原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、ベース
解説1882年11月6日にローマで生まれ、1956年11月20日ブリュッセルに逝いた世界的に著名なマンドリニストで作曲家。幼いころからマンドリンを練習し、16歳でコンサート・マンドリン奏者としてデビューしている。ローマの聖チェチリア音楽院に学び、1901年には、ブリュッセルに移住。マンドリン教師として知られるようになった。
彼は英国およびヨーロッパ諸国を演奏旅行し、マンドリンヴィルツオーゾとして不動の地位を築き、ブリュッセルに帰ってからは、ブリュッセル芸術学院のもとにあった王立マンドリン合奏団の指揮者に就任した。
ラニエーリは、英仏独伊4か国語で書かれた四巻からなるマンドリン教則本を著しブリュッセルの.エルテル社から出版した。そして、寡作だがマンドリンのための作品を書いている。管弦楽またはピアノ伴奏による「ニ調のコンチェルト」、複弦4コースのマンドリン弦の低音2コースを特殊調弦した“マンドリン独奏による六重奏曲”「夏の唄」、マンドリンとピアノのための「ワルソーの思い出」、ベートーヴェンのマンドリンとピアノのためのオリジナル作品の内3つを編曲するなど古典曲の編曲、その他若干のオリジナル曲の作曲をおこなっている。
ラニエーリのレパートリーは主としてサラサーテ、ヴェ一タン、ブルッフ等のヴァイオリン名曲であったが、故武井守成氏はラファエレ・カラーチエが来朝時に、このことについて質問したところ、「彼にはマンドリンに対して定見がない」という意味のことを洩らしていたと「マンドリンギター研究」(1925年2月号)に記している。しかし、彼のマンドリン曲はいずれも趣味高尚で音楽的教養の高さを示している。特にそのマンドリンコンチェルトはヴァイオリン的ではあるが技術的にも高度なものである。ヴァイオリンの難曲をヴァイオリンに匹敵する演奏をするための努力が、彼のマンドリン芸術の限界へのあくなき挑戦だったのではなかっただろうか。
マンドリンのオリジナルな合奏曲で出版されたのは、この「前奏曲」と「メヌエット夢」の二曲のみであるが、古典名曲の編曲に至っては無数にあり、いずれも巧妙を極めている。
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