オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
147.「小英雄」序曲  G.マネンテ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、 マンドローネ
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター 
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
 マネンテはイタリア吹奏楽界で著名であるが、マンドリン音楽のよき理解者としても敬愛された。
 1911年9月、植民地獲得と十字軍思想に突き動かされたイタリア王国は、オスマントルコ帝国領、現リビア西部トリポタニアに侵攻した。リビア内陸部でのオスマントルコ帝国軍の頑強な抵抗に苦戦しながらも、イタリア王国海軍の活躍もあり、1912年10月に勝利した伊土戦争の最中にこの曲が作曲出版された。
 この曲は、1913年イル・プレットロ誌の第4回作曲コンクールに第二位入賞し、同時にミラノ市からは金賞を得た作品で、イタリアの兵士に捧げられている。イル・プレットロ誌の新刊案内には、吹奏楽への編曲予告もなされている。

148.「ラコッツィ行進曲」  A.アマデイ編曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ     
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
 『ラコッツィ行進曲』は『ラコッツィの歌』と共に、ハンガリーの国家精神、独立戦争における重要な音楽的シンボルと言われている。1703年、オーストリア帝国のハプスブルク家の統治に反発したハンガリー貴族が、ハンガリーの大貴族でセドミフラッツコの領主ラコッツィ・フェレンツ2世を指導者として反乱を起こし、ハンガリーのほぼ全土を掌握したハンガリー独立戦争(1703-1711)の頃、無数の歌が生まれ、とりわけ「ラコッツィ」の名が付いた歌が有名になった。そのオリジナルは複数あり、その後長い間かかって整理統合されたという
 現在の形の『ラコッツィ行進曲』は、1820年前後ペスト(ブダペストのペスト側)の軍楽隊長だったミクローシュ・ショールがいくつかの素材をかき集めてまとめたもので、当時最も有名になり、ベルリオーズ、リストをはじめ様々な作曲家によってアレンジされた。この曲の作者といわれてきたヤーノッシュ・ビハリ、ミヒャエル・バルナは共に18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したジプシー・ヴァイオリン奏者で、『ラコッツィ行進曲』や『ラコッツィの歌』から独自にアレンジしてレパートリーに入れて演奏していた。

146.「ハンガリー風ロンド」 F.J.ハイドン作曲  アマディ編曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、、マンドローネ     
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
解説
ハイドンの「ピアノ三重奏曲第25番ト長調」の第3楽章である。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの三重奏としても、ピアノの練習曲としてもよく演奏される作品。ハンガリーのエステルハージ家の宮廷楽長を辞職したハイドンがイギリスを訪問した際に作曲した作品である。マンドリン合奏への編曲はアメデオ・アマディ。ムニエルもこの「ピアノ三重奏曲第25番ト長調」の第3楽章をプレクトラム四重奏に編曲している。パブリックドメイン(public domain:著作物や発明などの知的創作物について、知的財産権が発生していない状態又は消滅した状態のことをいう)に帰している作品は、ネット等で楽譜を入手することも可能であるので、編曲作品を練習、演奏する場合、必ず原曲を参照されるようお願いしたい。

150.「山吹く風」セレナテッラ  A.モルラッキ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター     
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ 
解説
 作者は1873年に生まれ1941年ミラノに逝いたマンドリニストで、「ミラノマンドリン合奏団」の指揮者。ミラノの大出版社として知られるリコルディの社員として活躍した関係で、ヴェルディやプッチ-ニなど当時著名な作曲者と交友があった。

ミラノの音楽学校ホールで、しばしばマンドリン演奏会を開き、オリジナル作品の外に、舞曲やオペラ曲からマンドリンやギター、吹奏楽のために編曲し演奏した。作・編曲作品の多くは、リコルディから出版された。

本曲は1906年アレッサンドロ・ヴィツァーリがミラノにイル・プレットロ誌を創設した際、この誌の創刊号を飾った記念すべき作品である。

151.「花の薫り」 P.シルヴェストリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター   
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、、マンドローネ  
解説
 作者はイタリアの作曲家。1871年モデナに生まれ、1960年に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学ぎ、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。和声に優れた作品が多く、1941年シエナでの作曲コンクールで受賞した「夏の庭」や「ノスタルジー」「静けき夜」などが知られる。

先年、イタリアでシルヴェストリのマンドリン曲作品集が刊行され、彼の作品や業績が再認識されてきている。

「花の薫り」は、1903年のイル・コンチェルト誌主催の作曲コンクールに銀賞を得て同年同誌から出版されたもので、「作品番号8」と記されている。中野二郎先生も『マンドリン古典合奏曲集(17)』に収録されるなど、わが国でも愛奏されている小品であるが、曲の流れなど、何か物足りない釈然としないものがあった。岡村光玉氏がイタリア留学中、シルヴェストリの遺族を尋ね、遺族から贈られたシルヴェストリの未出版自筆譜のなかの「花の薫り」(右ページ上段)と比べて、出版譜(右ページ下段)はトリオ部分が欠落していることなどが明らかとなった。しかし、イル・プレットロ誌の出版譜に若干の改訂が加えられるとともに、トリオ部分が何故省略されたのか疑問は残ったままである。