この屋敷で育ったナディアが去り、敵の家から新しいナディアがやって来た。

 

マフィアの世界で育ったとは思えない程、むしろその反動なのかナディア=カルロという女性はいつも何かに脅える小動物のような目をしていた。

カルロ家に嫁いできたものの、日がな一日与えられた部屋から好んで外へ出る事はなく温室から出た途端枯れてしまう花のようでもあった。

 

ともあれ、彼女がカルロ家の人間である限りオーエンは手出しをすまい。

基盤を築くまでの時間を、多少なりとも稼げるに違いない。

 

多忙な中にもそれなりに平穏な時間が流れる。

ベン=ロウは完璧なまでの補佐役に徹していた。

あれからナディアは姿を見せないでいる。

これで良かったのだと、ベン=ロウは自分に何度も言い聞かせた。

後ろめたさを誤摩化す為のいい訳にすぎないとわかっていながら。

何か苦いものを口に入れたかのように、眉間に皺を寄せ窓の向こうを見る。

そこに映るのはいつも笑顔だった頃の彼女の姿。

ベン=ロウは軽く頭を横に振り、また縦皺を深く刻み込む。

 

今日はいよいよ葬儀が行われる。

マダム・ナディアの喪服はいつのまに仕立てられたのか、黒真珠のネックレスと共に、ダークから既に一揃い贈られていた。

マリッジリングはサイズを直している最中なので、実質的に夫からの最初の贈り物は喪服だったことになる。

 

黒衣の花嫁。

なんと不吉な…

しかしマフィアの娘として育ち、マフィアのボスの妻になる女性ならば、これ位で丁度いいのかもしれない。

 

相変わらずマダム・ナディアは部屋から出ようとしない。

しかしそれはベン=ロウにとってはどうでもいい事だった。

要は葬儀に参列してくれれば、それで良かった。

オーエンの娘がダーク=カルロの妻として、存在してくれればそれでいいのだ。

いつも通りの仮面のような表情で、ベン=ロウはボスの奥方の部屋をノックした。

 

「奥様、時間でございます」

「…わかりました」

中から弱々しくか細い声が聞こえた。

 

 

 

 

 

参列者が一人一人、棺の中に一本の花を手向ける。

故人が好んだと言われる白い薔薇の花だった。

その手は赤い血に染まっていながらも、彼自身は白い花を愛でた。

蝋人形のようになってしまった顔もやがては埋め尽くされそうな程、花を捧げる人の列は途絶えることはない。

その列の中に、ひっそりと加わる「ナディア」の姿があった。

 

親族として新しくやって来たナディア、つまりマダム・ナディアはというとダークの隣で萎縮したように立ちすくんでいる。

二人のナディアの視線は一度も交わされることはなかった。

ナディアは伏し目がちにただまっすぐ歩き、マダムは青ざめた表情でただ俯いているだけだった。

 

ベン=ロウは彼女の歩みをコマ送りのようにゆっくりと眺め、やがて通り過ぎて行く後ろ姿を見つめた。

少し、痩せたのかもしれない。

彼女もまた白い花を棺の中へ置いた。

その何気ない仕草ですらまるで映画女優のようで、ベン=ロウは無意識のうちに一連の彼女の動きを目で追いかけていた。

 

「きゃあっ」

と突然誰かが叫び、静かな空気がどよめきで揺れた。

ふと我に返ったベン=ロウは咄嗟に

ジャケットの内ポケットに忍ばせている拳銃に手を伸ばす。

前後左右、敵らしき人物はいない。

では何が起きたのか。

 

緊張のあまり貧血を起こしたマダム・ナディアが倒れてしまったのである。

慌てて駆け寄るベン=ロウの視界を、黒衣の女性の後ろ姿が遮る。

「ダーク、あなたはここにいて。ベン=ロウ、大至急車を一台手配して頂戴」

 

ナディア、だった。

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