原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ハープ
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
パート譜 スコアと同じ
解説 1872年5月28日シチリア島シラクーサのアヴォラに生まれ、1927年4月8日スペイン風邪により同地に逝去したイタリアの作曲家。Giorgio
Miceliのレッスンを受けるためパレルモに行き、後に同地の国立「V.Bellini音楽院」に進み、CasiとStronconeにピアノを、Favaraに対位法とフーガを、Zuelliに作曲法を学んだ。1896年、大管弦楽のための“Scena
Lilica”と5声のための“Fuga”を卒業作品として提出し、ピアノと作曲法にディプロマを得た。5ヶ月後、ニコーズィアにおける吹奏楽団の指揮者のためのコンクールに勝利を得、指揮者として3年間同地に滞在し、その後故郷アヴォラの吹奏楽団指揮者に迎えられた。作品にはオルガンを伴う五声の“Kyrie
Eleison”、室内楽のための“Lirica”、ヴァイオリンとピアノの“Serenata”、F.Amatoの台本によるオペラ、オペレッタ“La
Favola della Principessa(王女の物語)”、フィラルモニカ・パイジエロにより上演された“三楽章の組曲”などがある。マンドリンではミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに度々入賞、斯界に新風を吹き込んだ。現代に至っても至宝の作品となっている。ヴィツァリ社および同社が発行していたイル・プレットロ誌から出版された彼のマンドリン曲作品は、オザキ譜庫ホームページから「マンドリン出版社カタログ(1)」を選択し、「Il
Plettro」誌の「作曲者別目録」で見ることができる。
本作品は『小さな火花』というモットー(仮の標題)であったが、1921年、イタリアのマンドリン研究誌「イル・プレットロ」(ミラノ)が主催した作曲コンクールに『組曲「スペイン」』と改題して応募され第1位を受賞した。なお、この曲は「ミラノ・マンドリン合奏団」に献呈されている。我が国マンドリン音楽の先覚者の一人であり推進者であった武井守成の主宰する合奏団で1922年、本曲はいち早く初演された。以後、ファルボの作品を精力的に紹介、演奏した武井は、ファルボの音楽を生野菜にたとえて、その難解さと素晴らしさを評論・説明している。ファルボのマンドリン・ギター合奏曲の到達点ともいうべき作品で、吹奏楽に比べてパートが少ないマンドリン・ギター合奏の不備を補おうと和声を各パートに分散して配置しているため、ホタやボレロといった強烈なスペインのリズムとの両立が難しく、重音奏法など高度なテクニックが要求される。
スコアおよびパート譜は1922年に発行されたイル・プレットロ誌による。なお、岡村光玉氏がイタリア留学中、ファルボの消息を尋ねてアヴォラに赴き、シラクーサに住むファルボのご子息に面会することができた。岡村氏は同氏からファルボの作品多数を複写したが、その中に、コンクールに応募した自筆の「スペイン」スコアがあった。それには、下記編成に加えアルパ(ハープ)が入っている。ファルボ自筆スコアが必要な方はオザキ譜庫まで問い合わせいただきたい。
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