「げーーーーっっマジかよ〜〜〜〜っ」 ここは吹きさらしの風に時折砂塵が舞う、サッカーグラウンドの片隅。 マネージャーの深町からの言葉に、部員たちの大半はブーイングともいうには情けない声を揃えた。 「うん。コーチが言ってたよ。2月14日は対外試合だって。たぶん今日のミーティングの時に発表するんじゃないかな」 「なんでバレンタインの日に…てかよりによってバレンタインの日に」 嘆く部員たちを横目に、深町は視線を移す。 真壁卓は黙ってスパイクの紐を結び直していた。 「朝8時に駅に集合して、解散は6時だとして。うぉ〜〜チョコレートをいつ貰ったらいいんだ、オレは」 頭を抱える者もいれば、 「絶対これはコーチの陰謀だよ!女っ気ないからって、オレたちにも同じ目に遭わせようとしてるんだぜ。 くっそ〜〜自分がモテないからって、やつあたりすんなよな。鬼コーチのバカヤロォ!!」 などと根拠もなく暴言を吐く者もいたが、紐を結び終えて先にウォーミングアップしていた卓は不穏な気配を感じて振り向く。 そして一瞬にして表情を凍らせた。
卓が仲間の口を塞ごうにも、全ての言葉があからさまになった後だった。 卓は手のひらを額にあてて、天を仰いだ。万事休すだ。 「誰が鬼コーチだって?」 氷よりも冷たい声に、ようやくここで誰もが恐る恐る振り向いた。
「新庄コー…チ…」
その日の指導がいつもに増して厳しく辛いものになったのは、言うまでもない。 ヘトヘトに疲れきった部員たちに、深町はタオルを渡す。 「お疲れさま。14日はわたしが頑張ってチョコ作るから、皆も頑張って」 「マジで!?ヤッター!!!」 下がりきったテンションがわかりやすく一気に上がった。
急に盛り上がった輪を外れ、深町は胸元で大事そうに抱えていたタオルを卓に手渡す。 「お疲れさま、真壁くん」 「サンキュ」 「今日のメニューはかなりハードだったね」 「まあな。覚悟はしてたけど、やっぱりキツかった」 汗を拭きながら、卓は笑った。屈託の無い笑顔に深町の胸は切なく痛む。 このまま時間が止まればいい。そうすれば卓の笑顔を、いつまでも独り占めできるのに。
同級生よりも、フェンスの向こうで黄色い声援を送る後輩よりも、自分は卓のずっと近い場所にいられる。 甘い優越感が深町を包み込む。あともう少しだけ近づきたい。 あともう一歩だけ踏み込みたい。絶えず傾こうとして揺れ動く気持ちを、必死にバランスを保とうとする理性が、卓のこんな笑顔で蕩けそうになる。 マネージャーだから誰よりも近いけれど、マネージャーだからこれ以上近づいてはいけないはわかっているのだけれど。
「じゃあな」 「うん…」 深町の葛藤など知る由もない卓は、タオルを首に引っ掛けるとあっさりと立ち去った。 誰よりも近い場所にいてもこれじゃあね…小さな石ころを蹴飛ばして、深町は心の中で呟いた。
でも話の流れとはいえ、チョコレートを作ることになってしまった。 卓に渡すのは義理チョコという仮の姿をした本命チョコだ。 こうしてはいられない。落とした溜め息を蹴飛ばす勢いで、深町は駆け出した。
卓は甘党という訳ではないが、食べられない訳でもない。 これはリサーチ済み。だから甘みをおさえ目にちょっとオトナな味にして、ラッピングはシンプルに。 あくまでも義理だから、凝り過ぎは良くない。でも素っ気ないのも味気ない。そのさじ加減が難しい。 だけどあれこれ考えていると、今は余計なことを考えないですむ。
あの綺麗な従姉妹のヒトのことを。
「負けないから」 冷たい風に紛れさせるように、深町は白い息とともに呟いた。
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