原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ハープ、オルガン、 ティンパニー、打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解 説 アダルギソ・フェラーリスは1890年2月16日、イタリアのピエモンテ州ノバラで生まれ、1968年12月31日にイギリスで逝いた作曲家兼ピアニスト。
ボローニャのRegiaAccademiaFilarmonicaで学び、ManfrediとCrescentinoでピアノと音楽の作曲を学び、1910年、フェラーリはサンクトペテルブルクのチェヴニオロシーに師事するためにロシアを訪ねた。この地で彼は、特にジプシー音楽の技法を研究、1912年にはオーケストラのピアニストになり、ここで彼は、セミクラシックの研鑚に努めた。フェラーリのアレンジと構成は、ジプシー、ハンガリー、旧ロシア伝統の特定の音楽で、古典的で人気のあるジャンルに基づいていた。彼の最も有名な曲の中には、ロマンチックな旧ロシアの曲「黒い瞳」、「Calinerie」、「Souvenir
d'Ukraine」、「The Russian Pedlar」、「二つのギター」「ABalalaika」などがある。
フェラーリスは旧ロシアで第一次世界大戦に巻き込まれ、フィンランドからイギリスを経由してイタリアに戻り、イタリア陸軍に加わった。
戦後、1920年のアデルブルネッリとの結婚の後、フェラーリスはロンドンに行き、ピカデリーオーケストラやマントヴァーニなど著名な音楽家と共に彼の作品を演奏、当時の多くのミュージシャンと知り合いになり、彼らのオーケストラで演奏したフェラーリスの多くの作品が録音された。たとえば、1941年に録音されたフェラーリスの「ダーク・アイズ(黒い瞳)」は第二次世界大戦中に大ヒットし、今日でも演奏されている。
第二次世界大戦の勃発時に、彼はイタリア市民としてイタリアに戻り、終戦まで滞在した。その後、彼はイギリスに戻り、イギリスに帰化した。戦後のロンドンでの困難な時期に、彼は音楽のキャリアを再開し、音楽出版会社も設立した。
曲は、イタリア・シエナで活躍したマンドリン指揮者アルベルト・ボッチ氏による。
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