「気絶しちゃったみたいだね」 やあ今日はいい天気だね、と同じ声音でアロンは微笑んで蘭世に手渡す。小さな瓶がずしりと蘭世の手のひらに沈み込んだ。
「真壁くんが王子さまって本当なの?」
俯いて瓶を握りしめた蘭世の手は小刻みに震えていた。
「認めたくないけどね。あいつは正真正銘僕の双子の兄だよ」 アロンはふっと息をはいて、舞台役者のように大げさな仕草で両手を天に向けた。 「でも真壁くんには星形の痣はないのよ?」 「…今は、ね」
含みをもたせたアロンの言葉に、蘭世は顔を上げた。しかしアロンはにっこり笑うことで、言葉を締めくくってしまった。
「どういうこと!?」 「それよりも、早く薬を飲んでくれなくちゃ、僕の気が変わっちゃうかもよ?」 詰め寄る蘭世の視線をするりとかわし、倒れて動かない俊を横目で見る。蘭世は言葉を飲み込んで、項垂れた。
取引に応じると返事をしてしまったものの、蘭世はためらっていた。 薬で心を操られている間は、全ての記憶がなかった。もうあんな想いは二度としたくない。 しかし俊の命にかかわるだけに、迂闊な態度をとるわけにはいかない。蘭世は唯一の反撃の手段に、一筋の光明を見いだそうとした。
ーーー薬を飲んだとみせかけて油断させて、噛み付くしかないわ
「ああそうだ。大事なことを忘れていたよ。悪いんだけど蘭世ちゃん、君にもちょっとだけ不自由かけるけどごめんね」
あまりにも細い光は、容易く闇に呑まれた。
アロンは楽しそうに蘭世にも手枷足枷を施した。急に身体の動きを封じられ、蘭世は前のめりに倒れ込んだ。 握りしめていた瓶は手から離れて転がり、蘭世の目の前で止まった。それを拾うアロンの手が視界に入り、蘭世は精一杯顔を上げた。
「噛み付き防止策ってわけ。ちゃんと薬を飲んだら自由にしてあげるよ」
アロンは両膝を揃えて屈み込み、背筋がぞっとするような優しい笑顔で蘭世を見下ろした。 アロンの手が近づいてきて、蘭世はひっと息を呑む。しかし身体はいうことをきかない。
「そっか。そのままじゃ薬が飲めないね」
アロンは片手で蘭世を抱き起こし、蘭世の髪や頬についた砂を払った。 触れられる度に、大切な何かが削り取られていくような痛みを感じ、蘭世はきつく目を閉じた。
俊に星形の痣があればいいと思っていた。自分と同じ魔界人であればいいと願っていた。 だけどこんなことになるなら、俊は人間のままで良かった。遠い存在のままで良かったのだ。 実の弟に命を奪われる危機に晒されてしまうのなら。でも何もかももう遅い。
アロンは鼻歌を口ずさみながら蓋を開け、瓶の口を蘭世の口元へ近づけていった。 蘭世が勢い良く横を向くと、アロンは表情を変えずに蘭世の顎を指でくいと上げた。 口を引き結んでせめてもの抵抗を続ける蘭世だったが、鼻を摘まれては口を開けるしかなかった。
僅かに開いた隙を逃さず、アロンは蘭世の口に液体を注ぎ込んだ。 媚薬は急かされるように舌の上を転がり、味や匂いを感じることもなく喉へと滑り落ちていった。
飲んでしまったという苦い敗北と後悔も、ほんの一瞬で白く霞んでいく意識とともに消えていった。 瞳に焼き付けた全ての記憶も、最後に叫ぼうとした俊の名前もやがて白く覆い尽くされ、蘭世は再び砂の上に倒れ込んだ。
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