オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
254.「麦祭り(合唱つき)」大幻想曲 M.マチョッキ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、男声合唱
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成;と同じ

解説 マリオ・マチョッキは、1874年4月4日ローマで生まれ、1955年11月9日にパリで亡くなったマンドリンとプレクトラム・オーケストラのための啓蒙者で作曲家。
 ギターに堪能であった父から手ほどき受け、早くからマンドリン、ギターをBRONTOLIと、 CONSORTIから、ソルフェージをBENEDETTIに学び、聖チェリア音楽院でCETACCIOLI教授から作曲と指揮を学んだ。17歳で、有名な ローマ五重奏団(Quintette Romain )の研修チェリストとなり、プロのトレーニングを受け、数年間南アメリカに赴いた。その後ベルギーのリエージュでオーケストラ指揮者をつとめ、1900年パリに教授所を設立し、ギターの教則本を出版した。1905年にパリに定住し、彼はいくつかのオーケストラを指導した。
 1905年、Monsieur De Romeの変名でマンドリン誌L'Estudinatinaをパリで創刊、フランスのマンドリン・ギター界の指導的地位を得て1934年5月にL'orchestre à plectre誌と名を改め、1939年までプレクトラム・アンサンブルのための作品を数多出版した。

 彼自身の作品も、マンドリンオリジナル作品、クラシックの編曲作品など約800曲にものぼる。あまりの多作に、オルガ・デリス伯爵夫人(Comtesse Olga Delys)の別名でも多くの作品を残している。

  彼のロマンチックなスタイルの音楽は、明るさとドラマが混在したものであり、母の血をひくスペインの民族音楽に触発されており、19世紀後半から20世紀初頭にかけて非常に人気があり、アマチュアを主体そするマンドリン界に評価された。「麦祭」は彼の代表的な作品の一つである。
 曲は四楽章からなり、作者により次の解説が掲載されている。
1.黎明 麗しい陽の一瞥は黄金の鋲をちりばめた大空を灰色に染めてゆく。黎明の光はまたたいている。そして夜の暗闇が物した喪のかおぎぬは静かに消えてゆく。突如明るい陽は流れて会堂の風見の雌鶏が紫に美しく彩られた。これが安息した夜の終りで、又活動すベき日の初めである。
2.楽しき目覚め 新緑の夏と豊満な収穫とを讃美する鐘の音は歓声の様に響いてくる。これを聞くと村人達は疾く起き出でて祭神の衣を着ける。そして輝かしい面を見せて村道を右往左往する。やがて彼方の牧場から今日の祭りに到る牧人の笛の一曲が聞こえてくる。それから会堂の御告の鐘が遠く響いてゆく。村人はやはり村道を往ったり来たりしている。
3.麦の歌 会堂の鐘を合図に集まった村人達のミサが終ると若い人達は一団となって、古風な野趣を帯びた麦の歌を合唱する。これは伝統的なものであるが、形式、韻律などは一定していない。
4.祭の後に 一同は再び料亭に会合する。互に心からの喜悦を尽すとやがて名残を措しんで散会する。そして彼方へ此方へ森へ畑へ・・・・・と急いでゆく。幾組かの若い夫婦達は麦の歌を高唱しながら仕事に親しむ。

255.「路傍にて」セレナータ  T.ト-チ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア
原編成+マンドロンチェロ+ベース
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説  作者については経歴などまったくわからない。1890年からフィレンツェでマンドリン・ギター楽譜を出版、ムニエル、マルチェルリ、F.フランチア等の作品を紹介し、マンドリン音楽の隆盛に伴って成功したマウリ社からTociのこの作品が出版されている。おそらくムニエルと同時代の人であったと考えられる。この曲の他に、フルート、マンドリン、ギターのための曲で"Sogno di Gioia"(楽しい夢)がある。 

八分の六拍子のセレナータで、転調後に叙情的なメロディを歌う部分があり、後半からは終曲まで快速につき進む。わが国のマンドリン界隆盛期には独奏曲として愛奏された。
 マウリ社からマンドリンとピアノ(ギター)、マンドリン四重奏などのかたちで楽譜(パート譜)が出版されている。

256.「夏の庭」黄昏  P.シルヴェストリ作曲
原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドラ・コントラルト、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニー、シストロ
スコア 第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニー、シストロ
パート譜 スコアと同じ
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年5月9日モデナに生まれ、1960年2月6日に没した。14才から音楽を学び始め、ギターをセルミ教授について習い、その後次第にマンドリンに関心を持つようになった。ペサロの音楽院でビアンキーニからピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。

1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。1910年ごろには、アルドラバンディ教授の後を受けてボローニャのマンドリン音楽研究誌「イル・コンチェルト」の主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン佳曲を発表した。和声に優れた作品が多く、「夏の庭」や、「ノスタルジー」「静けき夜」「夜の静寂」などが知られる。
 「夏の庭」は1941年シエナでおこなわれた作曲コンクールに第三位入賞した作品。この時の第一位がU.ボッタッキアリの「夢の魅惑」第二位がC.オテッロ・ラッタの「英雄葬送曲」であった。とき既に第二次世界大戦最中のことで、イタリアではマンドリン音楽も衰退し、これら入賞曲も演奏されることなく埋もれていたが、同志社大学マンドリンクラブOB岡村光玉氏が声楽修行中、シエナのアルベルト・ボッチ氏の書庫で1940、1941年の二回にわたっておこなわれたシエナでの作曲コンクール入賞曲を見いだし、わが国にもたらしたものである。
 原曲の編成はクァルティーノ、マンドラコントラルト等も入り夫々が二部にわかれ大編成になっているが、クァルティーノは第一マンドリンに含め、マンドラコントラルトはマンドラテノールの第1部とした。題名にふさわしい幽遠な抒情曲である。

257.「美わしの詩人」序曲  G.アンチロッティ作曲 M.ビアジ編曲

原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドロンチェロ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+ベース
解説 1951年に亡くなったイタリアの作曲家。ミラノのモンツィノ楽器商会に関係し、1925年から、同社の発行するマンドリン誌"Mandolinista Italiano"から多くの小曲を発表している。特に、イタリアの著名なギタリストであるマンリオ・ビアジの編曲によるマンドリン合奏曲に代表作があり、本曲のほか、"Mattutino al Villaggio(村の朝の祈り)"、"Impressioni Toscane(トスカーナの印象)"などが知られている。Poeta Galante,sinfonia(「美わしの詩人」序曲)は、1932年2月に"Mandolinista Italiano"誌にスコアが発表された。

作者アンチロッティについての、詳細はわからないが、編曲者ビアジは1896年8月27日ウンブリア州南部のTerni(テルニ)で生まれミラノに定住し、1942年ミラノで没した。生涯で約200曲を作曲・編曲した。

 

258.「詩人の瞑想」   G.マネンテ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドロンチェロ、ギター
スコア原編成と同じ
パート譜 原編成+ベース
解説 「詩人の瞑想」は1926年11月、フランス・パリの、M.マチョッキが主宰するマンドリン誌“L'Estudiantina”から出版されたもので、作品番号は付されていない。
  この号に、曲の紹介として次のように記されている。 


   イタリア陸軍軍楽隊長ジュゼッペ・マネンテの『詩人の瞑想』 
アンダンテ・アパッショナート、あたたかさに満ち、イマジネーションが響き渡る。落胆をともなった高揚。 ときに力強く、しかしけっして乱暴ではない。
  ニュアンスに満ちた作品であり、演奏では、この美しい作品が持つメロディーの魅力とハーモニーの豊かさを十分に際立たせなければなりません。


 なお、1906年5月ジェノヴァのアルテ・マンドリニスティカ誌から出版されたマネンテのマンドリン、マンドラ、ギター三重奏曲“Momento Musicale”「楽興の時」は、編成こそ異なるものの、メロディや和音進行等が「詩人の瞑想」と同一であり、異名同曲と考えられる。因みに作曲者から中野二郎氏に贈られた「楽興の時」自筆スコアには「わが愛する娘に贈る」と記されている。演奏の参考に作者自筆スコアから作成した「楽興の時」スコアおよびパート譜を添付する。