オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
180.「カザーレ狙撃隊」行進曲  D.ベッルーティ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 
第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 1893年8月31日にル(Lu)・モンフェッラート(Monferrato)に生まれ、1947年8月22日カザーレ(Casale)・モンフェッラートに死去したイタリアの作曲家でギタリスト

1930年5月、ミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに彼の「モスコーの真昼」「黄昏語る時」の2曲が入選した。当時、沈滞下降をたどっていたマンドリン界はベッルーティの出現により、一時清新の風をあたえられた。「カザーレ狙撃兵」は岡村光玉氏がベッルーティの遺族から譲られた自筆譜で、未出版である。カザーレ・モンフェッラートに駐屯する狙撃兵連隊司令官ルチアーノ氏に贈られた。イタリアのベルサリエーリは通常、狙撃兵と訳されるが、スナイパーでではなく機械化歩兵を指し、連隊単位で各師団等に配備される。ヨーロッパオオライチョウの黒い羽で飾られたヘルメット、そしてパレードにおける独特の高速行進がイタリアのベルサリエーリの特徴で、連隊付属の軍楽隊も駆け足で演奏する。今も「ファンファーレ・ベルサリエーリ」祭典が開催されていて、ベルサリエーリは町の誇りとなっている。

181.音楽劇「プロメテウス(労働者の一日)」 Ferd.コルマネック作曲  

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニー、グロッケン他
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ   
解説
 第一次欧州大戦前のドイツのマンドリン界は、ライプチッヒのオットー・シック、ベルリンのかカール・ヘンツェ等に主導され、多くの合奏団が活動していたが、第一次世界大戦の壊滅的な経験によりその再興が危ぶまれた。当時のドイツが置かれた社会的・政治的環境のなかで、ドイツのマンドリン界は、左翼労働者による文化運動の一環としてのドイツ労働者マンドリニスト・ギタリスト連盟(DAMG、1923年マグデブルグに創立)と比較的政治的中立を保つドイツマンドリン・ギター奏者連盟(DMGB、1919年ライプチッヒに創立)の二つの組織に分かれていたが、次第に国家社会主義ドイツ労働者党の傘下に入るのを余儀なくされていくのであった。作者コルマネックは、このような時代にライプチッヒで活躍した作曲家で、マンドリン誌「デ・クロニク・フォルクスムジーク」の主幹としてドイツ斯界を啓蒙した。「プロメテウス」は、DAMGから労働者の闘いを鼓舞・賛美する作品を委嘱され、1928年に作曲されたもので、労働者の一日を表した音楽劇である。歌が入っているが、器楽としても十分に楽しめる作品である。

184.「瞑想曲(アヴェ・マリア)」 C. グノー作(コルマネック編)

原編成 フルート、ソロマンドリン、第1・第2マンドリン、アルト・マンドリン・マンドラ、マンドロンチェロ・ギター・オルガン
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説
1818617日パリ生まれ。ピアニストであった母親にピアノの手ほどきを受け、パリ音楽院に入学。1839年にカンタータ『フェルディナン』で権威ある作曲賞、ローマ大賞を受賞。ローマへ留学し、パレストリーナの作品を研究した。2年間のローマ留学の後、1843年にパリに戻り、サン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊楽長兼教会オルガニストとなり、教会音楽の作曲を続けた。やがて、劇音楽の分野に転じ、1851年に最初のオペラ『サッフォー』(Sapho)を作曲するが、ゲーテの戯曲に基づく大作『ファウスト』(1859)でオペラ作曲家としての地位を不動のものにした。グノーはオペラ作曲家として知られるが、晩年ふたたび宗教作品を書いていることから、作品は宗教音楽の占いめる割合が多い。中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『瞑想曲』は有名であり、『グノーのアヴェ・マリア』と称されている。フルートはクァルティーノ、アルト・マンドリンはマンドラで代用している。


183.「夜の静寂」 P. シルヴェストリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ティンパニー、グロッケン他打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年モデナに生まれ、1960年に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。和声に優れた作品が多く、1941年シエナでの作曲コンクールで受賞した「夏の庭」や「ノスタルジー」「静けき夜」などが知られる。先年、イタリアでシルヴェストリのマンドリン曲作品集が刊行され、彼の作品や業績が再認識されてきている。

182.「過去の調和」ワルツ  P. シルヴェストリ作曲

原編成 第1・第2ヴァイオリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア 第1・第2ヴァイオリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
パート譜  第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年モデナに生まれ、1960年に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。和声に優れた作品が多く、1941年シエナでの作曲コンクールで受賞した「夏の庭」や「ノスタルジー」「静けき夜」などが知られる。『過去の調和』は、簡単な作曲技法を用いながら、優れた和音進行により洒落た作品となっている。スコアは作者自筆譜を用いた。