オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
153.「村の祭り」組曲   C.カンナ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、クロシェット
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、クロシェット
パート譜 原編成と同じ
解説
この曲は四つの叙情的短編を一つに集めた組曲で、村祭りの一日を幻想的に描いたものである。1913年のイル・プレットロ誌主催マンドリン合奏曲作曲コンクールに入賞した作品で、1914年に同誌から出版された。
当時、イタリアでは数多くのマンドリン誌が発行され、それぞれ作曲や演奏コンクール開催、さらに各都市でも作曲・演奏コンクール開催を競っていた。ヨーロッパ各地から応募があり、このようなコンクールがマンドリン音楽の普及と深化に大いに資したのであるが、第一次欧州戦争を契機に衰退の道を辿らざるをえなくなったのである。 

作者は、フランスのブーローニュ・スュル・メルのオカリナ・マンドリン合奏団の指揮者だったこと、
1947年に没したこと以外、詳しいことは分からない。作品には、「放浪者−劇的序曲」「フローレンスの女序曲」「ワルツ夜光時計」「日本風行列−東京へ」などがあり、パリのHenry LemoineL’ EstudiantinaJ.Rowies、ミラノのIl Plettroなどから出版されている。故松本譲氏が、カンナの埋もれた作品を中心に「カンナ作品集」を出版されている。

152.「間奏曲」  C.アレグレッティ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース、ティンパニー    
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説
 アレグレッティは1885年、イタリアのサヴォリアーノに生まれた。父は吹奏楽の作曲家、指揮者として活動。アレグレッティはピアノ、フルート、作曲で学位を得た。彼の二人の兄弟コルラードとグイードもそれぞれチェロ、ヴァイオリンで学位を修得した音楽家であった。アレグレッティは三人の兄弟でトリオを結成、息の合った演奏活動を行ったが、音楽を職業とはしなかった。彼の職業はブレッシアの鉄工所と導管製造所の企画者であった。また彼はすぐれた画家でデザイナーでもあったがそれ以上に様々な出版にも関与した。アレグレッティはピアノ、弦楽器、管楽器など様々な楽器の為の作曲を行った。そして数多くの曲を作曲しながら、真の情熱を込めてプレクトラム音楽に貢献した。彼は1925年から「ATB」と「Constantino Quaranta」の二つのマンドリン合奏団の指揮を1956年まで行った。1965年9月3日没。  彼の作品には本曲のほか、”Preludio in La minore”(前奏曲イ短調)、”Egloga”(牧歌)、”Foot-Ball,marcia”(フットボール)、”Galiardetto Avanti!,marcia”、”Riflessioni,intermezzo”(「熟慮」)、”Serenata alla pattuglia”(斥候兵のセレナータ)などがあり、編曲にはマスカーニの”Le Maschere,sinfonia”(仮面序曲)、”Danza Esotica”(異国風舞曲)、”Iris-inno al Sole-“(歌劇イリス)などがある。1902年にイル・マンドリーノ誌から出版された”Foot-Ball,marcia”(フットボール)以外は印刷に付されることがなく、Allegrettiの作品は今日までほとんど演奏されることがなかった。

158.情熱的間奏曲」(ロンバルディアの空) G.ミラネージ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ     
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
 「情熱的間奏曲 ロンバルディアの空」は、1941年にシエナで開かれたマンドリンオーケストラ曲の作曲コンクールで佳作入賞した作品。このコンクールでの第一位がボッタッキアリの「夢の魅惑」、第二位がオテロ・ラッタの「英雄葬送曲」、第三位がシルヴェストリの「夏の庭」とテッラノーヴァの「シシリア小景」であったが、イタリアマンドリンの到達点を示すが如き珠玉の作品がそろっていた。

作曲コンクールの応募作品には、それぞれ作曲者により、作曲のモットーあるいは副題が付けられている。たとえば「英雄葬送曲」には「トブルクの戦死者に栄光あれ」というモットー(副題)があり、「情熱的間奏曲」には「ロンバルディアの空」というモットーがある。中野二郎先生が同志社大学マンドリンクラブで初演する際、明るい主題を表す題名として「情熱的間奏曲」にモットー「ロンバルディアの空」を加えて曲名とされたのが定着している。

154.「過去への尊敬」序曲  メラーナ・フォクト作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説
 1910年に行われたI1 Plettro誌主催の第三回作曲コンクールには応募作品が98曲に及び盛大なものであった。このコンクールのA部門(交響曲、序曲、幻想曲等)には12曲の応募があったが、1911年1月30日号のIl Plettro誌に掲載されたアマデイ、モルラッキ等コンクールの審査員の論評によると、この項目において入賞とする作品はないが、No.3の“Pure Cime”(ファルボの「田園写景」)、No.6の“Il Voto”(ボッタッキアリの「誓い」)、No.2の“Lavoro ed Arte”(メッラーナ・フォクトの「労働と芸術」)を揚げ、作者の持つ優れた芸術的才能は考慮すべきものであるとして、特別推薦作品に指定し、後の処置を.主催者の1l Plettroに委ねた。これに応えIl Plettroはこれ等の作品に金牌を与えたのである。Il Plettro誌は1921年に「労働と芸術」を「過去への尊敬」と題して定期刊行とは別に出版している。1920年のIl Plettro誌6月号に「小品の作曲コンクール」の報告がなされているが、スイスレマン湖北岸のサント・クロワから応募した、メッラーナ・フォクトによるマンドリンとギターのためのメヌエットが銅賞になった、と記されている。

 

155.「悲しきワルツ」 G.ミラネージ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、トライアングル、ティンパニー  
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ 
解説
 「悲しきワルツ」は、欧州大戦の最中1941年にシエナでおこなわれた作曲コンクールに佳作入賞した作品。このコンクールでの第1位はボッタッキアリの瞑想曲「夢の魅惑」、第2位はオテッロ・ラッタの「英雄葬送曲」第3位はプリモ・シルヴェストリの「夏の庭」、テッラノヴァの「シシリア小景」であった。

「悲しきワルツ」は、コンクールに「Cassandra」というモットー(標題)で応募されている。カッサンドラは、ギリシア伝説トロイア王女プリアモスヘカベ(エカーヴ)の娘で,ヘレノスの双生の姉妹。ことあるごとにトロイアの滅亡予言したが,狂人のたわごととして耳を貸されなかった。これは,かつて彼女アポロン求愛されたおり,身を任せる約束をして予言の術を授かっておきながら,あとで拒んだ報いという。トロイアの木馬をイリオス市民が市内に運び込もうとしたときも、これらが破滅につながることを予言して抗議したが、誰も信じなかった。トロイアの陥落時,彼女はアテナ神像にすがって救いを求めたものの,小アイアスに犯された。その後,アガメムノン婢妾としてミュケナイへ伴われたあげく,アガメムノンともどもその妃クリュタイムネストラに殺された。「悲しきワルツ」は、ギリシャ神話の「カッサンドラ」の悲劇をもとに書かれたものであるが、敗色次第に濃くなってきたイタリアの悲劇を予感して書かれたのかもしれない。