キャンディの魔法

 

 

 

蘭世の手のひらに、小さな瓶がある。

中に入っているのは、どこででも良く見かけるタイプのキャンディーのようだ。

蘭世はそのままゆっくりと手を目線の高さまで上げ、じーっと真剣な眼差しを送る。

「効き目、あるかしら…?」

 

彼女自身もその存在を忘れていたが、これはただのキャンディではないのだ。

随分前になるが、アロンからもらったいろんなアイテムのうちの一つに『正直キャンディ』がある。

使ってみたいと思いながらも、その機会をいつも逸してきたため、まだ使ったことはない。

相手にひと粒食べてもらうと、効果はてきめん。

どんなに隠したい秘密でさえも、質問されたら白状してしまうという代物だ。

心に隠した言葉は噴水のように口から零れ出てくる。

両手で塞いだところで、何の役にも立たない。

いつだったか、アロンはそう言っていた。

 

じゃあ、これを俊が口にしたらどうだろう?

色とりどりのキャンディーは、ガラス越しに蘭世の心に魅惑的な誘いをかけてくる。

きっと蘭世が一番望む答えをくれるはずだよ、と。

 

好きな人の本当の気持ちを知りたいと思うのは、当然のこと。

普段はちっともその心の内を見せてくれることも語ってくれることもない俊。

知りたい、知りたい!その気持ちがどんどん膨れ上がってくる。

抑えつけることなど、もはや不可能に近い。

そうなると、蘭世の妄想ともいうべき想像は先走りを始める。

 

「ねえ、真壁くん。わたしのこと、どう思ってるの?」

潤んだ瞳で蘭世は俊を見つめる。その眼差しに応えるかのように見つめ返す俊。

「蘭世、俺はおまえのことが…」

想像の中の俊は真剣な表情で、蘭世を強く抱きしめ熱っぽく語りかけてくる。

仮想世界の言葉にもかかわらず、現実の世界の蘭世の頬は赤く染まる。

彼の背中に手をまわす蘭世。実際は手元のクッションをぎゅっと抱きしめている。

瞳の中にはハートの形が浮かんでいる。

今は誰が何を言っても聞こえないだろう。

 

さて、蘭世が浸っている間に魔法のキャンディーの話をしよう。

蘭世の前の持ち主、アロンも実はこのキャンディーを試したことはない。

マジックミラーやチビリングマシンですら、何度か使っただけですぐに飽きてしまっている。

ましてや誰かの正直な気持ちなんて、その当時のアロンにはまるで興味がなかった。

欲しいものは手に入れる。いつだって自分のしたいようにする。

例え周りがどう思っていようと、関係ない。

アロンにしてみれば、正直になってもらわなくたって、全然構わないのだ。

そんな訳でせっかく父、大王から貰ったものの最後まで使うことはないまま、初対面の蘭世にあっさりプレゼントしてしまうのである。

 

そう、キャンディーの最初の持ち主は大王、レドルフだったのである。

では何故レドルフがこのキャンディーを手に入れたのかというと。

それはまだレドルフが大王に即位する少し前の話になる…

 

このところ、城に流れる空気は暗く重たかった。

誰もがすれ違い様目を合わせては、黙って下を向いてしまう。

先月あたりから少しずつ衰弱していた大王の容態が思わしくなく、いよいよ王位交代の時期が迫ってきていることを暗に知らしめていた。

王子のお妃問題がまだ解決しないままに。

 

「レドルフ様ぁ〜〜」

頼り無い声でサンドが王子の後を追う。

「わたしは絶対に見合いなどせんっ!!」

お決まりの答えが返ってくる。

大王からは胃が痛くなる程せっつかれているのに、相も変わらず断固として拒み続ける王子の態度に、周りの者はほとほと手を焼いていた。

それはまるで終わりがない映画のフィルムのように、何度も何度も巻き戻されてはくり返された。

そして今日も王子は自分の部屋に戻ると、サンドの目の前で無情にも扉を閉ざしてしまった。

近ごろでは貫禄だけはすっかり父親譲りの王子に、サンドはつい腰が引けてしまうのだ。

「あぁぁ〜〜、どうすればいいのだろう…」

なす術もなくただ立ちはだかる扉を前に、サンドはがっくりと肩をおとして、今日も昨日と同じため息をついた。

 

それは扉を一枚隔てた向こうでも同じだった。

「王位など、いらぬ…」

レドルフは頭を抱えてまたため息をこぼす。

心の中では強がってみせるが、実のところ日に日に衰えていく父の姿を目の当たりにすると、なかなか言い出せずにいた。

魔界の行く末を案じる王子としての気持ちと、一個人のレドルフとしての心情が交錯していた。

答えは一つではないから厄介だし、頭を痛めるのである。

 

自分は王子、彼女は使用人。そして一方通行の気持ち。障害は聳え立ちレドルフを見おろす。

ターナへの秘めたる想いは募るばかりで、さしたる進展はなかった。

彼女の存在に気付くと反射的に体に妙な力が入り、ぎくしゃくとロボットのような歩き方ですれ違うのが関の山である。

そんなレドルフの気持ちに気付かないターナは、いつも通りその他大勢の使用人がするのと同じく、丁寧なお辞儀をして王子が通り過ぎるまで深々と頭を下げている。

そのおかげで彼の不自然な歩き方に気付くことはないのが、せめてもの救いかもしれない。

だが、何も伝わっていないことに変わりはなかった。

 

こういう時、自分の性格を恨めしく思う。

言葉や態度で相手に気持ちを伝えることがこんなに難しいことだとは。

そして王子という身分が、わずかに残る勇気に更なるブレーキをかけるのである。

レドルフは自らの想いにがんじがらめになって、身動きがとれなくなっていた。

 

初めての恋に悩む年頃の王子、自分の殻に閉じこもる息子を心配する王、その間に立つ側近たち。

それぞれがそれぞれの悩みを抱えて、眠れぬ夜を幾つも超えた。

これで城内に活気があるはずがない。

 

その中でただ一人ターナは、いつも通りの毎日を過ごしていた。

よもや原因の大きな一部になっていることなど、夢にも思わずに。

それでもどこからともなく耳に入ってくるので、最近の大王の病状や王子の機嫌の善し悪しは事細かに熟知していた。

そして王子の食欲がとみに減っていることも。

 

「レドルフ様、もうよろしいのですか?」

「いらぬ、さげてくれ」

食卓にはあれこれと王子の目を引くようにと、手を施された料理が今日もまたたいして手もつけられることなく調理室へと帰っていく。給仕をする者のため息を添えて。

 

こうなってくると、病床に臥せっている父王も息子のことを気に病まずにはいられない。

次期大王となる大事な体に何かあってはならないと、大急ぎでメヴィウスが呼び出された。

側近たちは何か凶兆がその水晶玉にうつっているのではないか、原因は何か、はたまた魔界の行く末まで。

矢継ぎ早に質問の集中砲火が浴びせられた。

「焦るでない!!」

たまらずメヴィウスは一喝する。

 

そしてようやく落ち着きを取り戻した空気の中、メヴィウスは手にした水晶玉を覗いた。

「…うむ、これは…」

神妙な顔で周りを取り囲む側近たちは固唾を飲んで見守る。

そんな彼らを一瞥すると、メヴィウスは重い口を開いた。

「…何にもでておらん…」

「ちょ、ちょっと待て。そんなはずは無かろう。現に王子は食欲も無く夜もろくに眠れない状況にいらっしゃるのだ」

「わたしの水晶玉は何も示しておらん。それが全てじゃ」

そう言い残すと、メヴィウスは席を立った。

残された側近たちは最後の望みを断ち切られ、がっくりと肩を落としてしまった。

 

「あの役立たずの魔女めぇ…何が王家の専属の魔女だ。何にも答えになってないじゃないか」

「これじゃ、大王様に報告ができん…」

遠くで聞こえる恨み言を背中で聞きながら、メヴィウスはほくそ笑んだ。

そして手のひらに包まれた水晶玉をもう一度見つめる。

先ほどと何ら変わらない輝きで透明な光を放つ。

「さて…恐らくこの辺りのはずなんじゃが…」

四方をきょろきょろと見渡すと、メヴィウスは近くを歩いていたターナの後ろ手をぐいと掴んだ。

 

「あの。何かご用でしょうか?」

驚きを極力隠しながら、ターナは尋ねた。

「おまえさんに頼みがある」

メヴィウスはにやりと笑った。

   

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