オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
176.「山の夜明け」前奏曲  D.ベッルーティ作曲

原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、アルモニウム(オルガン)、ティムパニ
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成;と同じ

解説 1930年5月、ミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに彼の「モスコーの真昼」「黄昏語る時」の2曲が入選した。当時、沈滞下降をたどっていたマンドリン界はベッルーティの出現により、一時清新の風をあたえられた。彼の作風は、アマデイやマネンテ、ファルボ、ミラネージ等の独創的な技巧には及ばないが、憂いと郷愁に満ちたセンチメンタルなメロディーやリズムは、通俗的との謗りはあるがマンドリン本来の美しさに回帰し、マンドリン音楽に精彩を加え、一段と新しい境地を求めている。
  「山の夜明け」は1937年9月5日にモンフェッラートで作曲され、オルケストラ・オルフェアに献呈された。曲は夜の静寂のなか、淡い光がさしはじめ、雲が動き、草木がなびき、次第に明るくなるとともに鳥がさえずり、教会の鐘が鳴り、羊飼いの歌が聞こえる。そして陽はのぼり、荘厳な鐘々の響きのなかで夜は明け、一日がはじまる。
  ベッルーティは"Una Rosa Caduta dal Cielo"(天国から落ちたバラ)という二幕の音楽劇の音楽を作曲しているが(1939年に出版)、その前奏曲"L'Alba"は「山の夜明け」とよく似た曲になっているので、ヴォーカル・スコアを参考にされたい。なお、この音楽劇の間奏曲は"Morte e Trasfigurazione di Santa Teresa"(サンタ・テレサの死と変容)となっていて、作者のマンドリン曲「クレオパトラの死と変容」に似た曲となっている。
 第一マンドリンにクァルティーノを統合した。各所に記入された作者の指示を出きるだけ判読し、ベッルーティの自筆スコアから新たにスコアを作成した。

177.「クレオパトラの死と変容」 D.ベッルーティ作曲

原編成  第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、アルモニウム(オルガン)、ピアノ、ティムパニ
スコア
原編成と同じ
パート譜
原編成と同じ
解説
 「クレオパトラの死と変容」は、アルベト・ボッチ氏によりArpaが加えられるなど、若干書き改められたスコアが流布しているが、岡村光玉氏がベッルーティの自筆譜を持ち帰っているので、それに拠った。

 オルガンとピアノが入っているが、オルガンは"ad libitum"、ピアノは"obbligato”記されているので、オルガンの取捨は比較的自由であるが、ピアノは必要と指定されている。

 ベッルーティは"Una Rosa Caduta dal Cielo"(天国から落ちた一輪のバラ)という二幕の音楽劇の音楽を作曲しているが(1939年に出版)、その前奏曲"L'Alba"は「山の夜明け」と、間奏曲は"Morte e Trasfigurazione di Santa Teresa"(サンタ・テレサの変容と死)は、「クレオパトラの死と変容」に似た曲となっている。"Una Rosa Caduta dal Cielo"(天国から落ちた一輪のバラ)のこの部分のヴォーカル・スコアを付けておくので参考にされたい。

178.「秋の朝」  R.カラーチェ
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、
スコア 原編成と同じ
パート譜
原編成と同じ
解説 Raffaele Calaceは、楽器製作家アントニオの息子として1863年12月29日ナポリで生まれ、1934年11月14日、生まれ故郷で逝去した。

 兄のNiccoloに続いてナポリ音楽学校に入り音楽教育を受け、父アントニオの死後、兄とともに楽器製作の家業を受け継ぎ、父親の伝統を継承し、多くの業績を残した。兄弟は、それぞれの楽器の名手としても認められ、彼ら自身の作品を公するため音楽出版も始めた。

 なお、20世紀に入り、何故か兄ニコロはアメリカに移住し、1923年に亡くなった。渡米後の消息は少なく、作品も『マンドリンギター研究』に添付された「四重奏曲」だけが知られているだけだったが、彼の作品がナポリのRafaele Izzo(R.Izzo)社から100曲余出版されていたことが判明し、近年イタリアでその多くが発見され、我が国にも紹介されている。

 Raffaele Calaceは楽器製家としてリュート・モデルノ(復弦5コース)の改良につとめ、その楽器をリュート・カンタービレと名づけ、自ら演奏し普及につとめた。    

 Raffaeleは、三女レオノーラが在東京イタリア大使館通訳官コルッチ氏と結婚するため、1924年12月15日彼女を伴って来日し、2月15日離日している。

 武井守成をはじめとする日本のマンドリン界は、彼の独奏はもとより、彼のマンドリンオーケストラ曲に直接触れる機会を得て、東京で2回(12月28日・丸の内報知講堂-OST主催、1月31日・OST主催)、京都(1月17日・岡崎公園公会堂-京都帝大マンドリンクラブ主催)・名古屋(1月18日・末廣座-名古屋弦楽会主催)で各一回Raffaele Calaceの演奏会を開催している。東京では、彼の指揮による彼の合奏曲も上演された。また、大阪ではレコードの録音(1月16日・日本蓄音機)もおこなっている。さらに、2月10日には皇居に参内し、摂政の宮(後の昭和天皇)の前で御前演奏をおこなった。
 OST(オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ)発行の『マンドリンギター研究』1925年2月号はすべて、R.カラーチェの来朝にともなう武井守成氏の記事で埋め尽くされている。「カラーチェ断片」には、ムニエル、ラニエーリ、ペッティーネ、ドウニス、ファンタウッティ、ロッコ等のマンドリン音楽や演奏についてカラーチェの考えが武井守成との問答として記されている。カラーチェ氏に接して」には、OSTで合奏指導中、カラーチェ氏の自由で奔放な指揮に、武井氏の端正な指揮に慣れていた一部奏者が気色ばむという一こまも紹介されている。1969年、同志社大学マンドリンクラブ(SMD)資料部長の田村元孝氏がカラーチェ家を訪問した際、「秋の朝」のスコアを贈られ、同年11月SMD第75回定期演奏会で初演された。マンドニコ指揮チッタ・ディ・ブレッシアで演奏されCDが出ているが、その後、日比野俊道氏編集による曲集『カラーチェ・マンドリン・アルバム①-⑨』、イタリアマンドリン協会ホームページでR.カラーチェの全作品が無料公開されているにもかかわらず、日本ではほとんど演奏されていないのは残念である。文字通り、清々しい秋の朝のイメージをマンドリン合奏に描いたもの。

179.「独創的第一四重奏曲」 C. ムニエル op.76

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ

スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解説  ムニエルにはオリジナルな四重奏曲が三つある。Op.76のト長調「第一独創的四重奏曲」、Op.128のニ長調、Op.203のハ長調の各四重奏曲である。ムニエル自ら選りすぐりの奏者を集めて世界最初のマンドリン四重奏団を組織し、これら純粋プレクトラム重奏曲を紹介し、マンドリン音楽の向上につとめた。

 曲は 1.Allegro  2.Quasi Adagio  3.Minuetto   4.Rondo Finale

の四つの楽章からなっている。
 石村隆行氏がイタリアで入手された、フィレンツェのフォルリベジ社から1908年に出版されたスコアを使用させていただいた。
 

180.

原編成 
パート譜 
解説