オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
41.「ドン・ジョバンニのセレナータ」   C.ムニエル作曲 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜
第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース

解説 このセレナータは、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」第二幕の第一場に演奏される。女たらしのジョヴァンニの今夜の狙いはエルヴィーラ(ジョバンニを慕う)の女中。無理やり変奏させた従者レポレッロにエルヴィーラをどこかへ連れ出させてしまうと、彼女の部屋の窓の下で歌うセレナータ(「窓辺に出でよ」)である。
 この「セレナータ」で、他の楽器ではあらわすことの出来ない微妙な表現をモーツァルトがマンドリンを用いて成功し、マンドリンが注目される重要な契機となった。ムニエルは、このセレナータを主題に、序奏と変奏を加えマンドリン合奏曲に仕上げている。
 スコアは、マンドリン誌イル・プレットロが出版した原譜によった。第一マンドリン、第二マンドリン、マンドラ、ギターのパート譜はオザキ譜庫が出版原譜から写譜、マンドロンチェロ、ベースのパート譜は中野二郎氏の作成によるものを写譜した。

42.「四月の満月」   M.ヴィカリ作曲
原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜
原編成と同じ

解 説 Mario Vicari は、1879年スイス南部イタリアとの国境付近の町ルガーノに生まれ、11歳の時、同地のSan Calro教会のオルガンを演奏して神童と騒がれたという。その後、チューリッヒ音楽学校で作曲をKunst Wenigeに学び、合唱指揮とオルガンの勉強に励んだ。卒業後、故郷ルガーノに戻り、チューリッヒ音楽学校の支部の監督となった。そのかたわら、San Lorenzo大会堂のオルガン奏者として、また父と一緒に設立した合唱団Santa Cecilliaの指揮者として、さらにはC.NotariによりCarmelo Coletta主幹のもとにLuchsingenで出版されたマンドリン研究誌“Mandolinismo”の協力者として、後にColettaの後任となり多彩な活動をくりひろげた。

彼の名声を確立したのは、なによりもその作曲活動であった。混声合唱とオーケストラのためのミサ曲や、男声合唱とオルガンならびにオーケストラのためのレクイエムなど著名な作品が彼の手になった。民衆音楽の領域では、この地域の方言詩人たちの歌詞を使った一連の混声合唱曲や童謡の作曲などスイス・イタリア語圏の独特な文化を高めた。さらにはマンドリンや吹奏楽のためのいくつかの作品もつくっている。

彼は小編成のマンドリン合奏のための作品を“Mandolinismo”誌から発表しているが、1928年に同誌から発表された“Luna piena d’Aprile”(四月の満月)だけが大規模なマンドリンオーケストラ編成であった。彼の指導しているSanta Cecillia合唱団のマンドリン・ギター科に献呈されている。Alessandro Alessandriによる、夕べの静寂とまどろみに感じる平穏な幸せと夢を描いた詩が添えられている。

 スコアは1928年4月発行のイル・プレットロ誌特別出版を用いた。

43.「前奏曲」   S.ラニエーリ作曲
44.「瞑想メヌエット」   S.ラニエーリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜
第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース

解説1882年11月6日にローマで生まれ、1956年11月20日ブリュッセルに逝いた世界的に著名なマンドリニストで作曲家。幼いころからマンドリンを練習し、16歳でコンサート・マンドリン奏者としてデビューしている。ローマの聖チェチリア音楽院に学び、1901年には、ブリュッセルに移住。マンドリン教師として知られるようになった。

彼は英国およびヨーロッパ諸国を演奏旅行し、マンドリンヴィルツオーゾとして不動の地位を築き、ブリュッセルに帰ってからは、ブリュッセル芸術学院のもとにあった王立マンドリン合奏団の指揮者に就任した。

ラニエーリは、英仏独伊4か国語で書かれた四巻からなるマンドリン教則本を著しブリュッセルの.エルテル社から出版した。そして、寡作だがマンドリンのための作品を書いている。管弦楽またはピアノ伴奏による「ニ調のコンチェルト」、複弦4コースのマンドリン弦の低音2コースを特殊調弦した“マンドリン独奏による六重奏曲”「夏の唄」、マンドリンとピアノのための「ワルソーの思い出」、ベートーヴェンのマンドリンとピアノのためのオリジナル作品の内3つを編曲するなど古典曲の編曲、その他若干のオリジナル曲の作曲をおこなっている。

ラニエーリのレパートリーは主としてサラサーテ、ヴェ一タン、ブルッフ等のヴァイオリン名曲であったが、故武井守成氏はラファエレ・カラーチエが来朝時に、このことについて質問したところ、「彼にはマンドリンに対して定見がない」という意味のことを洩らしていたと「マンドリンギター研究」(1925年2月号)に記している。しかし、彼のマンドリン曲はいずれも趣味高尚で音楽的教養の高さを示している。特にそのマンドリンコンチェルトはヴァイオリン的ではあるが技術的にも高度なものである。ヴァイオリンの難曲をヴァイオリンに匹敵する演奏をするための努力が、彼のマンドリン芸術の限界へのあくなき挑戦だったのではなかっただろうか。

マンドリンのオリジナルな合奏曲で出版されたのは、この「前奏曲」と「メヌエット夢」の二曲のみであるが、古典名曲の編曲に至っては無数にあり、いずれも巧妙を極めている。

45.「間奏曲」   E.カヴェナーギ作曲 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ
スコア 原編成と同じ、マンドロンチェロがない場合ギターでも代用できる。
パート譜
第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ
解説 本曲の作者カヴェナーギは極めて資料の乏しい作曲家である。ミラノ近郊の小さな町ゴルゴンゾーラ在住で同地のマンドリンオーケストラ“ラ・ズヴェリア”の指揮者を務めていた。当時のマンドリン作曲家のほとんどが、こういった地方的な作曲家で、詳しい経歴が判明していない者が多いのである。「イル・プレットロ」で発表された5つの作品(後述)以外は知られていないが、1923年に出版された「間奏曲」が最も価値ある作品である。ギターバートには<マンドロンチェロが無い時に加える事>と書かれておりプレクトラム四重奏の為の作品であることは明らかである。ミヌエット調と指示されているが舞曲特有のリズム的な要素は少ない。一貫して長調で書かれている為全体にやや平坦な印象を受けるが、ハーモニーの移り変わりや大きな跳躍を持つ旋律線も面白く、所々にあるアクセント指定が作品を引き締めている。室内楽作品としてなかなかの佳曲といえるであろう。(以上、石村隆行氏による解説)