに追いついて来た俊の声に、鈴世は振り返る。 「お姉ちゃんが…お姉ちゃんが…」 「落ち着くんだ。ゆっくり話してみろ」
「お姉ちゃんが、上から落ちてきて沈んでいって…ぼく、助けなきゃ!」 青い底へ急ごうとする鈴世の前を、俊が阻む。 「おまえは人を呼びに行け、いいな?」 「うん…」
言うが早いか、俊は水の中へ消えていった。 まだ覚えたての泳ぎでは到底助けられっこないことは、よくわかっている。 むしろ俊に委ねたほうが賢明だ。 鈴世は祈るような気持ちで背を向けて浜辺へ向かった。
水に濡れた肌に風が触れて熱を攫い、呼吸を深く何度も繰り返し、少しずつ鈴世は冷静さを取り戻してきた。
まるでスローモーションのような一部始終だった。 だから見間違うことはない。 空から降ってきたということは、姉は鳥か何かに変身していてくしゃみをしてしまったのだろう。 だとすると母に知らせると、マズイような気がした。 しかし父は映画の撮影に立ち会っていて、この時間は現場にかかりっきりのはず。
「どうしよう…」 泣きたくなるような心細さを噛み殺しながら、鈴世は砂浜を後にした。
凄まじい勢いで落ちていった蘭世は気を失っている為か、たぐり寄せられるように静かに沈んでいこうとしていた。 目の前の光景はまさに一年前がフラッシュバックしたかのようだ。 違いはお互いに水着を着ていないということぐらいだろうか。
水の中は時間が緩やかに進んでいるような錯覚に陥る。 どれだけ藻掻いても、少しも進まないような気がするからだ。 蘭世は黒髪を羽衣のように緩やかに揺らしながら、 より深みへ落ちていく。
「とられんようにせいぜい気ィつけな」
何故か筒井圭吾の声がした。 息がもたなくなってきたのかもしれない。 そろそろヤバイ。
ーーー行かせるかよっ!
不敵な笑みを浮かべる筒井の残像を消し去るように思い切り伸ばした手が、蘭世の腕を捉えた。
地上へ戻れば重力が戻る。 蘭世の身体の重みとぬくもりが、抱きかかえた腕に伝わる。 一年前と同じようで、どこか違う柔らかさも。 急激に肺に空気が流れ込み、俊はむせつつ蘭世を砂浜へ横たわらせた。 思いのほか動揺している自分の存在がちらっと垣間見えたが、そこは見ないふり。 もしくは見ていないのだと自分に言い聞かせる。
複雑に交差する感情が、俊の中を瞬きほどの間で縦横無尽に駆け巡っている。 しかし処置はあくまでも的確で迅速にしなければならない。
気道を確保し、最初の1回は静かにそっと。 2回続けて行ったら、呼吸の有無を確認すること。
臨海学校へ行く事が決まった時、母が教えてくれた言葉が次々に蘇る。 教えられた通りにすれば間違いないはずだ。 息を吸いこみ蘭世の鼻をつまむと、俊は少しずつ顔を近づけていった。
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