原編成 クヮルティーノ、第1・第2(3)マンドリン、マンドラコントラルト(マンドラテノール)、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、ティンパニ、トライアングル、ハープ
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラコントラルト、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、ティンパニ、トライアングル
パート譜 原編成と同じ
解説 各種の作曲コンクールに入賞し音楽界で活躍をはじめていた1922年、イル・プレットロ誌のコンクールでマンドリンソロ曲「サラバンドとフーガ」が入賞した後、次々と同誌コンクールに入賞し、以後のイル・プレットロ誌主催の作曲及び演奏コンクールには度々審査委員として招かれ、その名はイタリアマンドリン界に広く知れわたり、次第に重きをなすようになった。請われて、『ギター及びプレットロ楽器の為の和声学概論』を執筆していたが、購読者が揃わず出版はかなわなかったという。
この間、彼の力作「主題と変奏」の他、小品ながらいずれも近代的な、独特の作風をもった作品を、イル・プレットロ誌に次々と発表、とりわけそのマンドリンソロ曲においては、従来のソロ曲に全く見られなかったユニークな、そして大胆な手法のものが多く、ミラネージを語る上での最も大きな特徴となっている。さらに、斬新な作風の2つのマンドリン四重奏曲(Quartetto
a P1ettro)「Quartetto in sol」「Al1a Primavera」を発表したが、特別に注文があった場合にのみイル・プレットロ誌から写譜提供されたもので余り知られていない。
岡村光玉氏は、ミラネージの遺族を訪ね、管弦楽曲「森の組曲」「シンフォニエッタ イ長調」など多くの作品を我が国にもたらした。ミラネージのペンネームSilren
de1la Lancaは彼の故郷に近いアッダ川自然公園の中にあるランカの森からとっていると思われる。
「主題と変奏」は、ミラノのイル・プレットロ誌から1925年に特別に印刷出版されたものである。パート譜も出版されているが、出版スコアとの相違が多く、完全な楽譜が待ち望まれていた。岡村光玉氏がミラネージの遺族を訪ねた際、「主題と変奏」の出版スコアにミラネージ自身が訂正を書き入れているものを発見、ようやくスコアとパート譜の齟齬に決着がついた。彼がミラネージ自身の書きこみを基に『フレット』第88号に詳しい正誤表を発表しているが、今回は、岡村氏の正誤表にパート譜との照合を加えて正誤表を作成したので参照されたい。
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