原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 イタリアのミラノで活躍したピアニスト、ギタリスト、吹奏楽指揮者、作曲家。ピアノ曲、音楽劇や吹奏楽曲、マンドリン曲を作曲。管楽器のための理論的・実用的教則本をミラノのAbamo
Alliani音楽出版社から出している。またギターの教則本も出版している。
1892年には、ミラノのマンドリン合奏団(circolo milanese mandolinisti e chitarristi)指揮者となり、1900年には、スイスのティチーノ州(Ticino)にあるMusica
Liberale di Balernaの指揮者をつとめ、1904-1938まで、ミラノ近郊の吹奏楽団ディ・チェルヌスコ・スル・ナヴィーリオ(Cernusco
sul Naviglio)の団長をつとめたのをはじめ、各地の吹奏楽団の団長、指揮者をつとめた。1912-1918芸術監督とマンドリン音楽誌編集者となり、ミラノのマンドリニスタ・イタリアーノ(Mandolinista
Italiano)誌からマンドリン合奏のために多くの作品を作曲・編曲している。
1886年には、ミラノのルッカ(F. Lucca)社からマズルカやポルカのピアノ曲、1900年にはマンドリンとピアノのための「愛の悲しみ」(Duolo
d'amore,Melodia )をフィレンツェのヴェンチュリーニ(G. Venturini)社から出版。1901年からボローニアのイル・コンチェルト(Il
Concerto)誌にマンドリン曲を発表、1915年からは、主にミラノのモンティーノ(A.Monzino)社が発刊するマンドリニスタ・イタリアーノ誌から数多くのマンドリン合奏小品を1938年同誌の廃刊まで発表している。1938年当時、まだ70歳以上で活発に活動していたと言われているので、生年は1865年ごろであろう。
“Betlemme, paastorale”は楽譜にも記されているように、アントニオッティの「Betlemme」という2幕3場の音楽劇のなかの詩的牧歌から作者自身によりマンドリン合奏に移されたもの。ベツレヘムはキリスト生誕の地。
本曲は単純明快で演奏は容易であるが、トレモロ一辺倒ではなく、ピッキングを有効に用いて「pastorale」的雰囲気を表現したいものである。
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