オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
16.「ソレントの女」 序曲 ファンタウッティ作

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、
  マンドロンチェロ、マンドローネ、ベース

スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解説 ファンタウッチは1870年に生まれ、1941年に逝去した作曲家でマンドリニスト。彼は9才にして既にマンドリンを見事に奏したと言われている。18歳になって、協会のオルガニストであった叔父とともにローマに派遣され音楽の勉強に励んだ。勉学の末、イタリーでマンドリンのリサイタルを開くまでになり、賞賛と推薦を得てパリでもリサイタルを開き、モンティのチャルダスを演奏したという。彼の演奏は批評家の賞賛をさらに得るところとなり、1928年にはベルリンでもリサイタルをおこなった。各地での演奏旅行の後、彼はマルセイユに定住し、長年マルセイユ音楽学校のマンドリン教授をつとめた。 彼は、マルセイユでマンドリン専門の店を開き、楽器販売とともに、彼自身の名前を冠した出版社を設立し、彼自身の作品を含む多くの作家のマンドリン曲を出版した。フランスで最も利用されたマンドリン教則本も著している。また、請われて審査委員長として、フランス、イタリア、ベルギー、モナコおよびアルジェリアでの演奏コンクールに赴いている。
17.「夜想的間奏」 序曲R.クレパルディ作 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、     ギター、ベース(マンドローネ)ティンパニー

スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解説  クレパルディの経歴については生没年と若干の管弦楽曲、マンドリン曲が判明するのみである。

 この作品は、1923年のボローニアのコメリーニ社発行のマンドリン誌「イル・コンチェルト」主催の作曲コンクールに2位入賞し、1927年1月同誌から出版された。既に斜陽にあったイタリアマンドリン界にあって、ファルボ、ベッルーティ等の作品とともに新鮮な作品として迎えられた。

 彼には次のようなマンドリン曲が判明している。
Pas de quoi, polka brillante
                                     IMR 1911(Il Mandolino Rmano)
Mon amour, valse           I.C  1914(Il Concerto)
Viaggio di Nozze, marcia   I.C  1922
Canzonetta, fox trot        I.C  1925
Intermezzo(Notturno)       I.C  1927
Te Sola, valzer lento        I.C  1934

18.「ハレオ・デ・ヘレス」  スペイン民舞曲
                  A.アマデイ編曲 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、     ギター、ベース(マンドローネ

スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 原編成と同じ

解説 1924年10月、ミラノのイル・プレットロ誌からスコアが出版された作品。1938年4月には同誌からパート譜が出版されている。
Herez(ヘレス)はSevilla(セビーリャ)からバス・電車で1時間の場所にあるスペイン南部のカディス県の町。シェリー酒・馬・フラメンコで有名。毎年春が近づくとフラメンコフェスティバル開催される。

Jaleo(ハレオ)とは、元来フラメンコの掛け声の総称であるが “Jaleo de Jerez”はバンドゥリアとギターの伴奏で、カスタネットを持って踊るアンダルシア地方の有名な民舞曲の名称になっている。

 アマデイがこの旋律を聴いて触発されて編曲したもの。
  ドイツのカール・ヘンツェ(1872-1946)も “Andalusisches Tanzlied”(アンダルシアの舞曲)と題してマンドリン合奏に編曲、1927年ライプチッヒのHellaから出版している。 

19.「ニ短調序曲」      S.ファルボ作曲 

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、     ギター、マンドローネ

スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ

解説 作者は1872年シチリア島シラクサに生まれ、1927年故郷シラクサのアヴォラで没した。
パレルモの音楽学佼でピアノと作曲法を学んだ。管弦楽、吹奏楽、オペレッタと多岐にわたる作品を残しているが、マンドリン音楽作品は重要である。1906年「イル・プレットロ」誌主催第1回作曲コンクールに「セレナータ」でデビュー。1910年第3回作曲コンクールでは「田園写景」が、I913年第4回コンクールでは、本曲が第1位に入賞している。
マンドリンのために残した作品の多くは、傑作の名が高い。本曲をはじめ「組曲田園写景」「組曲スペイン」「プレクトラム四重奏」「間奏曲」「叙情的間奏曲」などがある。 

「ニ短調序曲」は、1913年におこなわれたイル・プレットロ主催の作曲コンクールで、カッペルレッティの「劇的序曲」、ラウダスの「ギリシャ狂詩曲」とともに第1位に同位入賞した。 

「ニ短調序曲」は手写譜版でスコアだけが出版されたため、写譜版によって間違いなどがあり、オザキ譜庫にある3種類の手写譜版からオザキ譜庫管理委員会でパート譜を作成し、スコアの正誤表を作成したので練習や上演の際は参考にされたい。

20.「主題と変奏」     G.ミラネージ作曲 

原編成 クヮルティーノ、第1・第2(3)マンドリン、マンドラコントラルト(マンドラテノール)、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、ティンパニ、トライアングル、ハープ

スコア 第1・第2マンドリン、マンドラコントラルト、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、ティンパニ、トライアングル
パート譜 原編成と同じ

解説 各種の作曲コンクールに入賞し音楽界で活躍をはじめていた1922年、イル・プレットロ誌のコンクールでマンドリンソロ曲「サラバンドとフーガ」が入賞した後、次々と同誌コンクールに入賞し、以後のイル・プレットロ誌主催の作曲及び演奏コンクールには度々審査委員として招かれ、その名はイタリアマンドリン界に広く知れわたり、次第に重きをなすようになった。請われて、『ギター及びプレットロ楽器の為の和声学概論』を執筆していたが、購読者が揃わず出版はかなわなかったという。

この間、彼の力作「主題と変奏」の他、小品ながらいずれも近代的な、独特の作風をもった作品を、イル・プレットロ誌に次々と発表、とりわけそのマンドリンソロ曲においては、従来のソロ曲に全く見られなかったユニークな、そして大胆な手法のものが多く、ミラネージを語る上での最も大きな特徴となっている。さらに、斬新な作風の2つのマンドリン四重奏曲(Quartetto a P1ettro)「Quartetto in sol」「Al1a Primavera」を発表したが、特別に注文があった場合にのみイル・プレットロ誌から写譜提供されたもので余り知られていない。

岡村光玉氏は、ミラネージの遺族を訪ね、管弦楽曲「森の組曲」「シンフォニエッタ イ長調」など多くの作品を我が国にもたらした。ミラネージのペンネームSilren de1la Lancaは彼の故郷に近いアッダ川自然公園の中にあるランカの森からとっていると思われる。

「主題と変奏」は、ミラノのイル・プレットロ誌から1925年に特別に印刷出版されたものである。パート譜も出版されているが、出版スコアとの相違が多く、完全な楽譜が待ち望まれていた。岡村光玉氏がミラネージの遺族を訪ねた際、「主題と変奏」の出版スコアにミラネージ自身が訂正を書き入れているものを発見、ようやくスコアとパート譜の齟齬に決着がついた。彼がミラネージ自身の書きこみを基に『フレット』第88号に詳しい正誤表を発表しているが、今回は、岡村氏の正誤表にパート譜との照合を加えて正誤表を作成したので参照されたい。