大王はまず最初に目を見開き、言葉を失った。 今息子が何を言ったのか、頭の中で反芻して言葉を噛み砕き、あちこち喉にぶつかっては引っ掛かりながらも、ぐっと押し込むように飲み込んだ。 あまりに突然のことに、さすがの大王も動揺を隠せないでいる。 水を打ったように静まり返った中、眉間にぐっと深い皺を刻んだままの大王はようやく声を発した。
「レドルフ、本気でそんなことを言っているのか?」 顔の半分だけ笑顔になっている大王の声は震えていた。 「もちろんです。父上」 レドルフの声はひどく落ち着いていた。 この親子の短い会話をターナは黙って聞いていた。 とても口を挟める状況ではない。 彼女自身、まるで突然の雷に打たれたかのように立ち尽くしているだけだったのだ。 レドルフは更に続ける。
「わたしは彼女以外の女性と結婚するつもりはありません。彼女が王妃として相応しくないと仰せでしたら、わたしは王位継承権を放棄します。 わたしには王子という身分すら煩わしい」 今まで心に抱えてきた悩みを全て、自らの力で打ち砕いていくようにレドルフの言葉は力強かった。 あまりにも堂々としたその態度に、最早大王は返す言葉が無かった。
大王は足元の力を失い、その場に手をついて座り込むとがっくりとうなだれた。 「なんということだ…」 レドルフは父の傍に歩み寄り、片膝をついて父の肩に手を置いた。 「父上、我が儘を言って申し訳ありません。しかしこればかりは引く訳にはいかないのです」 大王は顔を上げて、息子の目を見た。 強い意志に、自信に満ちあふれた瞳。何を言ってもその決意は揺らぐことはない。 大王はそう確信した。最後に深く大きな息を吐くと、
「結婚は…許そう…」 振り絞るような声で、息子に伝えた。 見る見る内に、レドルフの顔に喜びが満ちあふれてきた。 「ありがとうございます、父上」 王子は深々と頭を下げた。
大王はお付きの者に支えられるようにして、部屋を出ていった。 扉が再び閉ざされる。
緊張感から解放されたレドルフは満足げに、ほっと胸をなで下ろした。 「あの、レドルフ様?」 たまらずターナは声をかけた。 その声でレドルフは急に神妙な顔つきになった。 「順番が、逆になってしまったな」
レドルフが寂しげな瞳で微かに笑うのを見ると、ターナは何を言えばいいのかわからなくなってしまった。 いや、何を言いたいのかなんて、最初から文章にも言葉にもなっていないのだ。 渾沌とした中に、彼女の本当の気持ちはまだ埋もれている。 時折はっきりした形で浮上するかのように見えて、途中でほろほろと崩れていく。 それは手のひらで雪が溶けていく様にも似ていた。
「そなたの返事を聞かずして、父上に報告してしまったことは申し訳ないと思っている。 だが、わたしの気持ちは変わらない。ターナ、わたしと結婚してほしい」 今度は真剣な瞳で問いかけてくる。ターナは増々言葉を失ってしまった。 喜怒哀楽、どれに当てはまるかわからない涙がターナの瞳から次々にこぼれ落ちた。
レドルフは慌てた。 こんな時、どうすればいいのか。それよりも涙の理由は?やっぱりだめなのか。 受け入れてもらえないのか。いろんなことがレドルフの頭を駆け抜けていった。 こんな時こそキャンディーの力を借りるべきなのかもしれない。 ターナ自身がまだ掴みきれていない本心を、キャンディーが引き出してくれるはずなのだから。 しかしレドルフにはそんな簡単なことにすら、頭が回らなくなっていた。 「あ、あの、ターナ…」 つい今し方までの威厳に満ちた態度はどこにもなかった。 ただおろおろと使用人の少女の前に立つ王子は、必死でかけるべき言葉を探していた。
まだ、薬の効き目は残っているだろうか? ゆっくりと天井を見上げ、レドルフは祈るような気持ちで強く目を閉じる。 だがもしも抗力が失せていたとしても、伝えなくてはならない。 今でなくては、意味がないのだ。
「正直、わたしはおまえのことをよく知らない。おまえもそうだろう。だけど、初めて見た時わかったのだ。共に生きていく女性だと」 「わたしは…何の身分もございません…」 涙声でターナは途切れ途切れの言葉を繋ぐ。 「それが何だと言うのだ!?」
レドルフの声が大きくなる。びくん、とターナの肩が戦慄く。 「す、すまん…」 先ほどとはうってかわって声をすぼめ、レドルフは所在なげに頭を掻く。
不器用で、でも誰よりも優しい方…。 ゆっくりとターナが瞼を閉じると、最後に一粒の涙が零れ落ちた。
「本当によろしいのですか?」 ターナの声が震えていた。しかし瞳は涙で潤ませながらも、微笑んでいるかのように見える。 「そ、それはつまり…」 ゴクリと驚くほど大きな音でレドルフの喉がなった。 期待を込めてターナの次の言葉を待つ。 「光栄でございます」 ターナの涙が喜びによるものだと、ようやく理解できたレドルフは、 ああ…とため息のような深い息を吐いて、じわじわとこみ上げてくる喜びが雨のように心に降り注ぐ。 やがて体全体から溢れ出てきそうになると、両手を広げて包み込むようにターナを抱きしめた。 ターナもそっと両手を添えるように、レドルフの背中に回す。
天にも昇る。とはこういう気持ちなのだろう。 正にレドルフの心は、高い天を目指して突き抜けていきそうな勢いだった。 ターナが部屋を出た後も、まだ両腕にはターナの体温が消えずに残っている。 この薬がなかったら、きっと今でも大事なことは何一つ伝えられずにいただろう。 メヴィウスに感謝せねばなるまい。 こんな素晴しい薬を作ってくれたのだから。 薬の助けは借りてしまったが、自分の心の中は全て伝えることができたのだ。 もっとも、その使い方は本来のそれとは異なるのだが。 レドルフは苦笑した。
そのメヴィウスはというと早々に城を引き上げ、魔女の森へ帰っていた。 大慌てで薬を作らされたせいで、まだ後片付けが残っていたのである。 ドアを開けると、キャンディーを作った時の甘い残り香がふわりとメヴィウスを出迎えた。 長々と呪文を唱えるまでもなく、メヴィウスがパチンと指を鳴らすだけで散らかった器具たちが勝手に片付け始めた。 急ぎの仕事の上、慣れない恋の橋渡しの役割まで命ぜられたので、 さすがのメヴィウスも疲れがどっと出てきた。 「ちょっと一眠りするかのぉ」 欠伸をしながら寝室へと足を運ぶ。その時、メヴィウスのつま先に何かがあたった。 「ん?」 何気なくそれを手にしたメヴィウスは、珍しく素頓狂な声を上げた。 「しまった!!竜の涙を入れ忘れておった…」
竜の涙は最後の仕上げで使うはずだったもの。それがどう思い返してみても使った記憶がない。 大慌てで城へ戻るよりもまずは水晶玉を覗いてみた。 映し出された王子の顔を見れば結果は火を見るより明らかだった。 メヴィウスは首をかしげる。 結果は上々で、王子は大満足。しかし何故? 既に眠気はどこかへ消え、メヴィウスはしばし思い悩んだ。 目的を達した王子があの薬を使うことはもうあるまい。 できることならば二度と栓が抜かれないことを切に願うメヴィウスだった。
そして…
「あ、真壁くーん」 蘭世は俊の姿を見つけ、駆け寄る。 「ねえ、キャンディー食べない?」 にっこり笑ってひと粒差し出す。
さて、その結果は…?
かるさんへプレゼント。 キャンディーを食べた俊の反応は、当初の予定では皆様のご想像にお任せしようと思っていたのですが、 なんと!この続編はPALさんこと 和紗さんが「キャンディの悪戯」として書いて下さっています。 ありがたや。 そして、わたしも書いてみました。さてその結果は?→「キャンディにお願い」
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