原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 Raffaele Calaceは、楽器製作家アントニオの息子として1863年12月29日ナポリで生まれ、1934年11月14日、生まれ故郷で逝去した。
兄のNiccoloに続いてナポリ音楽学校に入り音楽教育を受け、父アントニオの死後、兄とともに楽器製作の家業を受け継ぎ、父親の伝統を継承し、多くの業績を残した。兄弟は、それぞれの楽器の名手としても認められ、彼ら自身の作品を公するため音楽出版も始めた。
なお、20世紀に入り、何故か兄ニコロはアメリカに移住し、1923年に亡くなった。渡米後の消息は少なく、作品も『マンドリンギター研究』に添付された「四重奏曲」だけが知られているだけだったが、彼の作品がナポリのRafaele
Izzo(R.Izzo)社から100曲余出版されていたことが判明し、近年イタリアでその多くが発見され、我が国にも紹介されている。
Raffaele Calaceは楽器製家としてリュート・モデルノ(復弦5コース)の改良につとめ、その楽器をリュート・カンタービレと名づけ、自ら演奏し普及につとめた。
Raffaeleは、三女レオノーラが在東京イタリア大使館通訳官コルッチ氏と結婚するため、1924年12月15日彼女を伴って来日し、2月15日離日している。
武井守成をはじめとする日本のマンドリン界は、彼の独奏はもとより、彼のマンドリンオーケストラ曲に直接触れる機会を得て、東京で2回(12月28日・丸の内報知講堂-OST主催、1月31日・OST主催)、京都(1月17日・岡崎公園公会堂-京都帝大マンドリンクラブ主催)・名古屋(1月18日・末廣座-名古屋弦楽会主催)で各一回Raffaele Calaceの演奏会を開催している。東京では、彼の指揮による彼の合奏曲も上演された。また、大阪ではレコードの録音(1月16日・日本蓄音機)もおこなっている。さらに、2月10日には皇居に参内し、摂政の宮(後の昭和天皇)の前で御前演奏をおこなった。
OST(オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ)発行の『マンドリンギター研究』1925年2月号はすべて、R.カラーチェの来朝にともなう武井守成氏の記事で埋め尽くされている。「カラーチェ断片」には、ムニエル、ラニエーリ、ペッティーネ、ドウニス、ファンタウッティ、ロッコ等のマンドリン音楽や演奏についてカラーチェの考えが武井守成との問答として記されている。カラーチェ氏に接して」には、OSTで合奏指導中、カラーチェ氏の自由で奔放な指揮に、武井氏の端正な指揮に慣れていた一部奏者が気色ばむという一こまも紹介されている。1969年、同志社大学マンドリンクラブ(SMD)資料部長の田村元孝氏がカラーチェ家を訪問した際、「秋の朝」のスコアを贈られ、同年11月SMD第75回定期演奏会で初演された。マンドニコ指揮チッタ・ディ・ブレッシアで演奏されCDが出ているが、その後、日比野俊道氏編集による曲集『カラーチェ・マンドリン・アルバム①-⑨』、イタリアマンドリン協会ホームページでR.カラーチェの全作品が無料公開されているにもかかわらず、日本ではほとんど演奏されていないのは残念である。文字通り、清々しい秋の朝のイメージをマンドリン合奏に描いたもの。
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