オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
81.セレナータ「月ありき」  U.デ・マルティーノ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説
イル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに入賞した曲。1909年ベルガモで開かれた合奏コンクールに課題曲として用いられて以来、一般に愛奏されるようになった。1937年イタリアのボローニアで出版された『イタリアのギタリスト・リューティスト辞典』に「著名なギタリストで作曲家。ギター独奏のための『星の光、セレナータ』と優雅なバルカローラの二曲が知られている。彼の優れた作品によりギタリストから感謝されている。」と記載されているだけで、他のイタリア作曲者辞典にも掲載されていないので詳しいことはわからない。1910年ごろのイル・プレットロ誌の協力者に名を連ねていた。同誌から下記のような小合奏曲、ギター独奏曲が発表されている。本曲は作者の友人カルロ・フェルラーロ氏に贈られたもの。
 オザキ譜庫で把握している作者の作品は次の通りである。
 
Alla "Casa Solitaria",serenata  (a)M e G    IP-1923
 C'era la luna,serenata   
     (c)2M,D,G   IP-1926
 E Lucevan le Stelle,serenata     (f)Chitarra   IP-1910 
 Titina,gavotte                     (c)2M,D,G    IP-1909
 Verso ignoti lidi,gavotte           (f)Chitarra   IP-1912
 Una Gita al semaforo; marcia.   (a)M e G    IP-1910

82.前奏曲「嬉しいとき悲しいとき」  G.アネッリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース    
解説
  作者は、1876年クレモナ近郊トリーゴロ(Trigolo)に生まれ、1926年に没したイタリアの作曲家。897年にはトリノのマンドリン誌イル・マンドリーノに小品を発表するなど、はやくからマンドリン音楽に関係し、1911年にはジュゼッペ・アネッリ・トリーゴロの名で溌剌として清新な序曲『イタリアの復活』 を発表して初期マンドリン合奏に忘れることの出来ない作者となった。多くのマンドリン合奏のための小品を発表しているが、残念ながらほとんど知られることもなく演奏されることはない。中野二郎先生が本曲について次のように書かれているので引用する。「『嬉しいとき悲しいときはイ短調とイ長調の前奏曲。単一なモチーフを使って哀歓両面に書き分けた味わうべき作品。マンドラの哀調をマンドリンが盛り上げ、最後の斉奏で、悲しみのあとの実りの喜びとも思われる感情を歌い上げる。マンドリン音楽の好個の小品」。アネッリは、トリノを中心とした「イル・マンドリーノ」のマンドリン運動の代表者であった。本曲は、トリノの音楽協会会長、C.Carbone氏に献呈されている。

83.「夜曲」 S. コペルティーニ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
1879年7月1日パルマに生まれ、1952年7月11日フィレンツェに逝いた作曲家、音楽評論家。1906年パルマ大学の物理化学数学科を卒業したが、更に1908年にイルブランド・ピッツェッティ教授(1880-1968)の指導を受けパルマ音楽学校作曲家を卒業。1913年から1920年まで同音楽学校で、和声と対位法の代理教員の職を得た。1923年までフィレンツェのケルビーニ音楽院でソルフェージと聴音の講師をつとめ、同年から同音楽院の正教授となり1943年に退官した。イタリア音楽界にコペルティーニが残した最大の功績は、「イタリア音楽における新形式の創案にある。彼の創案は早くから研究者に評価され、フランス、ドイツなどの作曲理論に引用されている。

「夜曲」は1926年にミラノのイル・プレットロ誌から出版されたもので、1905年に作曲されたヴァイオリンとピアノのためのSerenataをマンドリン合奏に編曲したものである。武井守成はこの『夜曲』を「静夜を思わせる幽遠な旋律が各パートの強弱の交叉と相俟って、たとえようもなく美しい情景を描き出している」と評している。

84.「狂気」 P. クアラントット作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
 彼の作品は、本曲のほか、“Non ti vedro piu mai!,serenata”、”Un sogno,melodia“等がイル・コンチェルト誌から出版されているだけで、ほとんど知られていない。編曲作品では、モーツァルトの『魔笛序曲』、『ドン・ジョバンニ序曲』、ウェーバーの『ピーター・シュモール序曲』などの編曲がイル・プレットロ誌、イル・コンチェルト誌から出版されている。Shumidl、De Angerisの『イタリア作曲家辞典』には作者の名前が出てこないし、当時の『ギタリスト・リューティスト辞典』などにも出現しないので、現在のところ彼の略歴は全く分かっていない。

本曲は、「狂気」が「死」にいたるまで、精神的葛藤や苦悩が死によって解放される経過を描写したもの。1910年のイル・コンチェルト誌主催マンドリン曲作曲コンクールに入賞した前奏曲。スコアは1911年のイル・コンチェルト誌出版譜を用いた。パート譜は、スコアをもとにオザキ譜庫管理員会が写譜作成。マンドロンチェロ、ベース譜は、オザキ譜庫管理委員会が作成した。

85.夜曲「マンドリナータ」 Erm.カロシオ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター 
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ 
解説
 アルプス山脈南西麓に広がるピエモンテ州のアレキサンドリアで186688日に生まれ、1928518日に州都トリーノに逝いたオーケストラの作曲家および指揮者。Abba Cornagliaに師事し音楽を学んでから広い範囲に作曲活動を続け約200曲の作品を残している。19157月、E.Testa A.Marianiの台本によるピエモンテ方言を用いた2幕のレビュー“Guarda li chil ciche”をトリノでのMichelotti公園劇場で上演。 191610月にはブレシアのSociale劇場でG.Drovettiの台本による三幕の喜歌劇「La Cagnotteを初演した後、イタリア各地で上演した。1927年には、ヴィアレッジョのカーニバル公式歌のための作曲コンクールに”Follia carnevaresca“が入賞するなど多くの賞をものにした。アレクサンドリアでのオペラ公演やダンスを監督し、トリーノのバラエティ・ロマーノを20年間指揮した。ピアノまたは小管弦楽のための作品には、ワルツ“Edera,Paper-Hunt,Vollutta, Fior di mughetto, “Gui”をはじめポルカ、マズルカなどの舞曲、マーチ等がある。歌曲では、“La Montanina, Ritorna, A Trieste!、“国家への讃歌”、“朝の歌”などが知られている..]

マンドリン合奏にも数多くの佳曲を作曲、ギター独奏曲にいたっては無数にあり、イタリア各地で出版された。190011月、トリーノで刊行されたマンドリン誌イル・マンドリニスタ(1917年迄月2回発行)の主幹となり、自作を中心に斯楽を啓蒙した。さらに、1905年には“Nuova Musica”と題して、マンドリン、マンドラ、ギターの三重奏のかたちで楽譜を自家出版して、これだけでも50曲に及んでいる。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、ようやくマンドリン音楽が開花しようとする時に、最も活躍した一人である。小舞曲の類が多く編成も小規模なため、今日ではほとんど上演されることはないが、「マンドリナータ」は好個の小品で、当時のイタリアマンドリン合奏の典型的なスタイルである。