オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
278.「ミヌエット(愛と懊悩)」  D.ベッルーテイ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解 説  1893年8月31日にル(Lu)・モンフェッラート(Monferrato)に生まれ、1947年8月22日カザーレ(Casale)・モンフェッラートに死去したイタリアの作曲家でギタリスト。岡村光玉氏によるDino Berrutiの甥であるGianni Berruti氏からの聞き取り調査によると、Dino は独学で音楽学校にも行っていない。彼の父(Dinoの弟)も素人ながらDinoの影響を受け、ピアノ、ヴァイオリン、ギター、フルートをよくしたという。Dinoは、第一次欧州大戦前は電信員、戦後はCasaleの郵便職員を務めていたという。
 Berben社発行の『イタリアギタリスト辞典』には、1961年に自殺したと書かれているが、1947年8月22日にCasaleの“Santo Spirito”病院で死去した。彼は常に神経質な人で、二三年おきに発作のようなものがおきて苦しんでいた。第二次世界大戦後、その発作の治療のため簡単な手術を受けることになっていたが、彼はこの手術に極度の絶望感を覚え自ら生命を絶ったという。
 1930年5月、ミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに彼の「モスコーの真昼」「黄昏語る時」の2曲が入選した。当時、沈滞下降をたどっていたマンドリン界はベッルーティに出現により、一時清新の風をあたえられた。彼の作風は、アマデイやマネンテ、ファルボ、ミラネージ等の独創的な技巧には及ばないが、憂いと郷愁に満ちたセンチメンタルなメロディーやリズムは、通俗的との謗りはあるがマンドリン本来の美しさに回帰し、マンドリン音楽に新しい精彩を加え、一段と新しい境地を求めている。

 この曲は、第二次欧州大戦中1941年、イタリアのシエナでおこなわれたマンドリン曲作曲コンクールに佳作入賞したものである。岡村光玉氏がイタリア留学中にシエナ在住のマンドリン指導者アルベルト・ボッチ氏に懇請し、1940年・1941年のシエナでの作曲コンクール入賞曲のほとんどを譲り受け我が国にもたらしたものである。

 この曲のコンクール応募時のモットー(仮の題名)は、「愛と懊悩」と題されている。持病の発作と苦しみ、そして訪れる愛と安らぎの中でつくられた作品だろうか。彼の生涯を苦しめた「死に至る病」からの悲痛な叫びであったと思いたい。スコアは1940年コンクールに提出された作者の自筆譜を用いた。パート譜はオザキ譜庫で作成したものである。

279.「ウクライナの思い出」   A.フェラーリス作曲

原編成  第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ハープ、オルガン、   ティンパニー、打楽器
スコア  原編成と同じ
パート譜
原編成と同じ
解 説
 アダルギソ・フェラーリスは1890年2月16日、イタリアのピエモンテ州ノバラで生まれ、1968年12月31日にイギリスで逝いた作曲家兼ピアニスト。

 ボローニャのRegiaAccademiaFilarmonicaで学び、ManfrediとCrescentinoでピアノと音楽の作曲を学び、1910年、フェラーリはサンクトペテルブルクのチェヴニオロシーに師事するためにロシアを訪ねた。この地で彼は、特にジプシー音楽の技法を研究、1912年にはオーケストラのピアニストになり、ここで彼は、セミクラシックの研鑚に努めた。フェラーリのアレンジと構成は、ジプシー、ハンガリー、旧ロシア伝統の特定の音楽で、古典的で人気のあるジャンルに基づいていた。彼の最も有名な曲の中には、ロマンチックな旧ロシアの曲「黒い瞳」、「Calinerie」、「Souvenir d'Ukraine」、「The Russian Pedlar」、「二つのギター」「ABalalaika」などがある。

フェラーリスは旧ロシアで第一次世界大戦に巻き込まれ、フィンランドからイギリスを経由してイタリアに戻り、イタリア陸軍に加わった。

戦後、1920年のアデルブルネッリとの結婚の後、フェラーリスはロンドンに行き、ピカデリーオーケストラやマントヴァーニなど著名な音楽家と共に彼の作品を演奏、当時の多くのミュージシャンと知り合いになり、彼らのオーケストラで演奏したフェラーリスの多くの作品が録音された。たとえば、1941年に録音されたフェラーリスの「ダーク・アイズ(黒い瞳)」は第二次世界大戦中に大ヒットし、今日でも演奏されている。
 第二次世界大戦の勃発時に、彼はイタリア市民としてイタリアに戻り、終戦まで滞在した。その後、彼はイギリスに戻り、イギリスに帰化した。戦後のロンドンでの困難な時期に、彼は音楽のキャリアを再開し、音楽出版会社も設立した。

 曲は、イタリア・シエナで活躍したマンドリン指揮者アルベルト・ボッチ氏による。

280. 
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ(A/B)、マンドロンチェロ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜
原編成と同じ
解 説 
281.

原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニ、トライアングル
スコア  原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解 説 
1

282.

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギターベース
パート譜 原編成と同じ
スコア 
第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
解 説 

283.  

原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ベース、ハープ、ティンパニ、打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解 説 

284

解 説