夕食をもくもくと終えた深町は後片付けと引き換えに、キッチンを占領させてもらうことにした。

「さてと、やりますか」

束ねるほどの長さはまだないから、少し伸びてきた前髪をピンで留めて、袖をまくる。

たとえ頑張って髪を伸ばしてみたところで、親譲りのくせ毛で堅い髪質では風を含んでふわりと揺れるロングヘアーは、到底叶わない夢なのだけれど。

姉と見まがう母親はセミロング、妹は黒髪のストレートのロング、そしてあのヒト。

彼の周りには、長い髪の女性が多いことに気づいてからは、なんとなく伸ばし始めている。あくまでも、なんとなく。

 

だって、親子だし兄妹だし、従姉だし。

 

買い込んできた板チョコを削って、湯煎で溶かしながら、不安も一緒に溶かし込んでいく。新しい形に生まれ変わっていくチョコレートが、一つ二つと増えていく。

見た目は申し分ないくらいの出来映えに、あたしだってなかなかやるんじゃないの?と一人で自画自賛してみる。

それでは味はと、一つだけ口に運んでみると、これもまた我ながら完璧で、リボンをかけ終わった時にはすっかりご機嫌になっていた。

 

翌朝、何度もチェックにチェックを重ねて完璧な状態で、深町は集合場所へ向かった。鞄の中には人数分の義理チョコ。

と、その中に1つだけ混じっている本命チョコ。

見た目は一緒だけど、卓に渡す分は出来が一番いいものにしてある。何よりも心の込め方が違う。これもまた見た目は変わらないのだけれども。

 

「あれ?コーチ早いですね」

一番乗りかと思いきや、既に新庄がいた。

どんよりと雪雲が空を覆い尽くす、底冷えのする朝だが、ぴんと背筋を伸ばして断つ姿は、遠目でも誰だかわかる。

おそらく身に纏った空気が違うのだろう。深町は駆け寄る。

「いや、おれも今来たところだ」

「あの、コーチ…今日はバレンタインなので、どーぞ」

深町は鞄から小さな包みを一つだして、新庄へ手渡す。小さなリボンがかけられたそれを、新庄はまじまじと見つめる。

「これ、手作りか?」

「ハイ。皆の分もちゃんとあるんですよ、ほら」

深町はにっこり笑って鞄を広げてみせた。『義理チョコ』の山に新庄はしばし言葉を失っていたが、コホンと軽く咳払いをした。

「悪いが、あいつらには試合終わってからにしてくれないか」

「あ…はい」

「鼻先にニンジンちらつかせておいた方がいいだろう」

そう言って新庄は笑った。

 

あれ、コーチってこんな風に笑う人だっけ?深町はこっそりと目まぐるしく記憶を辿った。

しかしどこをどう辿っても、そんなコーチにはお目にかかったことはなかった。雪が降るかもしれないと深町は思い、ふと空を見上げた。

 

まさかそのせいということはないだろうが、解散する頃にはちらちらと雪片が舞い始めていた。

「みんなお疲れさまでした。約束のチョコです」

お行儀良く一列に並んだ部員の手に小さな包みが渡される。

チョコに頬擦りしそうな勢いで、少年たちは歓喜の声をあげては散り散りになった。

「ほんとにありがとな、深町」

「ホワイトデー待ってろよ」

「今日の勝利は深町マネージャーに捧げます」

彼らの感謝の気持ちを一人一人受け止めているうちに、深町は大事なことに気づく。

「真壁くんは?」

「あれ、そういえば…」

雪が目の前でちらつく。胸には灰色の不安が広がる。

 

「あいつ、なんか急いでるとかで慌てて帰っていったぜ」

 

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