秋色便り

 

1.真壁家に届いた一通の手紙

 

「あら?」

買い物から帰ってきた蘭世は郵便受けに一通の手紙を見つけた。

ごくシンプルな真っ白の封筒に書かれた丁寧な文字が並ぶ。

宛名は真壁俊様。そしてその隣には自分の名。

裏を返して差出人の名前を確認すると、蘭世の顔に花が咲いたような笑みが浮かんだ。

そこには懐かしい、そして大切な友人の名前があった。

 

小さなリーフがティーポットの中でゆらりゆらりと揺れて、じわりじわりと紅を滲ませていく。

砂時計の中の最後のひと粒が滑り落ちたのを確認すると、

蘭世は先に温めておいたお気に入りのマグカップに紅茶を注いだ。

そこに少し多めのミルクと砂糖を入れてリビングへ運ぶ。

夫はまだ帰ってきていない。

今日は雑誌の取材だと言って出かけていった。

その不機嫌な表情ときたら!

思い出しただけで蘭世は吹き出しそうになる。

写真嫌いがフラッシュをたかれ、無口でぶっきらぼうがインタビューに応えなくてはならない。

それは俊にとって、煩わしいことこの上ないのだ。

 

そんな彼が不承不承ながらも断らないでいるのは、自分のいる世界のため。

まだまだマイナーなスポーツのボクシングを、もっと知ってもらいたい。

その為に苦手なマスコミとも上手くつき合っていかなくてはならない。

本当は一日中ジムで体を動かして、汗を流している方がよほど楽なのだろうけれど。

きっと今日はハードなメニューをこなした後よりも、もっと疲れ切った顔で帰ってくるのだろう。

 

ゆらゆらと立ち上る紅茶の湯気が、温かな優しい両手で蘭世の頬を包む。

「さて、と」

マグカップをサイドテーブルの上に置き、まだ封をきっていない手紙を手にとった。

夫の帰りを待ってからの方がいいのだろうか。

でも宛名には自分の名前もあるのだから、別に先に開けてもかまわないわよね?

それは半ば自分を納得させる為だけの理由。

要するに早く読みたいのである。

 

結局迷うよりも先に、蘭世の手は動いた。

中から封筒と同じく真っ白な便せんを取り出す。

最後に会ったのは結婚式の時だから、もう半年以上たっているだろうか。

そんな事を思いながら、蘭世は読みはじめた。

元気ですか?という文字を辿れば、懐かしいその人の声が聞こえてくるような気がする。

 

しばらく会っていなかったけれど、彼の活躍ぶりはよく知っている。

ドラマや映画。彼のことをテレビや雑誌で見ない日はないと言ってもいいくらい。

「筒井くん…元気そうだね」

思わず蘭世は手紙を読みながら、まるで話し掛けるようにひとりごちた。

デビューして間も無い頃はアイドル俳優と揶揄されるように呼ばれていたが、

最近ではすっかり実力派の若手俳優の代名詞になっている。

それはひとえに彼の努力のたまものだろう。

 

色々と過去の思い出やらを記憶からその都度引っぱりだしてくるものだから、

ちっとも手紙は先へと進まない。

随分時間がたったようだが、実はまだ半分も読み終えていない。

蘭世は大掃除の際昔の日記や写真を見つけてしまうと、作業が進まなくなるタイプだ。

 

太陽が沈めば途端に外気は冷え込みを増す。

肩にひやりとする空気を感じて、蘭世は顔を上げた。

窓から見える空はすっかり暗幕を下ろしたように暗くなっている。

蘭世は慌てて冷めてしまった紅茶を飲みほした。

「あ、いけない。夕飯の支度がまだ全然できないんだった!えーと、今何時だっけ」

壁に掛けられている時計の長針と短針が、さらに蘭世をせかす。

こうなるとゆったりと手紙を読んでいる場合ではなかった。

サイドテーブルの上に手紙と封筒を置いたまま、蘭世は台所へ小走りで向かう。

本当はあまり走ったりしてはいけないのだけれど。

 

俊が帰ってきたのはそれから30分後。

食卓の上にはどうにか出来上がったばかりの料理が並んでいた。

蘭世がこっそり心の中で安堵のため息をひとつついたことを、俊は気付かずに箸を動かしている。

たいして美味しいとかそんな事を言ったりしないのは、何も今に始まったことではなく。

ただ綺麗に片付いていく空っぽのお皿が、彼の代わりに饒舌に語っていることを蘭世はよく知っている。

それは独身の頃から、あのアパートから我が家へと場所は変われども何度も目にしてきた光景だ。

飽きるほど繰り返されているのに、決して飽きることはない。

ただ愛おしさが増すばかり。

 

途中で赤い顔の俊が俯きながら、咳払いをした。

また蘭世の心の中の独り言が今日も聞こえてしまったようだ。

「だって、大好きって思うのはホントのことだもーん」

蘭世が空いたお皿を片付けながら、歌うように軽やかな声でごく自然に言う。

まるで朝起きたら「おはよう」と言うのと同じくらいに。

そして更に赤くなった俊は何度も咳き込むことになるのである。

 

今夜も無事に夕食が済んで、食後のお茶を煎れている蘭世の手がふと止まった。

「そうそう、筒井くんから手紙がきてたの」

「筒井から?」

手渡されたお茶を飲もうと手を伸ばした俊の手もまた止まる。

「元気そうよ。やっと仕事が一段落したって…ゴメンなさい。先に読んじゃった」

上目遣いでおずおずと自ら白状する蘭世。

「いや、それはかまわない」

と言いながらも、相変わらずの好奇心のカタマリだな…と苦笑混じりの笑みをもらす俊。

 

蘭世がサイドテーブルに置きっぱなしになっていた、便せんを俊に手渡す。

でも途中までなのよ、と言い訳を一つ付け加えて。

ソファに並んで座り、俊が手にした手紙を蘭世が覗き込む形になった。

 

手紙は筒井が主演の映画が先日クランクアップしたことなど、

彼の近況を簡単に述べていたことから始まった。そして。

 

実は是非来てもらいたい場所があるんだ。

二人に紹介したい人がいるので、都合をつけてもらえるとありがたい。

その場所は二人はよく知っていると思うけど、念のため地図を同封しておくよ。

でもその人の名は、今は伏せておくことにする。

その方が楽しいだろう?

では二人に会える日を楽しみにしています。

 

「ねえ、紹介したい人って誰かしら?」

蘭世の瞳が煌めいているのは、また彼女の好奇心が刺激されたからに違い無いと俊は思った。

「さあな」

軽くいなすように答えつつ、重なっていた二枚目の便せんを手にした。

すると丁度その間から何かがひらりと舞い落ちた。

蘭世が拾って手のひらにのせたのは、深紅の葉。

「紅葉?」

怪訝そうな顔で二人は見あわせる。

 

手紙の続きにはこう記されていた。

 

追伸

こちらはそろそろ紅葉が見頃です。一足早い秋を一緒に送りました。

 

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