長いマントを引きずりながら、俊は倒れたままの蘭世に近づいていった。 真っ白な世界に黒い髪が溢れるように広がり、やけに艶かしい。それでなくとも蘭世は一糸まとわぬ姿なのだ。 俊は顔を背け、さらにマントで自らの視界を遮ると、蘭世のそばに片膝をついた。
横を向きながら俊はマントをそっと蘭世にかけ、ぎこちなく名を呼ぶ。 しかしぴくりとも動かない。触れたら壊れてしまうのではないかと思うくらい、俊は恐々と蘭世の背中に手を置いた。 ひんやりとした生地を介し、蘭世の温もりが手のひらに伝わってきて、俊の心臓がどきんと爆ぜた。 軽く揺すり、もう一度蘭世の名を呼んだ。頼む、目覚めてくれ。強く念じながら。
まぶたがぴくりと動き、真夜中に人知れず咲く花のように密やかに蘭世は目を開けた。
「…ま、かべくん…?」 「大丈夫か?」 「うん、ありがとう」
俊は蘭世の顔を覗き込む。起き抜けのぼんやりと潤んだ瞳は、もう硝子玉ではない。 ほっと一息つこうとした俊だったが、寝ぼけ眼の蘭世が両手をついて起き上がろうとするのを見て、慌てて後ろを向いた。
「真壁くんあのね、わたし…」 衣擦れの音を背中で聞きながら、俊は俯いて胡座をかいた。 「本当は人間じゃなくて…吸血鬼と狼人間のハーフなの」 「おれは魔界の王子らしいけどな」 「うん…びっくりした。わたしたちの家族はずっと行方不明になった王子さまを探していたの。だから、真壁くんが王子さまだったらいいなって、ずっと思ってた」 「……」 蘭世の声に涙が混じった。俊は振り向かず、前だけを見つめていた。
ふいに背中にこそばゆいような、愛おしいような温もりと柔らかさを感じた。 破れてぼろぼろになった薄っぺらいTシャツ越しに、蘭世の素肌が触れている。背中にもう一つ心臓が出来たような気がした。 「だけど命を狙われなきゃいけないなら、王子さまじゃなくていい。真壁くんが死んじゃったら意味ないもん」
「だからっ」 苛立った俊は振り返るが、蘭世の出で立ちを見て慌ててまた背中を向けた。茹で上がった顔で咳払いひとつした。 「だから、惚れ薬だってわかってて飲んだっていうのかよ」 「だって真壁くんが殺されちゃうと思って…」 蘭世が抱きしめる手に力を込める。 「…そんなの、耐えられねぇよ」 ぼそりと呟いた言葉は、蘭世の耳には伝わりきらなかった。 「…え…?」 「あいつとは決着をつける。だから、見届けてくれ」 「うん…わかった」 蘭世の手はリボンを解くように、ゆるやかに俊から離れた。 「じゃあな」 俊は背中を向けたまま立ち上がった。振り返ればきっと決心が揺らいでしまう。 だけどちゃんと向き合って伝える場所は、夢の中ではなくて現実の世界だ。俊は軽く深呼吸をしてドアを開けた。
もはや見慣れた白い世界の先に、出口が見えた。入り乱れた感情を落ち着かせたくて、俊は全速力で走った。 周囲の輪郭が曖昧にぼやけてきたように感じ、俊はさらにスピードをあげる。蘭世が目覚めようとしているのだ。
出口が消える……!!
俊は薄れていてく境界線に向かって、飛び込んでいった。
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