意識が飛んでいたのはさほどの時間ではなかったらしい。誰かに呼ばれたような気がして、俊は目を開けた。 悪い夢でも見ていた時のように、身体は鉛のように鈍く偏頭痛もしたが、意識が鮮明になるにつれ、あちこち受けた傷がそれぞれに警鐘を鳴らすように痛み出した。 それと同時に俊の視界から一瞬にして紗幕が取り払われた。
ーーーそうだ、江藤は!!
俊は身体が自由に動くことがわかるのと同時に立ち上がって辺りを見渡す。 雲間から細い月明かりがまっすぐに蘭世の姿を映し出した。生暖かい風が俊の頬を舐めるように撫でる。 雲が動き、か細い糸のような光が明るさを広げて蘭世にスポットを当てはじめた。
駆け寄ろうとした俊の足が、一歩踏み出したところでぴたりと止まる。
「江藤…」
月明かりに照らされた蘭世の素肌は、透き通るように白く仄かに光っているようだった。 蒼い闇の中、長い髪とワンピースの裾が風に揺れた。美しく、そして妖しく。 俊が声をかけるのを躊躇うほどに、すぐ近くにいる蘭世はクラスメイトの江藤蘭世ではないように見えた。
「そう。おまえが知っている江藤蘭世ではない。彼女は僕の花嫁さ」
俊の思考を読みとったかのように、闇の中から声がした。 俊は身構え、闇のその奥を睨む。月光が声の主、アロンの姿を露にした。 二人の視線は蘭世を間に挟み、ぶつかり合った。
背後から手を伸ばし、アロンは蘭世をゆっくりと絡めとるように抱きすくめた。 囚われた腕の中の蘭世は人形のように、表情一つ変えない。 アロンは好戦的な瞳で俊を見据えながら、蘭世の髪を梳いた。絹糸のような髪がさらさらとアロンの指から流れ落ちた。
胸が締め付けられるような痛みと、理由のない苛立ちが混ざり合って、俊の心は大きく乱れ、乱れたことに俊は更に困惑した。 クリスマスパーティーで蘭世は急激に態度を変えた。年が明けてもそれは変わる事がなかった。 どことなく面白くはなかったが、こんな焼け付くような胸の痛みは感じたりしなかった。 何故だ。 アロンが蘭世に触れるのを見るのは、とにかく嫌だ。理由などない。それに今は自己分析している暇はないのだ。
「江藤を離せ」 「嫌だ」 アロンはせせら笑った。
「それとも戦ってみる?言っとくけど、手加減はしないよ」
答えるより、考えるより先に身体は動いていた。 裸足で砂を踏みしめ、俊は駆け出す。俊の凄まじい気迫に一瞬アロンは表情を堅くし、身構えた。 しかし渾身の力を振り絞ったストレートは、アロンに届くことはなかった。
「うっ……」
先ほどとは比べ物にならないほどの頭痛が、俊を襲った。
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