蘭世は俊が無事に辿り着くのを見届けてから、この部屋から出ようとしていた。しかし蘭世の思惑に反し、ドアが突然大きく反り返るようにして開いた。

そして蘭世を外へ押し出そうとする。自分の意思とは異なる外部からの力を感じ、蘭世はドアにしがみついた。まだ出るわけにはいかない。自分の夢の世界に俊がいる限り。

 

俊の命を守る為に、惚れ薬を飲んだ。けれど結局俊に助けられている。だから、今度こそ。

 

「わたしが真壁くんを守るんだからっ!!」

 

今にも引きはがされそうになるのを、懸命に堪える。指先に感覚がない。夢の世界といえど、痛みはリアルだ。蘭世は歯を食いしばった。

 

砂浜に転がり落ちてきた俊を見て、アロンは舌打ちをした。催眠を解いたら普通はすぐに目覚めるものだ。

それなのに何故。俊が脱出したのを見届けたかのように、今ようやく蘭世は目を開けた。

そして俊の元へ駆け寄り、二人は自然と手を取り合って自分を見ている。

苛立つアロンをじっと見ていた俊は、おもむろにアロンの手枷の魔法を解いた。

 

急に自由になった両手を確認しながらも、アロンは俊の真意が読めずに動けずにいた。

 

「もう辞めようぜ。こんなこと」

 

俊の視線が哀れむように見えて、アロンの癪にさわった。隣で寄り添う蘭世までも憎かった。みんなみんな、消えてしまえばいい。

 

返事の代わりにアロンは手のひらから光を放った。俊は反撃する気配すらない。こうなったら完全に叩きのめすまでだ。

アロンは闇雲に波動を送り続けた。巧みにかわしながらも俊は蘭世を庇っていたが、さすがに傷が増えてきたようだ。

アロンが止めをさす最後の一撃を繰り出そうとしたその時だった。

 

月は群雲に隠され、空気がざわめきだした。

 

これ以上過去へ介入することは許さぬ

 

闇に潜んで姿は見えないが、全てを威圧する声が重く響いた。

 

「過去?」

俊と蘭世は風圧から互いに身を守りながら、顔を見合わせた。

「そうさ、ぼくは少し先の未来から来た。誤算だったよ。この時代はまだ真壁は人間のはずだったのに」

アロンの笑顔が歪み、泣いているようにも見えた。

 

「もはや未来は軌道修正できない。時の神の名において命ずる。この世界を無に帰す」

 

「そんな…どうして…」

蘭世は言葉を失う。

 

「ぼくはどうしても君を手に入れたかったんだ…」

萎れた花が水を求めるように、アロンは手を差し伸べた。

しかしその手は蘭世に届くこと無く、アロンの姿は数回歪んだ後忽然と消えた。蘭世は悲鳴をあげた。

 

どこかへテレポートしたわけではなさそうだった。少なくとも自分の意思でこの場から消えたようには思えない。

俊はできるだけ冷静に考えようとするが、事態は想像の範疇をとっくに越えてしまっている。

その間にも夜空が溶け出し、海はひび割れ始めていた。

 

「真壁くん、わたしたちどうなるの!?」

「おれにもわからねぇ。だけどアロンが消えてしまったということは、おれたちも同じ運命を辿る可能性はある」

「消えて…しまうのね?」

蘭世の瞳にみるみるうちに涙がたまる。しかし蘭世は必死にせき止めようとしていた。

俊は蘭世の髪の間に指を滑り込ませ、苦しげに抱き寄せた。蘭世もまた離れまいと俊にしがみついた。

 

肌と肌の境目がなくなるほどしっかり抱き合っているのに、どこか頼りなくて不安になる。

自分自身が消えてしまう恐怖よりも、こんな時ですら蘭世に何ひとつ伝えきれていない自分が歯がゆくてならなかった。

 

「わたし、真壁くんに出会えてよかった」

「これで最後みたいな言い方すんな!」

 

蘭世の涙がついに決壊した。

「真壁くんと離れたくない…」

自分だって同じだ。しかし俊は声が喉の奥で詰まって出てこなかった。

腕の中の大切な人が消えてしまわないように、俊は抱きしめた。

洗い髪でもないのに、蘭世の髪からはシャンプーの香りがして、胸の奥が甘く痺れた。

 

「この世界が消えてしまっても、わたし、絶対真壁くんのこと忘れないから!!」

 

忘れるはずがない。忘れるものか。温もりも、髪の香りも、声も、笑顔も全て。

 

 

 

 

やがて何の前触れもなく、俊の腕の中から蘭世が消えた。

 

 

 

 

 

俊は砂浜に崩れ落ちるように両手をついた。絞り出すような叫び声は言葉にならず、原型を止めなくなった風景が吸い取っていった。

 

この期におよんで、いったい何を躊躇ったのだろう。たった一言伝えれば良かったのに。

 

後悔ばかりが雪崩となって俊を飲み込む。特殊な能力なんていらないから、もう一度会いたい。会って伝えたい。

 

強い願いを消えゆく世界に残し、俊もまた姿を消した。

 

 

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