サリは図書館が好きだ。天井の高い館内は開放感があり、ページを繰る音が耳に心地よく響く。古い書物特有の紙とインクの匂いは、どんなアロマよりもサリをこの上もなく落ち着かせてくれる。今日もおかげで『シナリオ』のノルマは予定よりも早く終わらせることができそうだ。傍らに資料を山積みにし、原稿用紙にペンを走らせる。気分が乗ってくると、集中力は自然と高まる。だからサリは自分の正面に誰かが座ったことにも気づいていなかった。

 

充実感と達成感を噛み締めながらエンドマークを入れ、静かにペンを置く。仕上がりに満足してほくほくしながら、軽く机の上でトントンと音をさせて原稿用紙を揃えたところで、ようやくサリは視線に気づいた。

 

「よお」

向に座っているサリに丁度聞こえるぐらいの小さな声で、黒装束の男がにこやかに軽く手を振った。黒いフードから、穏やかな月の光のような銀色の長い髪が波をうっている。記憶の中を総動員しても、彼とはやはり面識はなかったはずと、怪訝に思っているうちに男は指で紙をすっと滑らせてサリの目の前に送った。

 

ーーー話がある。時間とれるか?

 

かきなぐったような字だが、乱暴な印象はない。サリはメモと目の前の男とを見比べた。サリの仕事が終わるまで、どれぐらい彼は待っていたのだろう。よっぽどのことがない限りサリの集中力が削がれることはないが、仕事の邪魔にならないようにじっとしていたことだけは確かだ。サリは紙をひっくり返してペンを走らせて、同じく指で送り返す。

 

ーーー別館で待っていて

 

彼は満足そうに笑って頷いた。

 

魔界公立図書館ではもちろん飲食は厳禁だ。しかし隣接する別館では、休憩スペースが設けられており、カフェテリア方式で軽食をとることや喫茶が可能だ。サリは注文したカフェオレをトレイにのせて、辺りを見回した。窓際の席で手を振る彼を見つけて、歩み寄る。

 

「何の用なの?…って何食べてるの」

椅子を引いていた手をとめて、サリはあきれたような声を出す。

「何って、プリンだけど」

男はいたって真面目な声で答える。ホイップクリームやチェリーの飾りもなく、ただの何の変哲もないプリンだけが、皿に乗っている。よくみればカスタードプリンにはちゃんとバニラビーンズが使われていることがわかるし、カラメルソースもプリンの甘さを考慮したほろ苦さになっていて、両方をうまく口に入れると、絶妙のバランスでなかなかの出来映えなのだと、彼はこれまた真面目に付け加えた。今度こそ完全に呆れながらサリはカフェオレを口にした。

 

サリの冷ややかな目線など意に介していないのか、男は『最初の質問の答えはこれ』とばかりに、今度はクリアファイルをサリの前に出してきた。

 

中には幼い少女の写真とプロフィール、そして死亡時刻や理由が淡々と記されていた。

 

「甘いものが好きな死神っているのね」

ファイルに目を落としながら、サリが言う。

「それは死神に対する偏見ってやつだろ」

食べ終えた彼は『ごちそうさま』と手を合わせながら、口をとがらせた。

 

彼ーーー死神は語った。ターゲットの少女は幼い頃から患っている心臓の病気の為、同世代の子供たちが当然のごとく楽しむ遊びや学校生活を経験していない。母親も早くに亡くしており、何の楽しみや喜びを知らず無気力になった少女は、入院先のベッドで毎夜泣き続け、心身ともに衰弱の一途を辿っている。このままでは死亡予定日を迎えても、衰弱しきった魂は死神に回収されることもなく、漂うだけとなってしまう。所謂『浮遊霊』と成り果てるのだ。

 

「だから、幸せな夢を見せてやってくれないだろうか」

死神はテーブルに両手をついて頭をさげた。

「やだ、ちょっと頭をあげてよ」

「…じゃ、オッケーってこと?」

ちろりと上目遣いでこちらを見やる死神の顔は、勝負あったという確信を得たようだった。サリはやれやれと溜め息をつく。

「抱えてた仕事も一段落ついたし、べ、別にたいしたことじゃないわ。だけど、どうして私に?」

「そりゃ、あんたが夢魔の中で一番優秀だからさ」

 

にっこり笑ってさらりと言われた後、身体に熱が突き刺さったように感じた。そこから急激に広がって、サリの頬や耳を紅く染める。

 

「あ…ありがと」

体中でドクンと脈をうつのが聞こえてくる。死神がその後も感謝の言葉を述べているような気がするが、言葉は意味をもたずにサリの中を駆け抜けていく。ただ優秀だからと誉められただけなのに。そもそもお世辞かもしれないのに。必死に打ち消す自分自身の言葉もまた、彼の笑顔の前にほろほろと崩れていく。

 

「シナリオは今夜の夢に間に合わせるから」

急かされるように席を立って、彼に背を向ける。これ以上この場所にいられない。

「さすが仕事が早いな。今度何かお礼させてくれ」

「わ、私急ぐから」

すたすたとファイルを胸に抱えて歩き出す。しっかり抱えていないと心臓が跳ねてどこかへいってしまいそうだ。

 

ーーー何これ、何なのこれ!?

 

図書館のいつもの席に戻ったサリだったが、ファイルを胸に抱えたそのままの格好で、放心し続けていた。そういえば彼の名前を聞き忘れたなと気づいたのは、閉館時間を告げる鐘が鳴った頃だった。

 

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