オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
174.交響的行進曲「凱旋式」  G.マネンテ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説
マネンテは19世紀半ばすぎ、イタリアの北部サンニオのモルコーネに音楽家を父として生まれた。ナポリの音楽院でガッティ、グァールロ、デ・ナールデース(1857〜1951)、ローマのサンタ・セシリア音楽院でデ・サンクティス(1824〜1916)に師事、抜群の成績で卒業、歩兵第六十連隊軍楽長を拝命した。この頃(1896年)処女作、吹奏楽「交響的間奏曲」「今と昔」序曲を発表、1903年に歩兵第3連隊に配属、軍楽隊長となり、吹秦楽曲「降誕祭の夜」序曲「国境なしに」の力作を発表、特に三楽章からなる幻想曲「華燭の祭典」はイタリアの著名有作曲家ボルゾー二(1841〜1919)、チュエリ、ヴォルフ・フェラーリ(1876〜1948)等の賞讃を得た。この頃からマンドリ音楽に興味を持ち、幾多のマンドリン小合秦曲を作曲し、Vita Madolinistica誌、Il Plettro誌に発表、特に四楽章に亘る交響曲「マンドリン芸術」は「古典的形式に依る交響楽」とも呼ばれ、ジェノヴァのシボリ(Sivori)音楽院主催の作曲コンクールに於て受賞した。1909年には、擲弾兵連隊附軍楽隊長となり、この前年に作曲したマンドリン合葵曲「メリアの平原にて」や「秋の夕暮」(三楽章の幻想曲)はイル・プレットロ誌主催作曲コンクールに受賞し、広く愛奏されている。

「凱旋式」は日本ギター・マンドリン音楽振興会の理事長であった宮崎輝世氏の遺譜にあったもので、親交のあったシエナのアルベルト・ボッチ氏から譲られた楽譜であろうと思われる。作品番号439で、マネンテ最晩年の作品の一つ(判明している最後の作品番号はop.446「白鳥の楽園」)で、出版された形跡はない。

176.歌劇「フィガロの結婚」序曲  W.A.モーツァルト作曲 N.ラウダス編 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ   
解説
 

『フィガロの結婚』は、フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェが1784年に書いた風刺的な戯曲で、この戯曲を題材にW.A.モーツァルトが1786年に作曲したオペラ作品である。オペラ作品の台本はボーマルシェの戯曲に基づき、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書いた。封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を通じて貴族を痛烈に批判しており、度々上演禁止に遭った。このような危険な作品をオペラ化し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世のお膝元ウィーンで上演できた理由は不明だが、ダ・ポンテの自伝によれば、彼がうまく皇帝を懐柔して許可を得たことになっている。

序曲だけでもよく演奏されるが、マンドリンオーケストラへの編曲は、ギリシャの「マンドリナータ・アテニエーゼ」音楽院の校長として指揮者としても知られるニコラス・ラウダスによる。

177.「レナータ序曲」 H. ラヴィトラーノ作

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説
19世紀後期ナポリ湾頭のイスキア島に生まれ、永年アルジェリァのボーン市に住み、19341216日彼地で逝去したフランス国籍の作曲家。彼ははじめ、或るフランス人から音楽の手ほどきを受け、ナポリにおいてPaolettiから和声と作曲法を学び、同地の音楽学校教授Fotucciのクラスにも通った。その後彼は、管弦楽や吹奏楽の指導をしていたが、音楽の他にイタリア語、フランス語、スペイン語等数ヶ国語に堪能で、これらの教授もしていた。彼の作品の中には彼の郷土とも云うべきアルジェリアの熱く明るく輝く異国情緒豊かな息吹きが感じられる。 フランスのL'Academie Populaireの作曲コンクールに「Religioso Chiatite」が二等受賞。マンドリン音楽では、1902年トリノのマンドリン誌イル・マンドリーノ主催の作曲コンクールで「ローラ序曲」が二等受賞した(このときの一等はブラッコの名作「マンドリンの群」であった)。また、パリのレステューディアンティナ誌主催作曲コンクール(1909)に「レナータ(序曲)」が二等受賞、1908年ミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールには「雪(ロマンツァとボレロ)」が応募作品19の中から上位入賞している。

  マンドリン合奏曲としての作品は上記三曲が作者の三大傑作としてよく知られているが、その他に「道化師(マーチ)」、「ナポリ(行進曲)」、「パリのナポリ人(セレナータ)」、「全ては去りぬ(挽歌)」、「輜重兵(軍隊行進曲)」、「愛の太陽」、「晩年に(交響的間奏曲)」がある。マンドリン・ギター二重奏曲では「アラビァ風刺曲」「失われし幻影」、「貧しき農夫」。ギター独奏曲に「花」及び「桂樹とキリスト教徒」等がある。

178.瞑想曲「静けき夜」 P. シルヴェストリリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ティンパニー、グロッケン他打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年モデナに生まれ、1960年に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。和声に優れた作品が多く、1941年シエナでの作曲コンクールで受賞した「夏の庭」や「ノスタルジー」「静けき夜」などが知られる。先年、イタリアでシルヴェストリのマンドリン曲作品集が刊行され、彼の作品や業績が再認識されてきている。
モデナのマンドリン合奏団第一マンドリニストの友人に贈られた曲。友人に敬意を表し、長いマンドリンソロののカデンツァに始まり、次第に楽器を加えて静かな夜の情景を美しく描き、曲の終わりもマンドリンのソロの中に消えて終わる。シルヴェストリが好んで題材にした静寂の夜の情景は、この後『夜の静寂』『夏の庭』に引き継がれていく。

179.「聖フランチェスコの叙事詩」讃美歌調 S.ジェンティーレ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ 
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 1872年1月29日シチリア島のパレルモに生まれた作曲家。同地の音楽学校でGugl、Zuelliに師事し、卒業後ローマの南東約130キロメートルにあるモンテカッシーノの修道院で歌とピアノを教えた。

1902年、パレルモに戻り、オルガニストと聖歌隊指揮者のポストを得、神学校やギリシャアルバニア語系神学校の音楽院で音楽美学や音楽史を教えた。定期的に刊行された「La Sicilia musicale」の編集に約十年間携わり、宗教音楽のための議論と論説をおこなった。作曲では、合唱、室内楽、ピアノ曲、オペレッタ等のために優れた作品を残している。
 マンドリンに関しては、本曲のほか、イル・プレットロ誌から「間奏曲」(1909)、「即興曲」(1925)が発表されている。いずれも彼特有の宗教的な作品である。国境や教派を超え世界の人々から敬愛されているアッシジの聖フランチェスコ(1181−1226)は中世イタリアの最も誉れ高い聖人で、形式的になってしまっていたキリスト教に新局面を開いた人物といわれている。この作品は、プレクトラム四重奏ではなく、ギターを除くマンドリン系楽器のみの編成での合奏のために書かれている。