6.新しい時間 新しい生命
痛みに表情を歪めた蘭世を抱きかかえたまま、俊は城へ戻る。 普段はその能力を制御している俊も、こんな非常時は完全に解放している。 おそらく普通の人間が瞬きひとつする間に、俊は現れて消えたことになる。 人間界でこんなことをすれば大問題に発展するだろうが、ここはもう住み慣れた世界ではない。 何の気兼ねもいらない。
「早くメヴィウスを!」 血相を変えて戻ってきた俊の姿にたじろぎながらも、サンドが慌てながらもくるりとまわれ右をして、一目散に駆け出す。 異変を感じて先にベッドの用意をしておいた、ターナが俊を迎えた。
「蘭世さん、もう大丈夫よ」 初めてのお産で気が動転している蘭世をなだめつつ、俊には蘭世をゆっくりと寝かせるよう指示している。 こんな時のターナは皇太后というより、すっかりかつての職業が顔を出している。 宝石のついた冠の代わりにナースキャップが見えるようだ。 荒い息を吐いて辛そうにしている蘭世を見ると、俊はつい駆け寄ってしまいそうになるのだが、それをターナが制す。
「俊、あなたは外に出ていなさい」 命じられるまま、俊は部屋を出る。 それと入れ代わるようにして、ようやくメヴィウスがやって来た。 知らせを受けて駆け付けてきたアロンとフィラもいる。
「蘭世ちゃんの陣痛が始まったんだって?」 「そうらしい」 眉間に皺を寄せて俊が答える。自分ではどうにもできないが故に、余計にもどかしい。 「しばらく時間がかかりますわ。お部屋でお休みになっておられた方がよろしいのでは?」 フィラの心遣いは嬉しいが、俊は黙って首を横に振る。 とてもそんな気分にはなれそうもないが、 ただ何もしないで待つ事だけが、男に与えられた仕事なのはどの世界でも同じ。 さすがのこの能力も、生命の神秘の前ではひれ伏すより術は無い。
消えない不安ともって行き場のない苛立ちを抱えたまま、俊は腕組みをして壁にもたれかかった。 せめて痛みだけでも消してやることはできないだろうか… 思案にくれる俊の視界の隅に、何か白いものが映る。
「アロン、おまえ仕事中じゃなかったのか?」 俊の視線の先に気付いたアロンが苦笑いで手を背中へまわす。 慌てて駆け付けたらしく、アロンの手には真っ白な羽のついたペンが握られたままだった。 俊もつられて苦笑した。
「それより俊に話があるんだけど、いいかな?」 つい先ほどまでの、いつものおどけた表情は既にそこにはなく。 いつになく真剣な弟の表情に、 特に断る理由もない俊はアロンの後に続いて隣室へと入った。
先に歩くアロンはそのまま窓際まで進んで閉め切った窓を開けた。 澄んだ風が吹き込んできた。 即位してから伸ばしはじめたという、父親譲りのややくせのある髪質のアロンの髪は随分伸びていた。 どことなく亡き父王の姿を彷佛とさせるような後ろ姿に、俊ははっと息をのむ。 「魔界にきて、もう半年になるんだな」 アロンは俊に背をむけたまま、まるで独り言のように呟いた。 「…そうだな」
「そろそろ人間界に戻りたいかい?」 「…まあな」 「だろうね」 くすりと小さな笑みを零すと、アロンは振り返った。
「じゃあ戻るかい?」 他愛のない会話の続きのように気軽な言葉だった。 きっとこの場に鈴世がいたら肩透かしをくらうほど、大王、アロンの人間界への帰還認可はあっけないものだった。 調子はいつものように軽い。違っているのはその瞳に宿る光だ。
「あいつと鈴世も喜ぶよ」 「鈴世が帰るとココが寂しがるから、ちょっと辛いんだけどね」 おどけて笑うアロンはいつもと変わらない表情に戻っている。
短すぎる謝辞すら必要はないかのように、アロンはまた背を向けて窓の向こうの景色を見上げる。 そこにはいつもと何ら変わりばえのない空が広がっている。 蒼くて美しい、永遠に変わらない魔界の空。 人間界と繋がっている、空。
「無事に生まれるといいね」 「ああ」
-----サンキュー、アロン
しんと静まり返った空気を切り裂くように力強い産声が聞こえた。 張り詰めた不安の糸を断ち切るように、ふうと一息つくと彼は天を仰いだ。
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